第3話 激情に駆る

 二度目の目覚めは酷く重い目覚めだった。

 体の上に何枚も布団を重ね掛けられたような、心地良いようで微妙に心地良くない、そんな目覚め。

 鈍痛が響く頭を擦りながら起き上ると、誰かの部屋に運ばれたようだ。

 俺が寝かされていたベッドに本棚、そして机だけという質素な部屋だった。

 隣の窓から外を見れば、見知らぬ街と往来する人々が見えた。

 陽は未だ高く、さっきからそれほど時間は経っていない。


「……まだ、生きてるのか」


 自覚した瞬間、眩暈がした。

 嘘だろ。自分で喉を刺して、近くに腹を空かせた獣まで居たのに。

 また、失敗したのか。


「気が付きましたか?」

「ん?」


 どこかで聞き覚えのある、やたらと通る声に思わず振り向くと少女が洗面器を持っていた。

 歳は十五か十六くらいだろう。紺色の質素なブラウスに同系色のショートパンツと一見して地味な格好をしているが、それを気にさせない程に少女は容姿端麗だった。

 髪は黒絹のように綺麗で、腰まで一切のクセが無い。顔立ちは年相応でまだ幼さが残っているがかなりの美形だ。

 けれどそんな特徴よりも、目を惹いたのが彼女の目だった。

 人懐っこそうな目つきをしていて、淡い紫の瞳を見た時何故か懐かしく感じてしまった。


「誰だ、お前……?」


 気づけば、彼女にそんなことを尋ねていた。


「あ、すいません。自己紹介がまだでしたね。私はクロ、クロ・カトレアです」

「……灰神タケルだ」

「ハイガミ……変わった名前ですね」


 ん、何故か名字の方に興味を持たれてしまった。

 少し考えて、彼女の名前を思い出す。

 クロ・カトレア……あぁ、そういうことか。


「タケルのほうが名前だ」

「あぁ、そうなんですね。それでどこか痛む所や気分が悪いとかありますか?」

「俺、死んだんじゃないのか……」

「大丈夫ですよ。ちゃんと生きてます。けど、本当にギリギリでした。あと少し遅れてたら助かってませんでしたよ」


 ツイてましたね。

 少女、クロは微笑みながらそう言った。

 彼女の言う通り俺の体には傷一つ無かった。

 折れたはずの右手も、枝を突き刺したはずの喉も、嘘のように傷が塞がっている。

 まるで魔法みたいだな、と思った。

 けれど、大丈夫ってなにが大丈夫なんだろう。

 俺はまた、死ねなかったというのに。


「……なんで、俺なんかを助けた」

「……まるで死にたかった、と言ってるみたいですね」


 その一言がやけに癇に障った。

 知った風な口を聞かれたのが気に入らなかったから。


「っ、きゃ!」


 気づけば、俺はクロの胸倉をつかんで押し倒していた。

 体と背中がぶつかる固い音。

 一瞬、クロの顔が痛みで歪んだ。

 でも、俺は自分を助けてくれた恩人に跨って感情任せに喚いた。


「あぁ、そうさ。俺はあの時死ぬつもりでいた。もう生きていなくて良いんだと、死んで良いと言われた気がした。それをお前に邪魔されたんだ! なんでだよ、なんで俺の願いは叶わねぇんだ!? なぁ、頼むよ。お前が俺を殺して——!?」


 言い切る前に思い切り顔面を叩かれた。

 昂っていた感情が一気に冷めた。

 その時に見た彼女の顔には怒りも哀れみの無く、ただ悲しみだけが表れていた。

 やってしまった。まさか無関係の子供に八つ当たりするなんて、最低だ。

 暫く、音のない空間が広がった。

 俺はクロの上からどいた。


「……悪い」

「……貴方の着ていた上着です」

「あぁ……」


 出ていけ、と言われた気がした。

 そりゃそうだ善意で助けた相手に暴言吐かれるとは思ってもみないだろう。

 少女から上着を貰い玄関に案内される。


「……悪かった。お前のしたことはきっと、間違いじゃない」


 クロの返事を待たずに玄関から飛び出す。

 後悔や罪悪感を捨て去る様に見知らぬ街を駆けていく。

 もう二度と会うことはないだろう。

 でも、彼女の悲しみに満ちた顔がどうしても脳裏から離れなかった。

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