死にたがりは、この広い世界で何を願う。

影桜

第一章 過去と未来の邂逅

第1話 一人の男の終わり

 その日、いつもより家に帰る時間が遅かった。

 何のことはない、ただ残業で遅くまで会社に居ただけだ。

 すっかり見慣れたビル街をぼうっと見上げて歩く。

 もうすぐ日付が変わる時間帯。

 浮かぶ月すらも寝静まりそうな夜空を見ていると、まるで自分はこの世界でたった独りなのではないかと思えてくる。

 そう思うと不思議と笑ってしまった。

 なにせ、実際似たような状況なのだ。笑うのも無理はない。

 幼い頃に両親を事故で亡くし、唯一の友人——不二も去年亡くなった。


「あぁ、疲れた……」


 意味のない呟きは夜空に溶けていった。

 不二の遺言に従ってどうにか一年生きてきた。

 多分、少しだけ期待していたんだと思う。

 生きていれば良いことがあるかもしれない。

 真面目に仕事をしていれば、少しは報われるかもしれない。

 そんな曖昧な期待。

 けれど、そんな期待はあっさりと裏切られた。

 まるで馬鹿みたいだ。

 ——ふと、人とすれ違った。

 コンビニの袋と携帯を片手に帰る誰か。

 疲れきった顔で駅に向かう誰か。

 早足で何処かへと進む誰か。

 さっきまで独りだった世界はいつの間にか一人の世界になっていた。

 きっと彼らには家に帰れば家族が居て、携帯の画面の中には友人が居るのだろう。

 当たり前のように。


「羨ましい……」


 つい、そんな言葉が漏れてしまう。

 意味のない嫉妬。

 どれだけ望んでも、どれだけ願っても俺の家族と友人は既に居ない。

 いっそ、機械になれれば良いのに……。

 機械になれれば何も感じずに生きていける。ただ、周りの期待に答え続けるだけで良い。

 想像するだけで震える。

 感情に振り回されるのは、もう疲れた。

 けれどそう願うことこそ、きっと一番意味の無いことなんだろう。


 ****


 随分と歩いた気がして意識を思考の海から引き上げると、目の前に踏切があった。

 途端に踏切が鳴り始める。走らなければ終電に間に合わない。

 でも、走り始めた足は縫い留められたようにその場で止まってしまった。

 このまま立ち止まっていれば電車に撥ねられるだろう。

 そうなれば間違いなく俺は死ぬ。

 ——なら、それで良いんじゃないか?

 俺が死んでも悲しむヤツなんて、もう何処にもいない。

 今日までずっと死ぬ勇気が出なかった。

 でも、こんなドロドロした感情をこの先ずっと抱えて生きていくくらいなら、もう——


「そうだよな。死ねば楽になれる……」


 車輪の揺れる音が近づく。

 見れば、電車がすぐそこまで迫っていた。

 ほんの数秒もすればこの巨大な鉄の塊は俺を汚い肉片に変えるだろう。

 その刹那の数秒がやけに長く感じる。

 ふと、友人のことを思い出す。

 あいつは最後、なんて言って死んだっけ……。


「あぁ、確か——」


 その言葉を思い出そうとした瞬間、全身を叩く衝撃と共に俺——灰神タケルの人生は幕を下ろした。

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