第48話 伸ばした手の先

 アンジェリカとしての生活が始動する。

 私の魔力は少しずつ戻りつつもあるが、アレクシス様を治癒できるほどには達しておらず、後は自然治癒力に任せ、彼の食事と生活をお支えすることになった。


 介助が思ったよりも早く終わりを迎えた頃、実家から一通の手紙が届いた。

 私は顔を上げるとアレクシス様を見る。静かに頷いた彼を確認して私は手紙を開封した。


「ブランシェが戻ったそうです」


 とにかく一度家に帰ってきてほしいと書かれている。

 簡潔に述べるとアレクシス様はそうかと頷く。


「会いに行くか」

「はい」

「私も一緒に行こう」

「え」


 アレクシス様の妻の名の訂正が広報されることだし、それに先んじて私は家族にアレクシス様に自分の正体を告げたことと、彼が療養中のため訪問は遠慮している旨を手紙で知らせておいた。だからと言って予告もなくアレクシス様が一緒に来たら、家族は驚き腰を抜かすかもしれない。


「元より私はブランシェ嬢ではなく、君と結婚したいと思っていたんだ。君の家族を咎めるつもりも償わせる気もない。ただ、ご両親に改めて君と結婚する旨を伝えたいと思う」

「……はい」



 アレクシス様に手を取ってもらい馬車に乗ると、彼の横並びで腰掛けた。

 包帯が取れたアレクシス様は初めて見た時と何ら遜色なく威厳を放っている。

 療養中でも体を鍛えていたらしい。生活介助はありがたいが食事の介助だけはどうしても人目があって気まずく、早く完治させたいという思いと、この生活がもう少し続けばという間の葛藤で悩まされていたとのことだ。


「お望みならこれからも続けます」

「そうだな。……だが食事の方はいいかな」


 苦笑するアレクシス様に私は小さく笑みを返したが、彼は逆に笑みを消して大きな手を私の手に重ねてくれる。

 もしかして私の表情は硬かったのだろうか。


「わたくしはどんな顔でブランシェに会えばいいのでしょう」


 笑顔で迎えたいと思っていたが、いざその時が来るとなるとそれが正しい姿勢なのかどうかが分からなくなった。


「その時の君の気持ちのままでいいんじゃないのか。怒りがあれば怒りを示し、罵りたければ罵り、愚痴を言いたいのなら愚痴を言う。自分の感情を殺して笑顔で迎える優等生になる必要はない」


 私は誰かの視線を気にして正しいと思われたかったのかもしれない。けれどアレクシス様はありのままの私を受け入れようとしてくれている。一方でそんな風に言ってくれるからこそ、高潔な彼に釣り合いたくて多少の背伸びだってしたくもなる。


「はい。ありがとうございます」


 彼の寛容さに私は笑顔を取り戻した。



 午前中から馬車を走らせて、お昼頃に実家へと到着した。

 アレクシス様の手を借りて馬車から降りると収まっていたはずの鼓動が早まるのを感じた。彼は握る手に力を入れてくれる。


「大丈夫か」

「はい。大丈夫です。参りましょう」


 私は玄関をノックするとすぐに扉が開かれた。


「お嬢様――パ、パストゥール様。旦那様、お嬢様とパストゥール様がお越しになられました」


 アレクシス様の姿を見て動揺する侍従長が、私の父を呼ぶと玄関口へと両親が駆けつけてきた。


「こ、これはパストゥール様! この度は不肖の娘が大変ご迷惑をおかけして、お詫びの申し上げようもありません」


 父も母もただただアレクシス様に対して平身低頭の姿勢だ。


「いえ。それよりもブランシェ嬢がお帰りとのことでご案内いただけますか」

「は、はい」


 アレクシス様の声には感情が見られないからより恐ろしく感じてしまうのだろう。身を竦めながら父は頷いた。


 私たちは両親を先頭に沈黙のまま歩く。

 日常で慣れ親しみすぎて何も思わなかったはずの家の中は、今や懐かしいという感情に変わっていることが不思議だ。


「こちらでございます」


 そう言って父がサロンの扉を開放すると女性が振り返った。その人物は。


「ブラッ――」


 私は驚きと混乱で言葉が途切れた。

 というのも、背中まであった髪の毛は肩までの長さになっており、ほっそりとした腰つきだった彼女の身体が柔らかく丸みを帯びていたからだ。妊娠の兆しのお腹の膨らみではなく、からだ全体がふっくらしている。


「……ブラン、シェ?」

「ええ。アンジェリカ。お久しぶりね」


 彼女の口から発せられる声は聞き慣れた声。間違いなくブランシェだ。


「ど、どうしたの。その髪と……体形」


 ブランシェに会ったら言うことを色々考えていたはずなのに、それらが全て吹っ飛び、今一番気になることを口にする。

 彼女は自分の髪に手を当てた。


「髪は売ったの。少しでも綺麗な内にお金にした方がいいと思って。それに印象を変える方が逃亡生活が続きやすいかと思ったの」

「そ、そう。その体形は」

「食べたいだけ食べたらこうなったの」


 食べたいだけ食べた?

 ブランシェは食が細く、いつもあまり食べなかったはずなのに。


「アンジェリカはいくら食べても太らなかったけれど、わたくしは同じように食べたら太ってしまうの。だから意識的に控えていたわ。でも家を飛び出してからは好きなだけ食べるようにしたのよ」


 そうしたらすぐに太ってしまったのだと言う。


「どうして」

「双子なのにわたくしだけが太っていたら嘲笑されるもの。だからずっと我慢していたの。でも本当はあなたみたいにもっと食べたかった。あなたみたいになりたかった」


 どうしてあなたがそんな事を言うの。私だって。


「羨ましかった。あなたは運動だって得意だった。明るくて社交的で友達もわたくしよりずっと多い。わたくしはあなたと比べて劣らないようにと、勉学に励むしかなかった。婚約者だってカーティス様を選んでもらったのに、あなたは必要以上の距離を縮めようとはしなかった。わたくしはずっとお慕いしていたのに。わたくしの方がずっとずっとカーティス様を想っているのに!」


 こんな感情的になっているブランシェは初めて見た気がする。

 私たちは自分に無いものばかりに目を向けて、遠く遠くへと手を伸ばしていたんだ。


「あなたはいつだってわたくしがしたいことができ、欲しいものを持っていた。けれど、あなたはわたくしが欲してやまないものに無関心だった。だからわたくしはあなたのことが――っ!」


 気付けば私はブランシェに抱きついていた。


「ごめんなさい、ブランシェ。あなたの気持ちも考えずにごめんなさい。……わたくしも、皆から期待されて愛されるあなたがずっと羨ましかった。あなたみたいになりたかった」


 ブランシェもまた私に様々な思いを抱いていた。向き合えばその気持ちをさらけ出し合いすることだってできたはずだ。しかし双子という立場で雁字搦めにされていた私たちは、近すぎてお互いが見えなくなっていたのかもしれない。反対側に伸ばした手はそれぞれ空をつかむだけで何も捉えられず。


「ごめんね。ごめんなさい、ブランシェ」

「……っ。ご、めんなさい。ごめんなさい。わたくしもごめんなさい、アンジェリカ。ごめんなさい!」


 私たちは子供のように泣きながら、伸ばした手で互いを強く抱きしめた。

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