第46話 笑っていられるのはそこまで

「そう言えば、私からも聞きたいことがあるのだが」

「はい。何でしょう」


 先ほどから私ばかり尋ねている。本来ならアレクシス様が尋問し、私が答える立場なのに。いつも私を優先してくれる。


「ご家族からの手紙が来た時のことだ。少し表情が硬かったようだったから」


 あの時は手紙を開ける前に、ブランシェがまだ見つかっていないことを願っていたなと思い出す。


「それはブランシェが戻って来たのではないかと不安に駆られたからです」

「不安に?」

「ええ。その頃にはもうアレクシス様に惹かれておりましたから、ブランシェに代わらなければならないのかと思っていたのです。幸い、近況を知らせる旨のみでしたが」

「そうだったのか。……君の婚約者のことは?」


 アレクシス様は少し痛ましげに目を細めた。

 私の婚約者と妹が駆け落ちしたから、私が傷ついていると思っているのだろうか。


「婚約者に関してはあの時に言った言葉が全てです。わたくしたちの関係は知人以外の関係などありませんでした。一方、妹はわたくしの婚約者に想いを寄せていました。ですから妹と駆け落ちしたと聞いた時もそうなのかと事実をそのまま受け止めただけです。信じていただけますか?」


 そう尋ねると、アレクシス様は私を真っ直ぐに見つめて頷いた。


「わたくしは。わたくしはブランシェに劣等感を抱いておりました。わたくしたちは姿形はそっくりなのに、ブランシェは天賦の才も親の期待も気立ても全て持っていました。わたくしはそんな彼女を羨みもしましたし、妬みもしました。けれど妹は妹なりに親の、周りの大きすぎる期待に苦しんでいたのでしょう」


 私はそこで自嘲する。


「ブランシェはそんな彼女を見て見ぬふりをするわたくしに断罪を下したのだと思いました。先ほどわたくしは家のために身代わりになったと申しましたが、本当は戻ってきた彼女にその断罪を返すためです」


 アレクシス様は私の話を黙って聞いてくれる。私の思いを全て受け止めようとしてくれているように。


「少なくとも最初はその気持ちでした。けれど高潔なアレクシス様を前にしていたら、自分の考えが浅ましく思えてしまいました。わたくしはアレクシス様が恥じぬような人間になりたいと思うようになりました」


 私はこのパストゥール家に来て、ほんの少しぐらいは成長できたのではないかと思う。


「ですから妹が戻ってきたら、笑顔で迎えてあげたいと今は思うのです」

「そうか」

「はい。――あ。ところでお話は変わりまして。わたくしが意識を失う前、誰か支えてくださった方がいた気がするのですが、どなただったのでしょう。お礼を申し上げておりません」


 テオフィル様だったのだろうか。力強い腕だった気がするので、ボルドーさんではないと思うが。


「ああ。ディオンだな。心配するな。君の代わりに燃やしておいた」

「え? 燃やし?」


 燃やすわけがないし、お礼を言っておいたということだろうか。

 何の聞き間違えをしたのだろうと考えていたところ、扉から控えめなノック音が聞こえた。

 アレクシス様は少しばかり身体重そうに立ち上がろうとするので慌てて止める。


「わたくしが参ります」

「いや。大丈夫だ」


 私にそう言い残して扉の方へと歩き、わずかに開けると誰かと話していたが、こちらへと振り返った。


「食堂に朝食の用意ができたそうだが、食べられそうか?」

「はい! わたくしは食欲旺盛なアンジェリカですから」


 実は慣れぬ膨大な魔力を一度に使ったせいで、お腹と背中がくっつきそうなくらい空腹を感じていたのだ。

 アレクシス様はそれなら安心だと笑った。



 ――しかし。

 アレクシス様が笑っていられるのはそこまでだった。腕を怪我した彼に私が食べさせると買って出たからだ。

 食堂にはご友人もいるし、少数だが部下の方々もいる。おまけにボルドーさんは私を咎めることもしない。グレースさんが言っていた。ボルドーさんもアレクシス様の奮闘に内心面白がっていたと。意外と遊び心がある方なのかもしれない。


「いけませんか?」


 瞳を潤ませて上目遣いで尋ねると、アレクシス様はうっと言葉を詰まらせた。


「せ、せめて食堂ではなく個室で食べさせてもらえないだろうか」


 皆の視線が集中し、針のむしろになったアレクシス様は妥協案を提示してきたので私は承諾することにした。粘って司令官としての彼の威厳を崩すわけにはいかないから。

 周りの人々は少し残念そうにしていたが、私たちは部屋へ移動し、お料理も移動させてもらうことにした。


「はい、アレクシス様、お口を開けてください。あーん」


 アレクシス様のすぐ横に座った私は彼の口元にスプーンを寄せる。

 かなりの怪我を、しかも腹部に損傷を負ったアレクシス様に固形物は駄目だろうということで、少しのスープが用意された。本人はほぼ治癒されていて食事する分には問題がないと言っていたが念の為だ。


「楽しんでないか?」

「あら。これは食事の介助ですわ」


 にこにこの私を見てそう思われたのだろうか。確かに困っているアレクシス様のお姿を見るのは少しくらい楽しいとは思うが。少しくらいね、ほんの少し。


「しかし君もお腹が空いているだろう」

「わたくしのことなどお気になさらずに。はい、あーん」


 戸惑いで眉をひそめながらも逃げられないと悟ったのだろう。アレクシス様は諦めの中、素直に応じるとスプーンを口に含んだ。

 その様子を見ていると愛おしいという言葉で胸がいっぱいになった。きっとこれから色んな顔のアレクシス様を見ていくことになるのだろう。


「はい、アレクシス様。あーん」

「……まだ続くのか?」


 続いてスプーンを寄せる私にアレクシス様はますます困った様子だ。


「はい、もちろんです。これからお家でも毎日お手伝いいたしますね」

「ま、いにち?」


 愕然と目を見張るアレクシス様に私は吹き出した。

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