第41話 わたくしはアレクシス様の妻です

「ア、アレクシス様が、アレクシス様が何ですって?」

「奥様。あなた様はお部屋に。ライカ、お部屋にお連れしなさい」


 玄関口まで駆け付けた私にボルドーさんは冷静にライカさんに指示を送るが、彼女は私の気持ちを慮ってためらいを見せた。

 その隙に私は騎士、テオフィル様に詰め寄る。


「わたくしはアレクシス様の妻です。どういう状況なのかを順を追って、かつ簡潔にご説明ください」

「は、はい。本日の密輸取引摘発は極秘に進められました。しかし勘づかれたのか、密告者がいたのか現在は調査中ですが、我々の動きを察知した相手が罠を仕掛けました。不審物には爆薬が詰め込まれており、それに一人が不用意に近付いたのです。大規模な被害が予想されるほどの爆発力でしたが、司令官が最小限に抑えてくださいました。ですがその結果、致命傷を負われ……」


 致命傷。命にかかわるほどの……負傷?

 ――駄目! 動揺している場合じゃない。

 私は震える自分の両手をしっかりと握りしめた。


「分かりました。それで今、アレクシス様はどのような状態なのですか。治療は」

「現在治療中ですが意識不明の重体で、予断は許さない状況です。施設では優れた治癒師も医師もおらず、パストゥール家から医師を派遣していただこうと参りました」


 話を聞いていたボルドーさんはすぐに医師を手配するよう、侍女さんに指示を送るとテオフィル様に厳しい表情を向けた。


「医師は追ってすぐに現地に送ります」

「ありがとうございます。では私は戻りますが、同行されますか。馬一頭で参りましたので、お一人なら同乗いただくことは可能です」

「は――」

「はい。私が一緒に参ります」


 返事をしようとしたらボルドーさんに先手を打たれてしまった。


「侍従長、わたくしが参ります。わたくしも少しは治癒じゅ――」

「奥様はここでお待ちください」

「っ」


 ここで争っている時間はない。別の馬を用意しよう。

 振り返ると、ただならぬ事態に気付いて集まっていた皆の中でグレースさんと目が合う。


「侍女長、馬を。ラウラを準備させてください」

「はい。かしこまりました」

「侍女長、待ちなさい。奥様にはここでお待ちいただく」


 ボルドーさんがグレースさんを引き止めると私に視線をやる。


「奥様はここで旦那様のご無事をお祈りください」

「わたく――」

「奥様は主人が不在の際にパストゥール家を守る女主人なのです」

「今、そんなこと」

「ご自分の立場にご自覚を」


 ボルドーさんは私の言葉を容赦なく遮って切り捨てていく。

 こんなことで彼と押し問答している場合ではない。早く。一刻も早くアレクシス様の元へ駆けつけなければ。


「あなた様が今なすべきことはパストゥール家の女主人としての役割を全う――」

「っ、ボルドー!」


 焦りといら立ちを握りつぶすように自分の手を強く握りしめ、お腹の底から叫ぶと自分の声で静まりかえった辺りが震えたように響いた。あるいはそれは私の体の震えだったのかもしれない。

 私は驚くボルドーさんを見据えた。


「わたくしはアレクシス様の妻です! パストゥール家と結婚したつもりはありません。家は人と共に生き、人と共に絶え果てるのです。主人のおらぬ家を守ったところで何になりましょう。わたくしは妻としてお側につき、あらん限りの力を尽くしてアレクシス様のお命を必ずやお守りいたします!」


 言い切るとボルドーさんは目を見開いて言葉を失った。私は構わずそのままグレースさんに視線を移す。


「侍女長、ご準備をお願いいたします」

「はい。かしこまりました。直ちに」


 グレースさんは今度はすぐに準備をしに立ち去った。一方、私はボルドーさんへと視線を向ける。


「侍従長、あなたもいらっしゃるのならご準備ください」

「……はい、承知いたしました。奥様」


 ボルドーさんもまた時間が惜しいと思ったのか、もう私に反論することなく、遵うことにしてくれたようだ。

 私は玄関でまだ待機してくれていたテオフィル様に向き直る。


「テオフィル様。お見苦しい所を大変失礼いたしました。ご案内のほどよろしくお願いいたします」

「い、いいえ。本来なら私どもが司令官をお守りする立場であるにもかかわらず、司令官に庇われるどころか重傷まで負わせてしまい、誠に申し訳なく……」

「テオフィル様、お顔をお上げください」


 項垂れるテオフィル様に声をかけた。


「嘆き悔やむより、部下を庇ったアレクシス様を敬っていただける方がわたくしも誇らしく思いますし、アレクシス様もきっと嬉しく思われることでしょう」

「……はい。ありがとうございました」


 と、その時。


「奥様、ご準備が整いました」


 グレースさんの声が外から聞こえる。


「ありがとうございます。――では参りましょう」


 外に出ると、ラウラは思いの外、グレースさんに素直に付き従っていた。

 以前、アレクシス様は自分しか乗せないと言っていたが、おそらくラウラはグレースさんを怒らせたら大変だということを本能的に感じているのかもしれない。賢い子だ。

 一方で、以前はアレクシス様が付き添ってくれていたから私に従っていたラウラだが、本日アレクシス様はいない。私の指示に従ってくれるだろうか。――いや。彼女に協力を仰ぐしかない。


「ラウラ。アレクシス様が大変なの。今からわたくしが助けにいきます。あなたもわたくしに力を貸してくれるわね」


 ラウラの横に立って撫でながら話しかけると、彼女は私の思いに答えてくれたように鳴き声を上げた。


「ありがとう。よろしくね」


 そう言って私はラウラに乗り上がった。


「では行きましょう。テオフィル様、お願いいたします」


 既に準備ができていたテオフィル様とボルドーさんに視線をやる。


「はい。参ります」

「奥様、どうぞお気をつけて」

「ええ。ありがとうございます。行って参ります」


 グレースさんやライカさんらに笑顔で挨拶を残すと私たちは出発した。

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