第36話 ※アレクシス視点(7):もしその時は

 朝、いつものように廊下でディオンが絡んできた。

 今日もきっと朝から部屋までついてくるだろう。


「昨日はどうだった?」


 並んで歩く彼が小声で尋ねてくる。


「ああ。妻は一日楽しんでくれた。ディオンが教えてくれた店も美味しくて幸せだと言っていた。ありがとう」


 料理も堪能していたようだし、町の散策も楽しそうにしていた。

 家で二人ゆっくりと過ごす時間も良かったが、知らぬ土地で心細さもあっただろうからこの町をもっと知ってほしかったし、楽しんでもらいたかった。

 花飾りを私が選んだ時には泣き出されて驚いてしまったが、結果的には喜んでくれた。彼女が最初望んだ色ではなかったが、嬉しいと言ってくれた言葉に嘘はなかったと思う。


「そっちじゃなくて!」

「冗談だ」


 小さく笑みをこぼすと、廊下で足を止めて敬礼を取る部下にご苦労と目礼を返す。


「お前さあ。結婚したんだから、笑うなよな!」

「は?」


 いきなり何の話だ。

 ディオンは、話が唐突すぎるきらいがある。


「人気を俺と二分どころか、半分以上お前に持って行かれるだろ! 女性どころか男にも」


 何を言っているんだ、この男は。

 思わず眉をひそめた。


「畏怖で近寄りがたいが、蔑むようなその目もいいとか言われている上に、ふとした瞬間の穏やかそうな笑みまで見せたら向かうところ敵なしだぞ、お前」

「そうか」


 よく分からないが、真剣に聞く話ではなかったらしい。

 適当に流して部屋に入ると当然続いてディオンが入ってくる。

 ディオンに与えられている部屋よりも私の部屋にいる方が長いのではないだろうかとさえ思ってしまう。


「で、アレクシス。話を戻して昨日のことだが」

「ああ。表面上は活気のある町にしか見えないが、お前の報告通りどうにもきな臭い雰囲気が漂っていたな」


 席に着きながら答えた。

 相変わらず机には書類が山積みされている。しかしこれ以上の急務はセントナ港の保安強化だ。


「警備体制を変えるつもりなので視察に行く」

「誰かを派遣すると言っていなかったか?」

「いや。実際の目で見た方がやはり確かだ。付いてきてくれるか」


 自分では見落とすような所があったとしても彼が一緒なら拾ってくれるだろう。


「ああ。分かった。通達を出しておくか」

「そうだな。通常の現場を見ておきたいところだが、揃えておきたい書類や準備などあるだろう。数日の内に行くと出しておいてくれ」

「了解。――ああ、そうだ。ところで」


 ディオンは分かりやすくからかいの笑みを見せる。

 話を仕事から私語に変えたいらしい。


「何だ?」

「奥さんとは仲良いみたいだけど、彼女、昔のこと思い出したのか?」

「いや。そんな素振りはない」


 私が聞かないから余計なのかもしれないが、過去のことは一言も口にしたことがない。高熱が続くと脳に影響を与えることがあると言うが、彼女もまさにそれだったのだろう。


「え? そうなのか? ……へぇ。これだけ一緒にいたら少しぐらい思い出しそうなものだけどな。って言うか、お前はあれからも聞いてないのか?」

「ああ」


 いい加減聞けよなとディオンは苦笑いした後、何かに気付いたようでふと笑みを消す。


「やばい。俺、今、大変な可能性に気付いたんだが……。お前が昔、会ったという少女、実は別人だったんじゃないのか? 彼女は双子の姉妹なんだろ。もしかしてお前が会ったのは姉の方だったんじゃないのか」

「いや。それはない」


 ……確かに違和感を覚える所が無いとは言わないが。


「即答か! でもお前も幼い頃だったわけだし、記憶もあいまいだろ。もしお前が昔会った少女が彼女じゃなかったらどうする?」

「いや。それはない」


 再び否定するがディオンは食いついてくる。


「もしだよもし! もしそうだった時はどうするんだ。双子は感覚を共有できると言うぞ」

「感覚を?」

「ああ。相手の危機は特に分かるらしい。例えば一人が痛みを感じると、もう一人も痛みを感じるとか。それぐらい双子というのは近い人間なんだ」

「……そうか」

「今、ちょっと揺らいだだろ?」


 だから面白がるなと。

 しかしもし間違っていたとしたら。



「お帰りなさいませ、アレクシス様」

「ああ。ただいま」


 ブランシェは昨日贈ったばかりの髪飾りをつけて出迎えてくれた。

 今朝はつけていなかったし、家宝にするなどと言っていたから、ここのまま披露されることなく棚の奥に眠るものだと思っていたからやはり嬉しい。

 首に沿って一筋二筋の髪が垂らされ、まとめた髪に赤い花が咲く姿は色気すらある。

 そんなブランシェを黙って見下ろし続ける私に、彼女はうずうずした様子を見せる。

 これは私の感想待ちということだろうか。何か気の利いた言葉で返さなければと悩んでいたが。


「い、いかがでしょうか、アレクシス様」


 痺れを切らした彼女が先に口を開いた。


「あ、ああ。とても良く似合っている。綺麗だ」


 促されて思いのそのまま口に出てしまった。

 結局の所、ディオンが女性に使う粋な言葉はかけらも思い浮かばなかったが、私のつたない言葉にも彼女は髪に付けた赤い花飾りよりも華やかな笑顔を咲かせる。


「ありがとうございます」

「ああ」


 真っ直ぐ見つめてくる彼女の笑顔が眩しくて思わず視線を外したら、ボルドーや侍女らの微笑ましそうな表情が目に入ってしまい、ごほんと咳払いした。


「ではアレクシス様、お鞄をお持ちいたします」

「……ありがとう」


 後ろをついて歩いて来ようとするブランシェを横に並ばせながら、彼女を見つめる。その視線に気付いたようだ。


「あ、あまり見つめないでくださいませ。恥ずかしいです」

「ああ、悪い」


 頬をうっすら染めるブランシェから顔を正面に戻しながらも横目で彼女を見ると、目が合った。彼女は彼女でこちらを見ていたらしい。しかしすぐにそっぽを向いてしまった。

 そんな彼女に笑みがこぼれる。


 ――もしお前が昔会った少女が彼女じゃなかったらどうする。


 ディオンの言葉をふと思い出す。

 もし私が勘違いしていたならば、その時は。

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