第23話 ※アレクシス視点(4):よろしく

 夕食の時間が始まる。

 準備が整ったとサロンから呼び戻されたブランシェは、お待たせいたしましたと礼を取った。

 かすかに笑みをたたえている彼女からは怨みの念はみじんも感じない。私たちの結婚は無理に変更された政略結婚ではあったが、やはりディオンの言う通り、元婚約者とは恋愛関係になかった分、私に対して不快感は少ないのだろうか。


 ――今言ったことを彼女に直接聞けば?


 ディオンの言葉を思い出すが、私は彼女を困らせたいわけではなく。


「あの、アレクシス様?」


 料理が並べられてもいつまで経っても食事を開始しようとしない私に、彼女はおずおずした様子で声をかけてきた。


「ああ、悪い。それでは頂こう」


 食事前の挨拶をすると、彼女もまた倣って繰り返した。

 最初は戸惑っていたところに鑑みると、実家では食事前の祈りの挨拶は違うのだろう。それでも彼女は私に合わせてくれる。そんな単純なことが嬉しい。


「アレクシス様、美味しいですね!」

「ああ。美味しそうだ」


 自分の味の感想ではなく、彼女が美味しそうに食べている姿の感想が口からもれた。

 食事中は注意を払わなければいけない時間だ。つい気が緩んでしまう瞬間だから。


「君の婚約」

「え?」


 食事を堪能していた彼女は私の言葉に顔を上げる。


「――あ、いや。君の姉のアンジェリカ嬢だが」


 そこまで言うと彼女は驚いたように目を見張って全ての動きをぴたりと止めた。

 もしかして彼女の姉のことを口にするのはタブーだったのだろうか。そういえば、結婚式では体調を崩したアンジェリカ嬢が急遽不参加になることへの謝罪を受けた。


「な、何でしょうか」


 ブランシェが無理に笑顔を作っているのが分かる。

 しかしここで話題を急に変えて流すだけの話術もなく、そのままやむなく続行する。


「結婚式の際、ご不調だったようだが、その後は回復されたのだろうか。こちらから何の挨拶もなく失礼していると思い」


 最初式場で軽く顔合わせしたが、式が終わり、出立の際にはまだ回復されていないようで挨拶もできなかった。


「あ。い、一時的なものだったようです」

「そうか。それは良かった」

「お気遣いいただきありがとうございます。こちらこそ姉が欠礼いたしましたことを改めてお詫び申し上げます」

「いや。悪い。謝罪してもらうために言ったわけではない」


 表情が強ばる彼女に申し訳なさを覚えた。最後の挨拶をしていなかったから私に対して無礼な行為を働いてしまったと思ったのだろう。そういう意味ではないことを理解してもらうため、さらに話を続けることにする。


「あー。ところでアンジェリカ嬢の婚約者だが」

「……は、い?」


 まずい。話を途中で途切れさせるのはよくないようだ。彼女の顔色が白くなってきた。


「その。お二人は仲が良いのだろうか」

「…………はい?」


 早口で尋ねると、聞き取れなかったかのように彼女の反応は鈍い。しかし多分聞き取れなかったわけではないのだろう。私が何の答えを求めているのかが分からないに違いない。

 私は返事を待たず、話を続ける。


「私たちの婚約期間は短くすぐに結婚したが、通常は婚約期間を長く取って互いを知ってから結婚するものなのかと考えた」

「あ……ああ。――いえ。確かに姉と婚約者は数年の婚約期間を経ていましたが、親密とは言いがたかったように思います。強いて言うなれば二人の関係は『知人』だと」

「知人」


 ずいぶんと素っ気ない言い方をするものだ。


「ええ。ですから時間の長さが問題ではなく、互いに気持ちを向け合うことが重要なのでないでしょうか」

「ああ。そうだな」


 私が頷くと彼女はようやく笑みを取り戻し、その後は和やかなままに食事が進行したように思う。

 食事を終えて部屋に戻ろうした時、廊下にいたボルドーと目が合ってしまい、分かっていると視線だけで追いやった。


 そして今、ブランシェの部屋の前だ。

 ノックをすると侍女のライカが驚きの表情で応対し、ご準備がご準備がと狼狽していたが、下がる旨を伝えるとブランシェに何かを言い残し、礼を取ると去って行った。


「ブランシェ」

「は、はい。あの。あの。あの。ご、ごきげんよう!」


 予告なしの訪問は、ブランシェを動揺させるには十分だったようで、同じく慌てふためいている。


「私は今日からここで休ませてもらう」

「は。え、あ、え。あ。あのわた、わた、はあの」


 何か言いたいらしいが言葉が出てこないようだ。

 その様子を見ていると何だかおかしくなった。


「私は君との距離を無理に詰めたいわけではない。君は先ほど時間は問題ではないと言ったが、それでも気持ちを向け合うための時間は必要だと思う。私は君との時間を取りたいと思っている。……ただ、心配する人間もいるもので、ここで休ませてもらいたいだけだ」


 言葉足らずだったと思うが、どうやら彼女は私が言いたいことを理解してくれたようだ。


「ええっと。……あの。ね、寝相が。寝相が悪かったら申し訳ありません。つまり。ええと。よ、よろしくお願いいたします」


 言うことに欠いてその言葉とは。

 耐えきれず吹き出してしまうと、彼女は赤く染めた頬を膨らませた。


「悪い悪い。こちらこそよろしく。ではもう休もう」

「……はい」


 謝罪すると彼女は怒りを収めて小さくなった。

 そのままベッドの中に入るよう促すと、彼女は寝返りを一回打てば落ちる端まで寄っていたのでもっと中央に寄るようになどと、余裕を見せた。

 ……つもりだったが、情けないことに彼女の香りをすぐ近くに感じてその夜は眠れなかった。

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