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 翌日の朝五時過ぎたころに、美咲は自室で目が醒めた。

 実家に帰ってきてもう五か月になり、リモートワークにも慣れたせいか、ずいぶんと生活リズムにムラがある。翌日朝までに仕上げればよい仕事などの場合、夜中まで先延ばしにしたり、または翌朝はやくに目覚まし時計をセットしておいて、起床してから作業を再開し、ファイルを送信するのは締め切り時間ギリギリになったりもする。

 今日は別に仕事を残しているというわけではないのだが、昨晩早くに眠たくなってしまい、そのまま寝たので結果的に早起きになってしまったらしい。

 美咲はタバコに火を付けて灰皿を手に持ち、ベッドの上で胡坐をかいた。

 カーテンの隙間からは、すでにじゅうぶん明るくなった朝の太陽光が漏れている。もちろん母はまだ起きていないだろう。

 朝食の時間まで、動画サイトを見て時間を潰そうかとスマホを取り出したが、そういえば回覧板の文書をまだ印刷していないことを思い出した。

 ノートパソコンの電源を入れ、キヤノン製のプリンタをUSBに接続する。

 そして、集会所で作成した文書を表示させた。

「印刷」ボタンを押し枚数設定をすると、紙がプリンタに吸い込まれ、そして印字されたものが出てくる。

 回覧板も、やっかいなものだな、と思いながら、美咲は今年四月上旬に、実家に帰ってきたばかりのことを思い出した。


「美咲ちゃん、パソコンでやってほしいことがあるんじゃけど」

 実家に帰ってすぐのころ、敏子が唐突にそう言って小型の八ギガバイトのUSBメモリを手渡してきた。USBメモリの裏型には、「第二新光集落 自治会」と細い油性マジックで書いてあった。

「なに、これ?」

「お母さんもよくわからん。先週の自治会のくじ引きで、お母さんが書記ということになったんじゃけど……。要するにパソコンで書類を作らにゃいかん仕事なんやけど。USBって何かわかる?」

「そりゃUSBはわかるけど、なかに何が入ってるの?」

「わからん。だってお母さんには、USBっていうのが何かもわからん」

 ずっと生保レディをやって対人スキルだけを頼りに生きてきた母は、昔から機械に弱かった。電子レンジの温め時間指定さえまともにできず、レンジのふたの向こうで回転する皿を眺めて温まるのを待っているようなありさまだった。

 USBメモリがウイルスに感染している可能性はゼロではないが、見てみないことにはわからない。

 パソコンに接続して中を見ると、いくつかのフォルダに分けられていて、フォルダには「平成○○年自治会連絡網」や「平成○○年お知らせ文書」という名前が付いている。フォルダを開くと、なかはたくさんのワープロソフトの拡張子が付いたファイルがあった。

 いくつか開いてみると、「自治会長よりお知らせ」みたいなものばかりだった。

 敏子に書記担当役員の仕事内容を聞いてみて、ようやくこのファイルは前年までの書記担当が作成した文書を保存したものであることがわかった。誰が作業したのかはわからないが、データ化される以前の文書も、PDF化されて大量に保存されている。

 規約により、自治会で作成した文書は保存しておく義務があるらしく、十年近く前からは紙の文書ではなくデータとして保存することになったらしい。

 書記担当は必然的に簡単なパソコンスキルを要することになる。

 もちろん年輩の住人にはパソコンを一切使えない人もいる。敏子もその一人だった。なので、そういう人間のあいだでは、役員に当たるにしても書記だけは絶対に当たりたくないと、敬遠されているようだ。

 敏子は、今年度の役員名簿と班長の連絡網だけは、今週中に作成しなければならない、と美咲に言った。

「お願い、お小遣いあげるけん」

 敏子は我が子に懇願するように手を合わせ、財布のなかから一万円札を出して手渡してきた。

「別にいいよ。簡単な作業だし。去年の役員名簿のデータがあるみたいだから、それを今年の役員に書き換えればいいだけでしょ?」

 美咲はそう言ったが、敏子は一万円札を美咲に押し付けてきた。

「で、今年の役員の名前と連絡先は? それがわからないと、名簿の書き換えもできないけど」

 敏子は手のひらくらいの大きさのノートを出して、今年度の役員を手書きで書いてあるページを開いた。

「じゃあ、これ借りていくね。ちょっと時間かかると思うけど」

 約三十分後に、リビングにいる敏子に印刷した役員名簿を示すと、

「もうできたん?」と敏子は驚愕の表情を見せた。

 簡単な作業なのに、母にとっては三十分で文書を作ることはとんでもない難業と感じたらしい。母にやたら賞賛され、美咲は自分が魔法使いにでもなったような気分になった。



 八枚の紙の印刷を終えた。それを揃えてプリンタの上に置く。

 どうしよう、もうひと眠りしようか。

 そう思いタバコの火が消えてることを確認してもう一度布団に入って目を閉じ、うつらうつらしていると、遠くからパトカーのサイレンが聞こえてきて、だんだん近づいてきた。続いて、救急車の音の聞こえてくる。

 パトカーも救急車も、美咲の家の前を通り過ぎて行き、そしてその後停止した。

 どうやらすぐ近くで何かあったらしい。

 九月二十三日、秋分の日。間もなく美咲は、第二新光中央公園で、男の死体が発見されたと知ることになる。

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