00:00.30

朝が来た。何度も訪れた朝だ。


6時38分、市ノ瀬巡は目を覚ます。自分の部屋のベッドから起き上がり、用を足し、顔を洗い、リビングの食卓に座る。予め用意されていた朝食を、ニュースを横目にしながら頂く。また留徒による犯罪が行われたようだ。食べ終わり、歯を磨く。叔父も叔母も既に仕事に出かけている。そして、今度は部屋に戻り、制服の袖に腕を通す。鞄を取り、両親の写真の前に行く。


「行ってきます」


そう呟くと、玄関に行き、靴を履き、扉を開ける。時刻は7時14分。大方、いつも通りだ。後は毎日決められた時刻にやってくる電車に乗って、何度も見た景色を今日も見る。2年と1ヵ月、ずっと同じだ。別に不満を感じているわけではない。刺激が欲しいわけでもない。両親を異形に殺された自分を引き取り、ここまで育ててくれた叔父と叔母には心の底から感謝している。ただ、何かが足りない。俺は、美しく生きたい。


「盾の過徒になりたい⁉」

「はい」


ある程度は予測していた反応にそう巡は答える。5月中旬の今日は進路に関する面談がある日だった。参ったなという顔で担任の佐藤は眼鏡を机に置いた。


「いや、今の時点でなりたいものがあるっていうのは大変すばらしいことだとは思うよ。ただ、過徒はなぁ……。どうして、また?」


「今から14年前、あの異形に両親を殺されました。その時、ある過徒に自分は救われました」


「ほう」


中学三年生になって初めて面識をもったこの先生は少し背を正した。薄くなった頭が少し光る。


「その時の自分はまだ一歳でした。しかし、不思議と覚えているんです。その時、助けてくれた過徒の方の必死な表情を。その方の名前はおろか、今どこにいるのか、生きているのかすらもわかりません。しかし、それを今考えると美しいと思ったんです。お互いに知らない者同士なのにお互いの記憶にあり続ける。そして、何より、人を助けるという行為が」


少しだけ声に期待を滲ませて巡は語った。


「そうか……。ご両親のことは非常に残念なことだったと思う。しかし、だな。過徒に、しかも盾の過徒になるということは……」


「自ら死にに行くようなこと。過徒は留徒、異形との闘いで命の保証は全くない。まともな人間ならそのようなことは考えないし、そんなリスクの高い道をわざわざ選ぶ必要はない、ですか?」


失望した気持ちを隠しながら、巡は何度も見た、聞いてきたセリフを述べた。


「あぁ、そうだ。確かに、無事に任期の4年を全うすれば、その後の生活はそれなりに安泰するだろうさ。だが、何もお前さんがそんな危ない橋を渡る必要はないだろう? それにお前さんなら、光胤だって目指せるだろうに……」


その後、20分、先生の話に相槌を打ち続け、ようやく解放され、巡は下駄箱に向かった。


「どうだった?過徒にはなれそうですかい?」


そこで待っていてくれていた萩原俊介が話しかけた。

靴を履きながら、巡はただただ首を振った。


「ま、そうだよなー。うちの学校としては何が何でもお前に光胤に行ってもらわないと困るからそう簡単に賛成してくれないよな。流石は自称進学校」


二人横に並んで、学校前の坂を下っていく。少しばかりの間、沈黙が続く。まるっきり別のことを話そうかと思ったが、対して話題が思いつかなかった。


「でも、俺はやっぱ過徒になりたい」

「わかってるって。昔からそればっかり言ってたじゃんか」


萩原にだけはこのことを話していた。小学校低学年の時だっただろうか。あの時、小学生にとって過徒は憧れの存在で、ヒーローだった。休み時間は過徒の真似をしてみんなで遊んでいた。大人たちはそれを見て笑ってくれていた。なにも難しいことを考えないで自分の夢を語ることができた。小学生の時は巡の方が高かった身長も、いつの間にか萩原に追い越されていた。


「でもよ、まじめな話、学校の方は適当にあしらっとくとして、叔父さんと叔母さんには何て言うんだ? まだ話してないんだろ?」


彼の言う通り、健次叔父さんと志保叔母さんには話していない。あの事件から過徒やら異形やらの話題はあまりされなかった。だから、言い出しにくいということもあったが、何よりも確実に反対されるだろう。自分は奇跡的に助かったものの、何しろ自分の両親、つまり叔父さんの兄と義姉は異形に殺されているのだから。


「ああ、いつまでも黙ってちゃいられないよな……」


そう思いながら何年も過ぎた。叔父さんたちはこのことをもしかしたら知っているのかもしれない。今までの保護者面談の時に先生から言われてもおかしくないはずだ。それでも向こうからそれに関することを聞かれたことは今までに一度もなかった。


「大丈夫。きっとわかってもらえるさ」

「うん」


終わりの合図だ。今までも何回もこの話をしてきたのだから、今更新たにしゃべることはない。しかし、決して見放されているわけではないということは分かる。最終的に、この時計の針を進めるのは自分だ。お互い、それを分かった上で、このお決まりのセリフを告げる。


(今日だ。今日言おう)


秒針が軋みながら、ゆっくりと動き始めた。

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