第2話 熊本移封

十二月、大殿、殿は肥後熊本に移られた。まこと嵐のような半年であった。


求菩提山護国寺の計らいで道は繋いだ。

船も手に入れた。船頭、船子は来島衆に任せた。

残っているのは金子の事だけ、金は借りれば良いと言われるが・・・


これは後の話だが、熊本城の普請と称して借りた金を回して下さった。

見える所だけチョイチョイと手直しされたそうだ。

殿はいまだ城下の「花畑屋敷」に住まわれている。申し訳ない事だ。


  *****


五つ、武士から商人へ・・・

助っ人が来た。上は番頭から下は丁稚まで・・・

会社で言うなら営業部、摂津国の大店で番頭を勤める左衛門さんがやって来た。

細川藩御用達の丸投げ・・・とは言っても監視役が居なくてはと、ご老体の兵衛さんにお役が回った。

裃なしの着流し、下がスウスウすると嘆いておられる。

新しく店が開いたので、興味津々、訪れる客も居る。

「よくぞ来られた」と、兵衛様。張り切っておられるのは分かるが客が引いている。

手代の両介さんが「よくぞ来られた グフッ グフッ」と、口を押さえて奥に引っ込んだ。


「間合いがございます。眼光鋭く近くによれば客は帰ってしまいます。」

左衛門さんが説明している。社員教育も始まったばかり、やれやれ・・・

この後、兵衛様はご隠居様になった。帳場の奥で目を光らせている。


左衛門さんを筆頭に、番頭、手代から丁稚に至るまで、さすが選び抜かれただけはある。

あれよと言う間に店が仕上がってしまった。

今で言うカタログ販売、入用な物は大店から送られて来る。


平太さん、丁稚ながら侮れぬ。

早朝、店の前を掃除し箒で筋目を書いている。筋目は道行く人の目線が店の暖簾に向くよう付けられている。まだ親が恋しい年であろうに、大人に負けない気働きをしている。

後年、助どのの片腕となって番頭を務める事になる。


 *****


セッコク風嵐、モッコク風嵐、求菩提の山から天狗が来るぞ・・・


一日二十里、日の出から日の入りまで我らは繋いで走る。

東海道、山陽道と違い、ここは山が多く獣や賊も出る。香春から先は道などあって無いようなものだ。

我らが運ぶのは殿、大殿、江戸表の御嫡子光尚様の文のみ、家中の誰にも知られてはならぬとのことだ。


ご城下を出て採銅所を過ぎ、香春までは店の者が文を運ぶ。

この道は秋月街道、久留米に繋がる道でそれなりに人の往来がある。

香春を過ぎてから先が我らの受け持ち、日田に続く山道になる。

日田を抜け、五馬市を通り、亀石峠を越えれば小国、肥後熊本だ。

阿蘇の外輪山を越えれば内牧、我らの新しい里がある。修験者姿はここまで・・・


冬の阿蘇は寒い。体の芯から凍えてくる。温石を懐に入れているが気休めにしかならない。

誰一人通らない草原をひたすら歩く。


「三郎、なぜここに来た。」四郎二郎が顔をのぞき込むようにして聞いてきた。

「恩返しだ。父上が患った時、医者を送って下さった。ひもじい思いをせぬよう銭も下さった。それに三男坊だ。食い扶持は自分で稼がねば・・・」

四郎二郎は読み書きが出来る、馬にも乗れる、剣術も強い。良い家の出のようだ。親は何をして居るのか聞いてみた。

「親はいない。弟と二人、爺様の道場で育った。朝、経を読み武術を習う、昼間は畑仕事、夜は四書五経。

あれこれ考える間もなく一日が過ぎた。飯も食えた。腹を空かせて泣かずにすんだ。

先代のお館様が「武士の子が字も読めず、作法も知らず、無頼の徒になっては死者に顔向けできぬ。我らは一心同体、女・子どもを見捨てては三途の川を渡れぬ。」と言われたそうだ。

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