第3話 依頼

 哲也が『ナイト』に実習に来てから早一週間が過ぎた。


「えーとこれから、ビジネスマナーの研修を行います」


他の福祉事業所で数年働いてきて、龍司に引き抜かれて『ナイト』にやってきたという、風間という20代後半の、若干ギャルを連想させる顔つきの顔面偏差値の高い女性の先輩に哲也は何度か夜のおかずにしており、ここをやめたらLINE交換するか真剣に悩んでいる。


(あーあ、人の世話をするのって大変だぜ。でも、ボケてるジジババ相手よりかは遥かに楽だがな……)


哲也は、『ナイト』にいる面々を見て、「やはり障害者はクソだな」と、人として決して思ってはいけない感情を抱いている。


『ナイト』の利用者は15名程で内訳は精神障害者が12人で軽度の知的障害とアスペルガーがいるのだが、全員が真面目に訓練を受けている筈がなく、一人一台のノートパソコンが渡されるのだが、大半の人間が動画や匿名掲示板の閲覧をしており、それを職員達は知っているのだが、注意をせずに見て見ぬ振りをしているのである。


(この子、いつも同じ風景を見ているな……)


哲也は利用者の中の一人、柏森静香がいつもパソコンで見ている風景が何だろうなと気掛かりな様子である。


「檜山さん、ちょっといいかな?」


ビジネスマナー研修の準備を哲也は風間としていると、龍司が声をかけてきた。


****


龍司に個別面談室に呼ばれた哲也は、「どうせ首なんだろうな」と半ば投げやりに椅子に座り、何かを言いたそうな瞳をしている龍司を見ている。


「話なんだけどね……あのね、檜山さんやっぱちょっとこの職場に向いてないと思うんだ。障害者の世話をするのって、慈愛の心でやらないといけないからね、それをあまり感じられなかったんだ」


「は、はぁ」


どうせ思った通りこうなんだと、哲也は生返事をする。


「ただね、最後にチャンスをあげる。利用者に柏森さんっているだろ?あの子はいつもパソコンで特定の風景しか見てなくて、軽い精神障害なんだけど、何故この風景しか見てないのか原因がわかったらここで採用していいかどうか決めるからね」


龍司はニコリと微笑むと、その場から去っていった。


「は、はい、分かりました……」


(んな、ある特定の風景しか見てないから原因を探れって言ったって、分からないよこんなの。でも、働かなければ生活は困窮してしまうからなあ……)


哲也は一人部屋に取り残され、どうすればいいのかとため息をついた。


****


たった二駅ほどの距離なのだが、満員電車に揺られながら哲也は家路に着く。


(どーしたらいいんだろうなこれは……)


見ず知らずの他人、それも精神障害者の心の内を探るのは難解であり、哲也は一体どうしたら良いのかと言う青天の霹靂の心境で電車に揺られ、車外の景色を見やる。


駅のホームには帰宅途中のサラリーマンや学生達がおり、自分はその普通の人達からはぐれた社会的弱者と変わらないんだなと哲也は深いため息をつく。


「いけね、そろそろ降りなきゃ」


哲也は電車を降り、沢山の人の群れに入り、普通の人の一員になれたらいいのになと思いながら足を進める。


(綿貫さんから渡された本を読まなきゃなあ、しかし、会社員になるとこんなクソ面倒な事があるんだよなあ。新卒の時入った会社はカルト入ってたっけ。俺も詐病でも使って生保でも受けようかなあ……)


利用者の中には悪質な人間は必ず存在しており、障害年金や生活保護を受給しているのにも関わらず、ギャンブルや風俗に金を注ぎ込んでいるのを哲也は知ってしまい、本来ならば社会弱者の生活の為に使う金をこんなことに使って良いのかという静かな怒りに襲われている。


「ん?」


街頭で暗くてよくわからなかったが、哲也の視界には龍司と静香が仲良く手を繋いでいるのが目に入ってきて、「おいこいつ、利用者に手を出してるのかよ最低だなこの野郎は」と胸糞が悪くなった。


****

 

 次の日、哲也は「何で俺こんなクソみたいな場所にいるんだろうな」と気分が悪くなるのを何とか抑えながら、龍司に渡された本を読み、ムカムカする気持ちを表に出さないようにして『ナイト』に出勤した。


朝礼もそこそこに、自習なのだが個別訓練というもっともらしい名目の時間が流れており、哲也は注意深く静香を観察する。


パソコンの画面には、ひまわり畑が写っており、静香から離れて、「もしかしてこれかな?」とスマホでひまわり畑を検索すると宮城県某所にあるひまわり畑の事が出てきており、「ドンピシャだ、楽勝だこんな依頼」と哲也は心の中でガッツポーズをする。


「柏森さんは、宮城出身なのかな?」


哲也はにこやかに微笑み、内心では「お前の事なんか知るか」と毒づきながら静香に尋ねる。


「……キライ!」


静香は目に涙を溜め、哲也を突き飛ばして『ナイト』を出て行ってしまった。

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