弟月町の人々

いときね そろ(旧:まつか松果)

1日 30年目のカミングアウト

「じつは私、人間ではないの」

「奇遇だな。じつは僕もです」

 12月は、こんな会話から始まった。


 結婚生活30年。

 子ども達も成人したし、そろそろ「妻」とか「親」というリングネーム、もとい肩書きを得る以前の自分に立ち返る時期だと思った。ので、包み隠さず自分の正体をカミングアウトしてもよかろうと判断したのだ。

 まさか夫から同じような台詞が返るとは思わなかった。


「で、人間でないなら何者だと」

「いや言い出しっぺは君ですからね。正体を明かすならお先にどうぞ」

 丸眼鏡を拭きながら、夫はにこやかに促す。

 うへんうへん。咳払いをして私は座り直し、内緒話の姿勢をとる。

「ここだけの話、私は猫でございます」

「あら、意外性がないね」

「そんな猫っぽいですかね私。これでも擬態してきたつもりだけど」

「いや近くで見るとバレバレです。擬態なんてそんなもんです」


 丸眼鏡を掛け直して、夫は真面目な顔をした。

「猫は夜行性のはず。30年、人間の生活時間に合わせるのはしんどかっただろうね」

「はあ。しんどかったです。昼夜逆転ですからね」

「君は単純にショートスリーパーなのかと思ってました」

「昼間もちょこちょこ寝てました、じつは」

 それはご苦労様でしたと夫は頭を下げた。


「では僕の話もしよう。植物が人の姿を手に入れたら、どうなるだろう」

「マンドラゴラですか」

「いやそんな植物植物した姿でなく。もっと完璧に人っぽい姿です」

「光合成大好き、乾燥ぎらい人間とか」

「どうも君は発想が月並みというか、残念というか」

「猫ですから」


 リビングのあちこちにある観葉植物が眼に入る。

「ひょっとしてあの子たちもあなたのお仲間ですかね」

「いや、彼らはフツーにフツーの植物です。人に擬態する必要もない。幸せな生き方ですよ」

 私はつくづくと夫の顔を見た。

「あなたは幸せではなかったの?」

「もちろん幸せでしたよ。いや訂正、進行形で幸せです。こうして家族を得て、子を無事に育てて、穏やかに暮らしているんですから」

「でも、ヒトに擬態するのは……しんどかったね」

 眼鏡の奥の眼がくしゅっと細くなった。

「まあ、それなりに」


 加湿器のアラームが鳴った。給水の時間だ。

「で、提案なんですが」

 タンクに水をつぎ足しながら夫は切り出した。

「お互いにもう若くありませんし、そろそろ寝室を分けませんか」

 私は驚いてもう一度夫の顔を見た。

 かっぽんかっぽんかっぽん、タンクから給水される音がリビングに響く。


「それ、私も言おうとしてたこと。いいの?」

「良いも悪いも。僕たち、もともと生きるリズムが違うんです。無理せずにいこうよ。なるべく長く一緒に生活するために」

 うん、うん、と私は頷いた。

 私たちは違う。でも私たちは一緒に生きてきた。

 なら、これからも。

 長く、長く、なるべく長く。


◇  ◇  ◇


「起きませんか。珈琲淹れたんですが」

「ふぁい」

 私は眠い目をこすりながら、巣穴のような毛布から這い出した。

「ぬいぐるみが増えてませんか?」

 部屋を覗いた夫が呆れたように言う。

「やつら勝手に増殖するんですよ」

「そんなもんですかね」

 そんなもんです。珈琲おいしい。

「ところでベンジャミンに新芽が出たんですが」

「へ? ベンジャミンなんてありましたっけ。てかまた鉢植えを増やしたね?」

 夫は眼をそらしながら、鉢植えは勝手に増殖するものですと呟いた。


 寝室を分けたって、私たちは何も変わらない。ご飯も一緒に食べるし、こうして一緒に珈琲をすすりながら、あーでもないこーでもないと他愛ない会話をする。

 そして各々の部屋に引き籠って本来の自分に戻る。

 いわゆる家庭内別居というのじゃあない。

 私たち、長い間人間に擬態してきた人外、いや「もと人外」夫婦だから。

 お互いのテリトリーとそれぞれの時間を、ようやく手に入れただけ。


 珈琲、おいしい。


 

 

 



 


 

 

 



 





 

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