第10話 わたしはソルラクさんを、信じることに決めました/127

 ☪


 やっぱり、どう考えたっておかしい。

 ソルラクに置いていかれ、一人になったリィンはそう結論に達した。


 確かに、ソルラクは何を考えているかわからないし、急に怒り出したりする人だ。


 裾を掴まれているのが嫌なんだったら、掴んだ時点で怒ったはずだ。けれど彼が離せといい出したのは、町中を歩き始めてしばらく経ってからのことだった。


 それに、たとえ怒ったのだとしても──ソルラクはきっと、リィンを見捨てるようなことはしない人だ。それは全く根拠のない、ただの楽観的な考えかもしれない。


 だが出会ってからの彼の行動を思い返すたびに、そう思えて仕方がなかった。


(……確かめて、みよう)


 リィンは道の端の目立たない場所に寄ると、目を閉じて意識を集中させる。まだ、このくらいの距離ならリィンでも見えるはずだ。


 瞼の裏、目を閉じた真っ暗な世界の中に、ぼんやりと周囲の光景が浮かび上がる。それはやがて薄く透き通って、輪郭だけを残した影のような姿へと変化していく。


 そしてその世界の中で、リィンは高く空へと舞い上がった。建物は影のように潰れ、人は光る点となって様々な色に輝く。その世界の中で、真っ白に輝くソルラクの姿はすぐに見つかった。


 ──いた!


 見つけると殆ど同時に、リィンは集中を解いて目を見開く。ソルラクは、仄暗い色に輝く無数の光点に取り囲まれていた。場所は人気のない路地裏の奥だ。どう考えても周囲の光はただの通行人じゃない。


 頭の中に先程目にした影の地図を思い浮かべながら駆けつけると、ソルラクは襲撃者の殆どを倒してしまったところだった。周囲には十数人の男たちが倒れ、ソルラクには怪我らしい怪我もない。


 心配は杞憂だったのかと、リィンはほっと胸を撫で下ろす。残っているのはあとたった二人だ。


 そのうち片方は、忘れるはずもない。リィンを捕らえて、逃げ出したときには追いかけてきたうちの片方だった。もう一人はどこに、と思えば、ソルラクの足元に転がっている。


 だが、安心したのもつかの間のことだった。ラギと名乗った男が、砂を纏った魔刃を抜いたからだ。


 リィンも、魔刃と呼ばれるその存在のことは知っていた。太古の魔術師たちが作ったという、今はもう失われた製法で作られた超常の刃。強力なものとなれば一国を滅ぼすこともできる、極めて危険な武器だ。


「やめてください!」


 気づいたときには、彼女はソルラクを庇うように立ちはだかり、そう声を上げていた。


「へえ。いい心がけじゃねえか、お嬢ちゃん」


 リィンを追っていた男が、ニヤニヤと笑みを浮かべながら言う。


「確かに俺達の目当てはお前だ。こんな上物の奴隷、幾らで売れるかわかりやしねえ」


 やはり男は奴隷商だったらしい。


「けどなあ。こっちにもメンツってもんがあるんだ。虚仮にされたままじゃ済まされないのさ」


 彼がそういう事を、リィンは予測していた。それこそ、リィンを攫うのなら先に彼女の方を襲った方が楽だったはずだ。ソルラクを先に襲ったということは、彼に復讐する方を優先したということを、リィンは理解している。


「まあ、お嬢ちゃんに免じて腕の一本、二本で勘弁してやるよ」

「ソルラクさんに、手を出さないで下さい」


 リィンは地面に落ちた剣の欠片を拾い上げて構え、毅然として言った。その姿を見て、奴隷商人は大きく笑い声を上げる。


「はっはっは! こりゃあ勇ましいお嬢ちゃんだ! だがまさかそんなゴミみたいな欠片で魔刃に……」


 嘲笑う奴隷商人の言葉は、しかし途中で凍りついた。リィンがその欠片を相手ではなく、自分の喉へと向けたからだ。


「ソルラクさんに酷いことをするのなら、わたしはこのまま喉を突いて死にます」

「お、おいおい……本気じゃないだろ?」

「なかなか肝の座ったお嬢ちゃんだな」


 奴隷商人は慌て、ラギはせせら笑う。


「諦めな、おっさん。ありゃあ多分本気だ。ガキのおかげで命拾いしたなぁ、兄ちゃん。さっさと消えな」


 そしてソルラクを侮蔑した様子でそう告げた。


「……リィン」


 背後から聞こえてきた声に、リィンは驚いて振り向く。初めてソルラクから名前を呼ばれたからだ。正直に言って、彼が自分の名前を覚えてくれているとは思ってもいなかった。


「ソルラクさん。わたしは、大丈夫ですから」


 皮肉だな、とリィンは思う。ソルラクを安心させるための作り笑いが、彼に名前を呼んでもらったおかげで上手く行き過ぎてしまった。それに対してソルラクは相変わらずの無表情だ。八つ当たりのようなものだが、ほんの少しだけ、憎らしく思えた。


「……今まで、ありがとうございました」


 リィンは最後にもう一度頭を下げて、奴隷商人の元へと歩いていく。


「約束してください。今後も、ソルラクさんに酷いことをしないって」


 そしてリィンは、奴隷商人ではなくラギの方にそう言った。


「いいぜ。このおっさんはわからんがな。その度胸に免じて、俺は約束を守ってやるよ」

「お、おい! 勝手なことを!」


 彼の言葉にリィンは胸を撫で下ろす。

 魔刃使いでなければ、十数人に囲まれたってソルラクは平気なはずだ。


「くそっ……まあいい。さっさとこっちに来い!」


 奴隷商人がリィンの腕をつかもうと手をのばす。


 しかしその手は、何も掴むこと無く空を切った。

 ソルラクがリィンを片腕で抱き上げたからだ。


「何のつもりだ、兄ちゃんよ。折角の嬢ちゃんの気遣いを無駄にする気か?」

「リィンに触れるな」


 ソルラクはラギにそう答え、空いた右手で腰に下げた剣を抜き放つ。


「……なんだそりゃ?」


 そして、そこから現れたものに、奴隷商人が怪訝な声を上げた。リィンも口には出さないが、同じ思いだった。


 彼が手にしているものを、果たして剣と呼んでいいものかわからなかったからだ。

 なぜならそれには、刃がなかった。刀身があるべき場所には代わりに金属の柱のようなものが伸びている。


 その柱は根本が太く、先端に向かうにつれて細く窄まった円錐形をしていて、螺旋状に溝が掘られている。切っ先は尖ってはいるが、細剣のように突きをみまえるほどに鋭いようにも見えない。そんな奇妙な代物だった。


「なるほど。確かにお前さんの馬鹿力で振り回せば、ただの棒っ切れでも十分強いだろうがなあ」


 それを見て、ラギはニヤリと笑みを浮かべて魔刃を構える。


「砂刃ベガルタ。どんなに硬いものも削り取るこの刃の前には無力だ」


 その時リィンは、奇妙な音を聞いた。ギュイン、という今まで聞いたことが無い種類の音だ。それは低く静かに、しかし間断なく鳴り続けている。どこから音が鳴っているのかを思わず目で追って、彼女は先程までソルラクの剣に合ったはずの溝が消えていることに気がついた。だが、それが何を意味するのかはわからない。


「どんなに硬いものも削り取る……か……」


 ラギの言葉を反芻するように呟きながら、ソルラクは無造作に数歩進み出る。


「喰らいやがれ!」

「悪いな」


 大量の砂を滴らせながら振り抜かれる魔刃を、ソルラクはその手にした剣で受け止める。


「これも、そういう魔刃なんだ」


 その瞬間。

 バツン、と音がして、砂刃ベガルタが半ばから千切れ飛んだ。


「……は?」


 目の前の光景が理解できないと言いたげに、ラギは大きく目を見開いて捻じくれたベガルタの刀身を見つめる。無尽蔵に溢れ出していた砂は全て零れ落ち、その銀色の地金が露出していた。


 魔刃としての機能が、失われた証拠だ。


「無刃、カレドヴールフ」


 その一方で、砂刃とまともにかち合いながらもまったく損傷した様子のないその剣を突きつけて、ソルラクは言い放つ。


「俺も相棒も、手加減は下手だ。触れたものを全部磨り潰すことしかできない」


 その段になって、リィンは気づいた。ソルラクが振るうその剣は、目に見えないほどの早さで回転してるのだ。先程からずっと続いている奇妙な音は、回転する刀身が空気を切り裂く音。


 振るう必要さえ無く、目に見えない早さで回転するあの溝がただ触れただけで蛇の牙のように噛みつき、ちぎり取るのだ。


「もう二度とリィンに近寄るな。次にその顔を見たら」


 ソルラクは地面に無刃を向けて、ゆっくりと押し込む。途端、凄まじい音が鳴り響いて大地が抉れ、深い深い穴が空いた。


「お前たちもこうなる。いいな?」


 奴隷商人とラギは、揃ってこくこくと頷いた。



 ☀



「あの、ソルラクさん。もう大丈夫ですから」


 襲撃者たちから離れ大通りに出たところでそう言われ、初めてソルラクはリィンを片腕に抱えっぱなしであることを思い出した。小さな彼女の身体は酷く軽くて、つい抱えていることを忘れてしまっていた。


 謝らなければ。彼女の身体を地面におろしつつ、ソルラクはそう思う。

 リィンと離れるために酷いことを言った上に、くだらない事で迷っていたせいで彼女を危険にさらしてしまった。


「すみません!」


 どう謝ればいいものかわからないながらも、それでも何とか口を開こうとした瞬間、リィンの方が先にそう言いながら頭を下げた。


「わたしが余計なことをしたばっかりに……ソルラクさんに迷惑をかけてしまって」


 彼女は、随分落ち込んだ様子で言葉を紡ぐ。


「わたしを巻き込まないように……遠ざけてくださったんです、よね?」


 そうではなかった。ソルラクはリィンを囮にしようとしたのだ。そちらの方が効率的に追手を撃退できるから。


 しかし、ソルラクはリィンが感じる恐怖というのをまったく考慮していなかった。身体を震わせながら、それでもソルラクを助けようと声を張り上げる彼女の姿を見て、彼は初めてそこに思い至ったのだ。


「わたし……信じます」


 何を、と問うよりも先に、リィンは続ける。


「ソルラクさんの事……信じます。どうしてあまり喋ってくださらないのかわかりませんが……きっとそれにも、深い理由があるのだと思います」


 そんな物はない。喋るのが絶望的なまでに苦手なだけだ。深い理由などなにもない。


 素直にそう言ってしまえばいいのに、ソルラクはそれすら言葉にすることが出来ない臆病者だ。


 だが。


 そんな自分を信頼してくれるというリィンの言葉は、これ以上ないほどに嬉しかった。人とまともに会話することさえできず、口を開けば乱暴な言葉しか出てこない己のような人間を信じてくれるのならば。


 きっと、彼女の望みを叶えてみせよう。ルーナマルケに向かうというだけではない。その思うまま、望むがままに、全ての願いを己の命に代えてでも叶えてみせよう。


 そのような決意を込めて、ソルラクは言った。


「好きにしろ」


 恐らくその本心は何一つ伝わらない、端的で無愛想な言葉。


「はいっ!」


 だというのに大輪の花のような笑顔を咲かせ、リィンは頷いた。

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