第16話 共謀する二人

「つまりこういう事です? 菊谷川さんからはメールもチャットアプリのメッセージも、送信してから二十四時間後に私に届く。私から菊谷川さんへも、送信してから二十四時間後に届く、と」


 新宮さんはそう言ってちょっと首をかしげると、ミックスグリル弁当のウインナーをぷつりと前歯で噛み切った。

 

「うん……見かけ上はそう」


 割りばしの先端で、僕はサワラの西京焼きを三分の一ほどつまんで口に運んだ。脂がのって美味い――

 

「でも、それぞれで二十四時間ずつ遅れるなら、メールを送って相手の返信を受け取るまでに、二日経過することになるはずです」


 実際には、どうもそうなってはいない。僕たちは二人とも相手のメールやメッセージに対してすぐに返信している事が、互いの自己申告で確認できている。その事実とメールやメッセージのタイムスタンプから判断すると、実際に僕たちの間にあるタイムラグは概ね一日、二十四時間だ。


「変ですよねえ……」


 新宮さんは割り箸を置くと、院内にある冷水器からくすねてきた紙コップに、ペットボトルのお茶を注いで一口飲んだ。看護師だけあって衛生には気を使っているらしい。

 今日は晴れて天気が良く、気温は体感で二十度ぐらい。日当たりのいい中庭は、じっとしていてもポカポカと暖かで気持ちが良かった。

 

「そういえば――」


 僕が話題をそらしたのはたぶん、答えが出ないか出てもどう対処すべきかわからないことを考えるのに疲れたせいだと思う。

 もしかすると、怖かったのかもしれないが――

 

「賭け、勝ったわけですよね?」


「うんうん。夜勤明けの日は帰宅して仮眠取ってから、夜は同僚と街に繰り出して飲むんですけどね。その料金をみんなに出してもらっちゃいました」


「うへえ。いいなあ……」


「へっへー。私、お酒割と強いんですよね。で、悔しがった先輩から次の賭けを持ちかけられたんですけど……まだ保留中」


 そう言って、新宮さんは悪戯っぽく笑った。

 

「それは?」


「……『菊谷川さんを誘って、デートする』って条件」


 おおぅ。


「そいつは……」

 

「分の悪い賭けじゃないと思うんですけどね?」


 新宮さんが探るような流し眼をしてこちらを見た。

 以前にも思ったが、子供っぽさを残しつつはっきりした目鼻立ちが、こういう表情をするとむやみに引き立って、何というか強く引き付けられる雰囲気があるのだ。

 

「ただ、メールの返事を一日ずつ待たなきゃならないんじゃ予定立てるのも大変だなって」


 彼女は僕から視線をそらして、洋画ドラマの登場人物よろしく肩をすくめた。


「うーん」


「ホント、何が起きてるんでしょうね……立てられる仮説がないわけじゃないけど、いくらなんでも突拍子もなさ過ぎるし」


 結局話はもともとの話題、この謎の遅延現象に戻っていくしかないようだった。

 

「少なくとも、この院内では遅れずに通信できるんだよなあ」


 だから、多分スマホ自体やメールサーバーの問題ではないはずだ。醤油坂ハイツにいる時はあそこのWI-FI設備を通しているから、そこのところでネットワークに何らかの不具合がないとは限らないのだが。

 

 ちなみに、機械オンチの葵さんに代わって、その手の機器は早織さんが設定や保守を担当している、と聞いた。


「菊谷川さん……まだ試してないことがいくつか有りますね。普通の電話ではどうなるか、とか」


「ああ、そういえば…」


 葵さんとの約束を思い出す。帰りには駅から電話をすること――


「ええ。ネット上でのいろんな手続きに必須だから、メールアドレスの方が今どきは重要なのかもしれないけど。それでも直通の電話番号を教える事の方が、まだなんとなく抵抗があったけど……でもまあ」


 賭けに付随したゲームだとしても、デートの予定を考えるくらいになれば今さら。彼女はそう言って、僕にスマホの電話番号を教えてくれた。

 葵さんへの電話の件は、僕の頭の中に居座っているだけ。だから、この会話ははた目に噛みあっているようで微妙にずれていたわけだが、さておき僕にはもう少しアイデアがあった。


「新宮さん、僕はあとでまた、チャットアプリのメッセージを送ってみます。もしかしたら……」


「もしかしたら?」


「まだ確証はないけど、とにかく、僕との会話に新着メッセージが入ったら、スクショしといてください」


 へえ、と面白そうにうなずくと、新宮さんはミックスグリルの残りを片付け始めた。その後もしばらく話して、彼女が夏場のマリンスポーツを趣味にしていることを知った。

 

         * * *

         

 午後の診察でも、僕の体は特に問題なし。落ちた筋力を取り戻すためのトレーニング方法についての指導を受けた後、僕はタクシーと電車で帰途に就いた。大きな総合病院では珍しくないことだが、二つの科で検査と診療を受ければもう丸一日が吹っ飛ぶ。帰り着いたのは夕方、それも陽が落ちてしまった後になった。

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