☆出張サービス業

※ この話はカクヨム用に新たに執筆しっぴつしたものです。


※1 士業さむらいぎょう 「しぎょう」ともいう。

弁護、司法書など「士」の付く職業


***


 高橋さんは、財布を落した女性の旦那さんだ。勘違いから俺を殴ったが、その後、示談じだんとなった。


 最後に俺と会った後も、俺の怪我の状態について心配しており、父弁護士先生の事務所に何度も電話で確認していたそうだ。


 ほおれは、1週間くらいで引いたが、親不知を抜いた後の穴がふさがるまで、1カ月くらいかかった。抜いた当初は、その穴にご飯粒が入り込むので難儀なんぎした。


 完治した頃に、父弁護士先生から連絡があった。


「高橋さんから、完治したお祝いに○○おれさんを食事に誘いたいと言って来たけど、どうする?」


 高橋さんと俺との示談書では、接触禁止などの条項は定めていないので、わざわざ、父先生を通す必要はないのだが、気を使っておられるのだろう。


「えーと、先生、受けた方がいいですか?」


「さすがに、もう、殴られる事はないだろうし、純粋にお詫びの気持ちだと思うから、奥さんが来ないならいいと思うよ。奥さんが来たら、○○おれ君がまた、暴走するかもしれないしね」


「いやぁ、先生、さすがに俺も反省してますから」


「心配だったら、ウチの息子と一緒に行ったらどうだ。高橋さんは御商売をされているから、あいつ(司法書士先生)にも何か仕事を回して貰えるかもしれない」


 こんな事でも、やっぱり仕事に結びつけるのか。


「なんか、大人の汚い部分を見た様な気がします」


「なに思春期の中坊ちゅうぼうみたいな事を言ってんだ。俺達、士業さむらいぎょう(※1)は、人脈がすべてなんだよ。デカい企業の顧問を何件でもかかえていれば別だけどさ、ウチみたいな所は、人との付き合いが大事なんだよ。あいつは、せばいいのに人脈を作る前に独立したから、今、ピーピーなのさ」


 いずこも世知辛い。俺も見習おう。


 結局、高橋さんとは、息子先生も交えて食事に行く事になった。


***


「大学の時に免許を取りたかったんだけど、金がなくてさ、喫茶店でアルバイトしてたんだよ。ゲーム喫茶って、お前達、若い奴らに言っても分かるかな。今はもう見かけなくなったけど、テーブル型のゲーム機が、机の代わりに置いてある喫茶店だ。かつては一世を風靡ふうびしたんだけどな」


 以前、父の自慢話(主に貧乏自慢)を聞いていた時に、そんな話をし始めた。


「ある時、オーナーから身分証明書を持って来いって言われたんだ。当時、マイナンバーカードはなかったし、バイトする時に身分証明証を出すなんて事も余りなかったから、不思議に思って理由を聞いたんだ」


「へー」


「そしたら、何か警察から指導を受けたそうで、従業員名簿が必要だからと言ってたよ。ゲーム喫茶って風営法に引っかかるらしいと聞いて驚いた覚えがある。俺は運転免許証を持ってなかったから、わざわざ実家に頼んで住民票を取り寄せたよ」


 ゲーム喫茶というと、違法な賭博とばくなどで摘発されるニュースを見た事があるので、懐かしそうに話す父を見ても、俺にはあまりよいイメージに感じられなかった。


 風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律


 長い名前の法律だが、通称、風営法ふうえいほうと呼ばれる。風俗というと、そっち方面を考える人も多いと思うが、父の言っていたゲーム喫茶を始め、ゲームセンター、パチンコ店、雀荘、クラブ(踊る方)など、意外と身近なものがこの法律の対象となっている。


 ちなみに未成年者が何時以降、ゲームセンターに入れないという規制は、風営法ではなく、都道府県の条例によるものだ。だから、A県では午後7時まで。B県では午後6時まで、何て事もある。


 高橋さんがいとなんでおられるお店は、法律では無店舗型性風俗特殊営業と扱われている。


 無店舗なのに、お店とは、此は如何にこはいかに


 何の事はない。お店はホームページ上にある。だから実際には無店舗。店はない。例えるのも何だが、ネット通販店と同じ事だ。


 このお店は、一般的には、デリヘルと呼ばれる出張風俗サービス業だ。風営法の届出は警察の管轄かんかつになるので、俺が殴られた時のように、警察のご厄介になるのは、高橋さんとしては、営業的にも心情的にも避けたいだろう。


***


 俺は、息子先生と高橋さんの3人で食事に行った。男同士で、しゃれた店のコース料理なんてのは、さすがに勘弁して欲しかったので、おでんが食べたいとリクエストしたら、高橋さんは、新宿ゴールデン街の店に連れて行ってくれた。


 カウンター席だけの小ぢんまりした店だったが、俺はこういう所に来るのが初めてだったので、目新しく感じて、気に入ってしまった。


「いやぁー、○○おれさん。あの時は本当にすいませんでした」


「いえいえ、高橋さんには何度も謝ってもらってますから。もういいじゃないですか。その話はめましょうよ。慰謝料だって、司法書士先生のような汚い大人が人をハメるような示談でしたから、頂くつもりはありませんし」


○○おれさん、汚い大人ってなんですか。私は○○おれさんの事を思ってですね・・・」


「はいはい。すいませんでした。先生達の本意はちゃんと分かってますから」


 息子先生は、少し酔っているようだ。


「いや、そうは言ってもね、堅気かたぎの人に手を出した以上、ちゃんとしないと筋が通らなし、俺の気持ちが収まらないから」


 え。堅気って、高橋さんはそっち系の人だったのか? 俺はそんな人の奥様によこしまな気持ちをいだいたのか?


「えーと、もしかしたら、高橋さんはそっち系の方なんでしょうか?」


 俺は恐る恐る、指でほおを切る仕草をして聞いてみた。


「違う違う。そりゃ、若い頃は、いろいろヤンチャもしたけど、そっち系じゃないよ」


 どの程度のヤンチャだったのか気になる。


「もし、高橋さんの気が収まらないのでしたら、たまに、こんな感じのお店に連れて行ってくれませんか。次は勿論もちろん、割り勘で」


「私も」と、息子先生も便乗する。


「え、そんな事でいいならお安いご用だけど、俺さんは、女の子のいる店の方が好みかと思った。そっちでもいいんだけど」


「いえいえ、作家の隠れ家的な、こういう店の方が楽しそうです」


「そうですか。じゃあ、また、今度、行きましょう」


「私は女の子のいる店の方が・・・」


 先生、酔ってますか?


 その後、高橋さんのヤンチャ話やお店の話など、彼の話は本当に面白かった。俺の知らない事なので、まるで異世界の話を聞いているようだった。(作者注 読者様ありがとう)


 俺の事もいろいろ聞かれた。奥様には2代目のボンボンという設定だったが、旦那様には嘘をつかない方がいいと思った。


「あの、実は俺、学生なんですよ。奥様には嘘をついていました。ごめんなさい」


○○おれさん、嘘をついていたんですか。そんなにヤル気マンマンだったんですか」


 息子先生、酔っているとはいえ、勘弁して下さい。


「なんだ、学生さんだったんですか。てっきり、社会人かと思ってましたよ。まぁ、俺もそうでしたけど、若い時はいろいろ経験した方がいい。ヤンチャ出来るのも若い時だけだからね。でも、人の物に手を出すのはダメだよ」


 話題は、俺が一番、避けたかった奥様の話になった。


「はい」


「実を言うと、今回の事は俺が悪かったんだよ。店の女の子に俺が手を出したのがウチの女房にバレてね、それもあるんだ。笑えるだろ?」


 さすがに笑えません。


「研修してたら、ついね」


 この業界は内部恋愛禁止なのでは? あ、社長だからいいのか。


「女房も女房でさ、あの後、いろいろ聞いたら、ネットで読んだ、落し物から始まるロマンスって題名の小説に感化されて、ついトキめいてしまったんだってさ」


 そうか。奥様もちょっとその気だったのか。


「もし、俺が奥様に手を出していたらどうされました?」


 最近はビールをジョッキ2杯まで、飲めるようになった俺はちょっと酔っていたと思う。


「江戸時代は女房を寝とった奴を女敵めがたきといってね、切り捨ててもよかったらしいよ」


 高橋さんは、笑顔で言った。俺は、酔いが一瞬で冷めた気がした。


「そう言えば、○○おれさんはウチの店には興味ないのかな。電話してきてくれたらサービスするのに」


 興味は当然ある。でも、俺の性癖まで高橋さんに知られる気がするから、さすがに遠慮したい。


「俺、そういうのはちょっと(大ウソ)。それより、よかったらお店の事務所を見学させて貰えませんか?」


「え? 事務所には女の子もいないし、何もないよ。そんな所を見たいなんて、変わった人だね」


「何事も経験と言うじゃないですか」


「まぁ、別にいいけど」


 楽しい時間は過ぎるのは早い。俺は新宿で2人と別れた。息子先生は、俺の代わりに高橋さんのお店のスペシャルサービスを受けたそうだ。



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