こころ映すは赤

メグ

第1話

 僕には日課がある。

 それは日記を書くことだ。

 その習慣は、僕の人生を変えてくれた恩人に出会った時から始まっている。あれは小学六年生の冬頃だったから、今年でちょうど二年目に入るところだ。

 あの頃と比べると、僕を取り巻く環境は大分様変わりしている。中学校にあがって友達が増えたし、以前より良く笑うようになった。

 小学校時代の僕はあまり笑わなかった、と思う。あの頃の僕は、自分の家の環境に飽き飽きしていたのだ。学校でクラスメイトが休日両親と出掛けた話を聞くと、自然と唇に力が加わり、眉間に皺が寄った。僕の両親は共働きで、互いに会社でも重要な仕事に就いているため、仕事にかまけて休日も仕事に家にいないことが多かった。平日も大概、夜は日付が変わるような時間に帰ってくることが多かったし、朝も僕が学校に行く頃にはもう家を出ているのである。両親のその行動に不安を感じても、僕にはそれを止める術はなかった。だからこそ、小学校の頃は友達の話に加わるのは、なかなか難しかった。

 だが今は、そんなことはない。あの冬の日に出会った恩人が教えてくれたことを実践したからだ。

 そもそも僕の日課の日記は、始めのうちは少し違った様式を取っていた。その様式とは交換日記だ。

 今は僕だけが見る個人的な日記を書いているが、中学にあがるまでの数ヶ月間、僕は恩人の勧めに従って両親と交換日記を行ったのである。交換日記と言っても、何の変哲もないノートに、その日あった出来事を書き込んで、リビングのテーブルの上に放置しただけである。始めのうちは何の反応も示さなかった両親も、おそらく、僕が寝静まった後に、ノートの中身をチェックしていたのだろう。時々、ノートに走り書きが書きくわえられていることがあったし、家で顔を合わせることがあれば、日記に書いた出来事のことを話題に出してくるようになった。そして、会話が習慣化し、数か月で、日記なしでも両親との会話数が増えたのである。

 だからこそ、そのアイディアをくれた彼女を、大袈裟かもしれないが、僕は恩人だと思っている。

 その恩人――紅野桃こうのももは、出身小学校は違うが、同じ中学校に通っている。しかも、同じ学年、同じクラスだ。出会った時の口ぶりから、僕はてっきり年上かと思っていたから、入学式で再会した時は心底驚いたのを覚えている。

 だが、黒髪をポニーテールにした彼女は、二重の大きな目をしていて、化粧気のない顔には幼さが残っている。そして、彼女が友達と話している姿を目にすれば、まあ確かに自分と同い歳であることにも納得がいった。彼女は、普通の中学生がするように、昨晩のテレビ番組の話をしたり、コンビニに並んだ新作のお菓子の話をしたりする。その姿は、あの時、僕に話してくれた口調とは大違いであったが、どちらも正しく彼女の声なのだ。

 彼女には二面性がある。出会った頃と学校での彼女の姿を見比べて、僕はそう思う。そして、そのことを学校では僕だけが知っている。それが誇らしくあるし、同時にそのことを隠そうとする彼女の行為がもどかしかった。

 どっちも彼女であるが、僕は出会った頃の彼女の姿が好きだった。彼女が隠そうとする彼女の姿が好きなのだ。

 それを言葉にしたことはないが、おそらく彼女もそれを察している。中学にあがり、再会から数日たったある日、彼女は時間を見つけて僕に問い掛けた。

「私が怖くないの?」

 僕は、彼女の言葉の意味が一瞬わからなかった。確かに、彼女の姿は出会った頃とは似ても似つかない。出会った頃の彼女は、言っては何だが、見る者が見れば眉を顰めたくなるような恐ろしい姿をしていた。まるで、昔話に出てくる鬼のように頭には角が生えていて、セロハンの膜を通したように、彼女の肌は赤く見えたのだ。けれど僕は、彼女がとても優しいことを知っている。その証拠に、僕が初めて書いた日記には、『泣いた赤鬼は優しかった』という一文が残っている。両親はきっと読書感想文だと勘違いしただろうが、それは読書感想文などではないのだ。

 だからこそ、僕は彼女のその言葉に首を横に振った。彼女はどこか戸惑いがちに微笑んだが、それでも嬉しそうだった。

 その日から僕は、学校ではそれほど関わりを持たないまでも、赤鬼の彼女とは行動を共にすることになったのである。

 僕の日記には、今日も優しい赤鬼との日々が綴られている。

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