第5話

 その夜、機嫌の悪いに気を遣った近藤は、皆を誘って町へ繰り出した。馴染みの茶屋に入り、頼んだ飯と酒が運ばれてくると、歳三は睨むように八郎を見た。



「で? あんたがどうして試衛館に居るんですか。吉原にしけこんで……あーなんだ、そのつまり、あそこに昨日まで居たでしょう」

「ええ、居ました、確かに昨夜まで。私、土方さんと永倉さんを見かけまして」

「俺と新八を?」

「はい、丁度部屋の窓が空いてて、通りから永倉さんの声が聞こえました。……すぐに追ったんですが、ちょっと出るのに手間取って、二人を見失ったんです」

「見失うって…俺らの後をつけるつもりだったのか」

「歳、ちょっと落ち着きなさい。八郎君は昨日の夜、うちに来たんだよ」

「は? 昨日…、え、夜…?」

「あれ、知らなかったのか? 土方さん」


 あごの甘露煮を丸ごと口に放り込んで、新八が指先を舐めつつ言う。



「知らねえよっ! なんだよ、それ!」

「あー、八郎さん久しぶりだったし? 昨日はもう俺らも飲んでたからよ。そのまま一緒に俺らと飲もうってことになって。そいでいつものように寝ちまってて、明け方に部屋に移動して、そっから昼過ぎまで一緒に雑魚寝だ。なぁ?」


 新八の話によると、歳三らが広間から席を外した直後、入れ替わりに八郎が顔を出したらしい。道理で昨晩は妙に盛り上がってた訳だ。



「ありえねえ…」

「まあまあ、歳。見つかったんだから、良かったじゃないか」

「見つかった? 探してたのか? 八郎さんを?」


 新八を含む、たくさんの目が一斉に向けられて、近藤は慌てて両手を振った。



「いやいやっ! そういう訳じゃないぞっ。なあ、歳!」

「知るかっ」



(こっちに振るなよっ)



 ぶすっとした顔で頬杖をつくと、そのままそっぽを向いた。源三郎が歳三の背に手を回し、何やら話しかけてきたが、頭の上を素通りしていった。


 そんな歳三をよそに、徳利がどんどん倒されていく。昨夜もしこたま飲んでいたはずだが、どうやら彼らには関係ないようだ。渡されたお猪口ちょこに口をつけ、斜め向こうに座っていた八郎が、申し訳なさそうに口を開いた。



「なんだか、ご心配をおかけしたみたいで…」

「いや、いいんだいいんだ。──時に八郎君。何か、悩み事あるんじゃないのか? 我ら剣の道を目指す、いわば同志だ。良かったら話しを聞くぞ!」

「いえ…、家の問題でもあるので。でも、お気遣い、ありがとうございます」


 八郎は小さく頭を下げると、手の中のお猪口を握り締め、ぽつりと呟いた。



「やっぱり、試衛館は居心地が良くて、困りますね」

「困ることはないだろう。八郎君なら、いつでも大歓迎だ! むしろこのままうちの食客として、籍をおいてくれても構わないぞ!」


 八郎の肩に手を置き、満面の笑みを向ける近藤に、左之助がすかさず突っ込みを入れる。



「近藤さん、さすがにそれはまずいだろー。天下の練武館の師範代候補だぜ?」

「そうか? まぁ、酒の席の戯れ言だ。気にするな」

「しょうがねえなぁ、この人は」


 どっと笑い声が起こり、誰かが酒の追加を告げている。それらすべてに背を向け、未だ歳三はふてくされていた。大人気ないと思うが、愛刀を質に入れてまで奔走した結果がこれかと思うと、やさぐれたくもなる。



「くそっ」


 誰にともなく悪態をつき、焼き鳥にかじりついた。その様子を端の席に座った総司が静かに見ていた。






 大いに飲んで食べて騒いだ後、一行は二手に分かれた。一方はさらに夜の町へ繰り出す組、一方は試衛館へ帰る組だ。仮にも所帯持ちの近藤は言わずもがな、総司と歳三、疲れたからと源三郎、さらに八郎の五人が試衛館組である。


 まさか八郎がこちらに来ると思っていなかった歳三は、一番後ろから前を行く八郎に声を掛けた。



「あんたは、行きつけの店があるんじゃないですか」

「さすがに、飽きました」

「おっ、八郎君も言うなぁ」


 嫌味を言ったつもりが、さらりとかわされた。小さく舌打ちした歳三と対照的に、終始機嫌がいいのは近藤である。酔いも手伝ってか、先導する源三郎と、隣の八郎に、あれやこれやと話しかけている。


 黙り込んだ歳三の袖を、隣を行く総司が軽く引いた。眉間に皺を寄せたまま、歳三が顔を向けると、総司は目線だけで歳三の腰元を差して言った。



「まだソレ下げてんですか。二日も何やってたんです」

「色々あったんだよ。つうか、店が開かねえ」


 さらに皺を深くして、歳三はふてくされた。これみよがしにため息をついてから、総司は声を低くして話を続ける。



「聞きましたよね、こっちの件。どう思います、土方さんと同じですかね」

「どうだろな。一緒とするには、決め手がねえ」


 自然と上がった目線の先で、ニコニコと近藤の話に相槌をうつ、八郎の横顔が目に入る。



「あ、そうだ。俺の方は土佐の出のもんらしい。左之が同じ四国だし訛りから間違いねえって」

「左之さんが? 話したんですか?」

「バレたんだよ。源さんの報告ん時の俺の態度で」

「ほんと、うかつですね」

「うっせーよ。そういうお前はどうなんだ。相手の事、なんか手掛かりねえのかよ。人違いってのは確かか」


 今度は総司が眉根を寄せると、小さく頷いた。



「聞き間違えてはないです。そいつが言った途端、退きましたからね。ただ…」


 口元に手を当て、総司が少し考える仕草をする。歳三は足を止め、総司を見た。



「なんだ、気になる事あんのか」

「ええ、少し。──どこかで、見た事あるような気がするんですよ」

「は? なんだよ、それ、聞いてねえぞっ」

「ええ、言ってませんし」

「阿呆! 言えよ、そういうことは!」


 思わず荒げた声は、思いのほか夜道に響いた。



「どうしたぁ、歳」


 少し距離の開いた向こうで、足を止めて近藤が振り向いた。それに答えたのは総司だ。



「大丈夫です。饅頭まんじゅうの話です」

「ははっ、食いもんで喧嘩するなよ」


 すぐに前を向いた近藤の隣で、八郎がちらりとこちらを見たが、すぐに近藤と共に歩き始めた。二人が前を向いたのを確認して、歳三と総司もまた、ゆっくり前へ進む。



「何だよ、饅頭って。……悪ぃ、つい声が出た」

「気を付けて下さいよ。近藤さんにも言ってないんですから」

「誰か思い出せねえのか」

「ええ、どこかで見たのは確かなんですけど」


 歳三ほどではないが、総司も師範代が板に着いてからは、近藤と連れ立ってあちこち顔を出す機会が増えた。日野訪問は別格として、春以降に限っても片手で足りる数ではない。


 その一つごとで、実際に手合わせする相手は限られているが、道場に居並ぶ数となるとその比ではない。数十人顔を揃えるなど、ざらである。お互いに武を競う場で、直接仕合う以外に名乗りを上げることは滅多にない。



「どっかの道場に、属してるかもってことか」

「ええ。腕はともかく、構えは綺麗でしたし」


 またしばらく押し黙って黙々と歩いて行く。ある程度の階級の武士ならば、いずれかの剣術道場へ通っていても、おかしくない。総司が訪れた道場に的を絞っても、骨が折れるのは間違いない。


 一行の中に歳三が居ると踏んで、彼らの前へ姿を出したのなら、こちらに顔を見られているし、道場を訪ね歩いても顔を出してくる可能性は低い。こそこそ付け狙った割に手際が悪いのも引っかかる。



(ど素人か…? まさかな)



「どうも、すっきりしねえな。なんか引っかかる」

「同感です。っていうか、ほんとソレ、どうするんですか」


 総司が歳三の大刀の柄を指でつついた。思わずその手を払って柄を握るが、親しんだ重みはそこにない。



「うるせえ、その内なんとかする」

「危機感ないですよね」

「ほっとけっ」


 歳三は頭をがしがし掻いてから、夜空を見上げる。歳三にとって本日四度目の道だが、月がせめてもの気晴らしだ。昔から月は好きだった。



「おーい、総司。昨日のあれ、なんて言ってたかな。上田村の奴」

「あぁ、彦五郎さんの言ってた話ですか。あれは──」


 足を止めて総司を振り返った近藤の元へ、総司が足早に駆けていく。総司と入れ替わりに八郎が歳三の横に並んだ。歳三は少し眉をひそめたが、ここで嫌がるほど子どもではない。


 またゆっくりと歩き出すと八郎が殊勝に頭を下げた。



「色々、ご足労をおかけしました」

「………別に構わないですよ。あんたの預かり知らぬ事だったみたいだし」


 知らずと仏頂面になってしまうが、今さら繕う気はない。質屋の件を別にしても、実際に迷惑をこうむったのは歳三である。何があったかと聞く権利くらいあるだろう。



「何か理由があるんでしょう。まぁ、無理に聞きませんが」


 そう聞いては見たものの、正直なところ、八郎の事情にさして興味はない。巻き込まれて迷惑はしたが、理由を聞いたところで首を突っ込むつもりもない。


 歳三たちの少し前を源三郎と総司、近藤が楽しげに話しているのが目に入った。総司が誰かの構えを真似ている。その妙にカクカクした動きが笑いを誘う。案の定、近藤も源三郎も声を上げて笑っている。


 歳三は目を眇めてその様子を眺めていると、八郎の小さな声が耳に届いた。




「試衛館に私の事を尋ねて、男が来たそうですね」

「あ? あぁ、まぁ…」

「おそらくそれは、義兄の…秀俊の手の者ではありません。そもそも私は、地方へ出張に行くと皆には伝えているので」

「──は?」

「私にしばらく身を潜めるよう勧めたのは、義兄です。居場所も状況も、逐一報告していました。私の居場所を尋ねてくる理由がありません」

「………身内を、装ったってことか」


 八郎はさして気にする様子もなく、肩をすくめてみせた。



「まあ、おそらく。元々門弟内の揉め事ですし、内々に収めようとしたんですが。そのせいでこちらにまで、ご迷惑おかけしてしまって」

「いや、まぁ…別に、それは」


 顎をつるりと撫でて、歳三はちらりと隣を見て、ぎょっとした。八郎がまっすぐに歳三を見ていた。その表情は真剣そのものだ。二人は自然と足を止め、真意を探り合うかのごとく、刹那せつな見つめ合った。先に口を開いたのは八郎だった。



「近藤さん達の一件。──私を、狙っていたのかもしれません」


 歳三はわずかに目を見張った。思わず握り締めた提灯の灯が、ジジと音を立てた。


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