閑話 トヌシャの現在 side『裁縫師』『彫金師』

 目の前に広がる建物のほとんどが真っ白な壁で、所々に原色を含むはっきりとした色合いで多彩に描かれる細かな模様。屋根や、窓、扉、そういった付属品のほとんどがアーチ状になっているのは、東洋風と表現されたトヌシャ国の特徴だった。

 西洋風のオーリア、極寒の夜の国ロクロラと国境を接するトヌシャ。

 そこが自分の担当地域なのだと察した少女――エリアルは、一緒にいるのがランディでなかったらきっと泣いていただろう。


 地球では新卒採用された会社で事務職に就いており、仕事や家事全般は人より出来るのだが、人間関係が壊滅的にダメだった。

 目を見て話せない、オドオドしてしまう、更には男の人への苦手意識が表に出てしまうと、周囲はどうしたって彼女と接するのを敬遠するし、中には見下す者も少なくない。

 結果、見下すタイプの人は仕事を押し付けて来るのが当たり前になってしまった。

 相談出来るはずの上司が率先して仕事を押し付け、手柄だけは自分のものにするのだから、どうしようもない。

 せめて上司が女性なら……と転職も考えたが、このご時世せっかく入れた会社を辞めるなんて勿体ない、もう少し頑張りなさいと親に言い聞かされて、心身共に疲れ果てていた。

 髪はぱさぱさ、化粧は最低限。

 休みが無ければオシャレして出掛ける必要もないから洋服ダンスには地味なスーツばかりが掛かっているし、そもそもたまの休みは寝て起きたら終わっている。

 線は細いが、言い換えればやつれているだけ。

 人生に何の楽しみも無かった。 

 そんな時に送られて来たのが『Crack of Dawn』のβテスター募集のDMで、学生時代はどうぶつ達が集まるクラフト系のゲームが大好きだった事もあり、受かったらこんな日々にも潤いが出るかなぁくらいの軽い気持ちで応募した結果、……二年後に異世界転移。

 転職先が女神の手足となってのデバッグ作業とは、さすがに想定外である。


「大丈夫かエリアル」

「うん……」


 手を差し出されて見上げると、いつもの画面を通したものではない、生身のランディがそこにいる。

 綺麗な黒髪に、琥珀色の瞳。

 彼も社会人だと言っていたからたぶん同じくらいの年齢だと思うが、会ったことがないので実際は知らない。

 いまのランディの姿は二十代半ば。

 黒魔導士と言う職業を表す黒いマントを羽織った好きな人は、声こそヘッドホンで聞くのとは違うものの、相変わらず腰が砕けそうな色気ある声だ。


「エリアル?」

「……っ」


 ぶわっと顔が真っ赤になったのが、熱さで判る。

 ランディは中性的で端正な顔を不思議そうに傾けた。


「どうした」

「ど、どうし、って、だって、ラン、ディ、が……っ」


 どうしよう。

 今までは声だけで、顔を見て話す事なんかなかった。いいや、顔だけなら画面を通して見ていたけれど、それはあくまでゲームのキャラクターだったからで、いまは。


「ぁっ……その……っ」


 言葉が出て来ない。

 初対面と言うにはあまりにも長い時間を一緒に過ごしているはずなのに、いざこうして接してしまうと、対人スキルの低さが浮き彫りになる。

 このままじゃ嫌われてしまう。

 彼がいたからこそ『Crack of Dawn』だって楽しかったのに。

 真っ赤な顔が、今度は血の気が引いて青くなっていくのを間近に見たランディは、恐らく思い出したのだろう。

 対人関係が苦手だということ。

 慣れてからで良いから実際に会おうという、約束。


「これならどう?」

「ぇ……」


 ランディはマントのフード部分を顔を隠すくらい引っ張った。おかげで全体のバランスがおかしなことになったが、エリアルの虚をつくには充分だった。

 少女は目を瞬かせ、笑う。


「ふっ……ふふっ、ありがとう、ランディ」

「どういたしまして。でも、いつまでもこのままだと大変だから、ちょっとスパルタになるけど、顔を見て話せるように訓練しようね?」

「うん」

「……それに、いつこの世界の人と遭遇するかも判らないし」


 ランディに言われて、不安に駆られ周囲を見渡すも、幸いと言うべきか人気はない。白が強調された町の景色に、生活感というものが皆無だった。


「今日のところは宿屋を探そう。ここってトヌシャの王都イズミルのような気がするんだけど、どうかな」

「だと思う……」

「ん。だったら場所も判るし、行こう」


 手を繋ぎ、宿屋に向かう。

 その手はとても温かかった。



 宿屋にも人気がなくて困惑していたところで件の女神からのメールを受け取った二人もまた、体力と魔力をごっそりと持っていかれてその場に膝から崩れ落ちた。ただし魔導士の二人は魔力が多かったおかげで気を失うということもなく、突如として現れた宿屋の主に部屋を貸してもらうことが出来た。

 その後、エリアルが生活圏内で人々に慣れる――話しかけられてビクつかないようになるまで三日掛かったが、十日を過ぎた頃にはランディさえ側に居れば初対面の厳つい冒険者に声を掛けられても、少し台詞を噛む程度で済むようになっていた。

 冬に向けて不足していた火の魔石。

 モブの名を持つNPC達の職探しなど他国と同じような問題は起こったものの、トヌシャはオーリア・ロクロラと国境を接する以上に、国の周りを広大な森に囲まれていて、以前からモンスターの襲撃による被害を多く受けており、ほとんどの民が当たり前に戦えるおかげで冒険者登録で事なきを得ていた。



「そういえばカイトがロクロラにいるかもしれない」

「えっ」


 ランディが持ち帰って来た情報に、エリアルは弾かれるように顔を上げた。

 此処はランディの部屋。

 二人はいまも宿屋で部屋を借りており、しかも一人一部屋。想い合っている自覚はあれど、地球で実際に会ってから正式なお付き合いをしようと話していた手前、どうしても恋人未満から進められずにいる。

 女神には恋人判定されてこうして一緒にいるというのに……と少なからず残念に思うのは、地球で二十九歳会社員だったランディだ。

 とは言え、彼にも彼なりの理由があった。

 まだろくに地球での互いのことを話していないが、社会人だと言っていたエリアルは自分と同じか、年下だと予想していて、今まではヘッドホンを通した声しか聞いたことがなく、その声すら変わってしまっているけれど、こうして接してみるとゲームと現実の言動がまったく一緒なのが判った。

 二年近く『Crack of Dawn』で接して来た彼女が素だったと確信し、彼女への愛しさが増したのはつい先日の話である。

 ふわふわの銀髪に白い肌、若葉のような明るい緑色の瞳。笑うと光りを帯びたように心に熱を灯してくれる彼女が、可愛くて、可愛くて、仕方がない。

 それに比べて自分は……。

 地球の自分と、いまの姿が天と地ほど異なると自覚しているランディだから、彼女を騙すようなことをしたくないと、一歩を踏み出せずにいるのだ。

 地球に帰ってからダイエットしたとして、いろいろ間に合うだろうか……。


「ランディ?」

「え」

「カイトがロクロラにいるって本当?」

「ぁ、うん」


 話の途中だったことを思い出し、ランディは取り繕って返事する。


「ロクロラから来たって言う冒険者が、あっちでは若いSランク冒険者が活躍してるって言ってた。どうやら『採集師』らしい」

「!」

「落ち着いたら会いに行こうか。ロクロラは近いしね」

「うん!」

 

 落ち着いたら――。

 ここのところトヌシャではモンスターの襲撃率が上がっていたが、モブNPCが冒険者登録したことで戦力が増えていたし、モンスターの素材は高値で売れるから稼げる分には特に問題が起きなかった。

 更に言うと、四大属性魔法、二極属性魔法、上位魔法まで習得している黒魔導士のランディと、白魔導士のエリアルが参戦していた事で、怪我人や死人も出なかった。何せ二人とも誰かが血を流す事を厭ったし、親切にしてくれる近隣住民にすっかり親しみを感じるようになっていた。

 誰一人悲しませまいという気持ち一つで張り切っていたのだ。


 冒険者が増えたにも関わらず稼ぎが変わらないと感じた時点でと気付いていれば、事前に防げた可能性もあったわけだが。


 トヌシャを囲む広大な森の異変は、その奥深くでゆっくりと、そして確実に進行していったのだった。

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