第4話 食堂の娘レティシャ

「あの、大丈夫ですか?」

「っ」


 驚いて顔を上げると、その反応に相手も驚いたのだろう。柔らかな緑色の目が丸くなった。

 腰まである長い髪は桜の花に似た淡い紅色。

 緑の瞳と合わせると、まるで春を連想させる女の子だ。しかも背が高い……と見上げながら思うが、よく見れば自分がしゃがみ込んでいる。


「ぁ、あ、はいっ、大丈夫です!」


 慌てて立ち上がろうとして、しかし。


「っ」

「危ない!」


 体力魔力を膝下まで抜かれた体はフラフラで、勢いよく立ち上がるも自分で自分が支えられなかった。

 顔面から転倒しそうになり、それを、近くにいた彼女が体ごと寄せて支えてくれた。


「っ……」


 背が高いなんて、とんでもない。

 小さい。

 華奢な体躯に、甘い匂いがふわりと香る。


「全然大丈夫じゃないわ」

「えと、いや、ぁの……っ」


 体力はともかく、異性にここまで近付かれるなんて未だかつてなかったことで、これまでとは違う意味で心臓が騒がしい。


「うちがすぐそこだから頑張って。ここじゃ通行の迷惑になるし」

「ぁ、ああ」


 女の子は自分より大きな男の右脇に身体を入れ、腕を首に回させて立ち上がらせてくれた。


「行くわよ」

「わかっ、た」


 自分の緊張などお構いなしな彼女に対し(これは人命救助! 人助け!)と、自分が助けられている側だということを忘れて念じてしまう。

 程なくして少女が入ったのは、フォークとナイフがクロスした上に骨付き肉が描かれた看板を下げた店だった。


「ここ、私の父が経営している食堂なの。特に冒険者には美味しいって贔屓にしてもらっているわ」

「そうなんだ……」


 早く離れたいと思いながらの返答は、視線が他所を彷徨ってしまう。そんな態度を取っていれば不信を招いて当然だろう。

 女の子の表情が少しだけ固くなった。


「私はレティシャ。14よ。あなたは?」

「カイト、です。年齢は17で……」

「その恰好は冒険者でしょ?」

「恰好?」


 そんなに分かり易い恰好をしていただろうかと自分の姿を見下ろして、魔法剣士の装備だったことを思い出す。

 防寒のためのコートを羽織ってはいるが、前は開いたまま。

 腰には剣を佩いているし、レティシャがそうと気付いても当然だった。


「ああ、確かに冒険者だ……、です」

「ロクロラは初めてなの?」

「いや、以前にも何度か……今回は、今日来たばかりだけど」

「そう……」


 レティシャが丁寧な動作で椅子に座るよう促してくれて、素直に受け入れて腰を下ろせば、ようやく彼女との間に距離が出来て、ホッとする。

 逆にレティシャの方はだんだんと表情が厳しくなっていく。

 やはり道のど真ん中で力尽きていたのが怪しく映っただろうか。……いや、確実に怪しいな。

 

「じゃあ新人さん?」

「違います」

「だったら、どうしてそんなに腰が低いの?」

「腰?」

「口調が丁寧過ぎて冒険者っぽくないわ」

「あ……」


 なるほどそういうことかと納得する。

 ソロで活動する冒険者も、固定パーティで活動する冒険者も、時として大勢の同業者とチームを組む場合がある。ゲームであれば麻薬密売組織との攻防戦やモンスターの大量発生時がそれだ。

 そういう時に敵方に指揮官を悟らせないため、普段から相手を問わず敬語は使わないのが冒険者の常識だ。

 今までNPCとの会話は吹き出しに表示される定型句の遣り取りだけだったが、これからはこうして自分の口で会話する事になるのだから気を付けなければダメだ。


「そう、だよな。すまん」

「ん?」

「何と言うか、人と話すのが久々だったというか……」

「どういう生活をしていたのよ……」

「ははは……」


 笑って誤魔化す。

 さすがに地球で高校生していましたとは言えない。


「まぁいいけど。じゃあ道端に座り込んでいた理由は?」

「あー……疲れて?」

「依頼帰りってこと?」

「まあ、そんな感じ」


 自分で言っておきながら怪しさしかないと思う。

 当然、レティシャもそう感じたようだったが、指摘しても無駄だと思ったのか何なのか、深いため息を吐いていた。


「いまは暇な時間帯だし、しばらくは此処で休んでて大丈夫だから」

「ありがとう。……あ、もしよければ、近くの宿屋を教えて欲しいんだが」

「一番近いのは左3軒目の民宿ね。食事なしで寝るだけだけど、一泊3,000ベルだったはず」

「ありがとう。食事はここで取る事にするよ」


 言うと、レティシャは瞬き一つ。

 次いで面白そうに笑った。


「確かに新人さんではなさそうね」



 ***



 はっきり言って怪しさ満点の男を、レティシャは果実水でもてなしてくれた。

 膝下まで下がっていた体力や魔力は三〇分程度で体全体に広がっていき、濃度こそ薄まっていたが自力で歩くには充分な回復だった。

 自分の内側にある力をこんな形で感じることになるとは思わなかったが、これからの事を考えると貴重な体験をしたとも思う。だからと言って女神に感謝しようという気にはならないが。


 外の喧騒がだんだんと遠ざかり、気温がゆっくりと下がっていく。

 ロクロラの長い夜の始まりだ。


「部屋の空きがあるか聞いて来るよ。夕飯時に、また」


 短い時間だったが、他愛のない会話を続けたことで最初の緊張感はなくなった。言葉遣いも大分砕けてきた……と、思う。

 レティシャの適応力が高すぎて受け入れてくれただけかもしれないが。


「今夜のおススメはスノウボアのシチューよ」

「わかった。楽しみにしておく」


 スノウボアはロクロラにだけ生息する毛色が真っ白な猪だ。『Crack of Dawn』では初心者向けのモンスターで、倒すと塊肉をドロップする。説明文に食用、美味とあったが実際に食したことはもちろん無い。食堂の人間がおススメするのだから、素直に期待してしまおう。


 軽く手を上げて店を出る。

 たった三〇分前には、あんなにも溢れていた人の姿がほとんどなくなり、通りを行き交うのは依頼帰りの冒険者と思しき複数のパーティと、少数の一般市民。

 空を覆う雲は厚みを増して大地に雪を積もらせていた。

 周囲の建物を見渡すと、ほとんどが二階建て。三階建ても少なくない。この通りはいわゆる商業区に該当し、住民は一階を店、二階から三階を住居としているからだ。住んでいる人間が勝手に増設するので耐震強度なんてまったく考えられていないと思うが、ロクロラ国内には火山がなく、地震も起きない設定だったので、たぶん大丈夫なのだろう。


「やっぱ冷えるな……」


 コートの前を合わせて掴み、レティシャに言われた左三軒目を目指す。ベッドが描かれた看板を下げた建物の壁には、ロクロラの文字で民宿とある。

 つまり、読める。

 レティシャとも普通に会話が出来ていたし、スキルの言語理解はちゃんと仕事をしてくれているようだ。


 中に入ると、すぐ目の前に受付カウンターと階段が並んであり、小学生低学年くらいの男の子が丸椅子に座っていた。顔を見るなり「いらっしゃい、泊り?」と声を掛けてくる。

 家族で経営している民宿っぽい。


「三日くらい部屋を借りたいんだが、空いているか?」

「うん。料金は食事なしで一泊3,000ベルだよ?」

「ああ、それで頼む」

「了解!」


 少年は笑顔で応え、カウンターの奥に声を掛ける。


「父ちゃん母ちゃん、お客さん! とりあえず三日で、男の人が一人」


 奥から急ぎ足で現れたのは三〇代半ばだろう男で、たぶん少年の父親だ。その手には鍵が握られている。


「男性一人で、三日間だね。鍵はこれ。304号室、三階の奥だ」

「どうも」


 三日分の宿泊費九千ベルを支払い、代わりに鍵を受け取って階段を上がる。途中ですれ違ったのは他の宿泊客だろう。三階の奥で、鍵に彫られている数字と、部屋の扉に掛かっている札の数字を確認して中へ。

 寝るだけと予め聞いていた通り、一人用の寝台と荷物置き、サイドテーブル、そしてこの国には必須の、火の魔石で稼働する暖房具だけが置かれた質素な部屋だったが、シーツや枕は新品のように清潔だった。


「そういえば全体的に建物も綺麗だよな……」


 レティシャの店もそうだし、この宿屋もそうだ。

 今日が世界の始まりの日であると考えれば、すべての建物が新築と言えるのかもしれない。


「家を借りるか買うかしなきゃって思ってたけど、半年間ずっと宿屋で暮らすのもアリか」


 考える楽しみが、一つ増えた。

 それに、王都にいるのだからロクロラの王城も実際に見てみたい。冒険者ギルドで依頼を受け、モンスターと戦い、カイトの身体能力を試してみたい。

 やりたい事が次々と浮かんで来て、気付けば口元が緩んでいた。


「せっかくだし、人が空いてるこの時間帯に見て回るか」


 このまま部屋にいたら寝てしまいそうだ。それでレティシャのところへ夕飯を食べに行かなかったら不義理が過ぎる。

 そうと決まれば、と。

 改めてアイテムボックスの中身を確認した。

 職業の欄に『採集師』とつくほど素材採集を楽しんできたカイトのアイテムボックスには、とにかく大量の素材が納められている。

 NPCのクエストには「どこどこでこんな薬草を取ってきて」「鉱石を」「モンスター素材を」と言ったものが多く、更に腕のいい『鍛冶師』や『薬師』といった友人達がいたので、彼らから「こういう素材が欲しいから一緒に狩りに行こうぜ」と誘われたら嬉々として参加していた。

 何せ自分の武器や防具を作ってもらっているのだ、絶好の恩返しの機会である。

 そうこうしている内に運営から『採集師』という無二のジョブが与えられた。少なくとも同じサーバーには自分しかいなかったジョブだ。

 効果としてはフィールドで採取したものは一つが三つに。

 ドロップアイテムは二倍に。

 更に幻と言われるような、滅多に見つかるはずのない素材でも簡単に見つかるので、欲しい素材があればカイトに頼めと、冒険者ギルドを通してプレイヤーからの指名依頼が届くのが当たり前になっていた。

 おかげで随分とベルが貯まっている。


「金の使い道も考えないとな……やっぱ家か。いや、とりあえず下着を買わないとやばい……」


 素材、武器、防具、衣服、ついでに食料。

 ゲームに存在したものはほとんど所有しているが、さすがに下着まではなかった。

 いま気付いて良かった。

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