06 英雄譚①


「カナリア、上をはだけて貰っても構いませんか?」


 真剣な表情で自分にそう話しかけてくるクリスの表情を見た時、カナリアの感情は、遥か天高くまで上り詰めた。

 場所は教会の中。

 怪我の治療などに使っているベッドが置かれた一室。

 神官としての仕事の合間に、クリスから少し話したい事があると連れ出された形だ。



「ク、クリス!」



 カナリアは思わず、ゴクッ!と唾を飲み込んだ。

 部屋には粗末な物とは言え、鍵がかかっている。

 つまりは、密室だ。

 そう、密☆室なのだ!

 その妖しくも甘美なる響きが、カナリアの脳味噌を蛇の舌がチロッ!と這いまわるように刺激するのである。



 女二人、密室の中。何も起こらない訳が無い――――!!



 そんな場面で脱衣を求められる。

 これはつまり、そう言う事・・・・・なのでは!?と、ここ最近故障気味のカナリアの頭の中の計算機が、そんな答えを弾き出した。



「と、言うのもですね――――」



 クリスが追加で何事かを喋っていたが、残念ながら己の出した答えに衝撃を受けるカナリアにその言葉は届いていなかった。



「だ、駄目よ、クリス。私たち女同士なのよ、きゃっ♪」



 そうやって恥ずかし気に首を振るカナリアだが、一体いつの間にやったのか分からない程爆速で、既に上着をはだけていた。

 言葉と手の動きがまるで合っていないがしょうがないだろう。

 何せ今、彼女の頭の中では、自分とクリスが互いにウエディングドレスに身を包み、教会で愛を誓いあっている未来予想図妄想が展開されていた。



 ともあれ、カナリアの健康的な肌と、物の少ない小さな町なりに頑張ったのが見て取れる可愛らしい下着が露わになった。

 その光景に、クリスが困ったような笑みを浮かべた。



「あの、カナリア?ですから、聖印を調べたいので、少しはだけてくれるだけで良かったんですけど……」



「えっ?」 



 カナリアの聖印は、胸と肩の間に刻まれている。

 アレンの手の甲と言う、見せて貰いやすい場所ではなく、多少色っぽい恰好をして貰わなければならない故のクリスの頼みだった。



「…………」



「…………」



 沈黙。

 二人の間で一瞬のが流れる。



「あ、あはは……。聖印、うん、聖印。そ、そうだよねっ。ご、ゴメンね、クリス。変なことして」



「いえ、私の言葉足らずでした」



 自分の勘違いと言うか、勇み足に気が付いたカナリアが恥ずかしそうに服を着直した。

 その様子をクリスは、穏やかな表情で見守っていた、が。



『あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ゛っ゛っ゛っ゛っ゛っ゛っ゛!!!!お゛っ゛ぱい゛がぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛っ゛っ゛っ゛っ゛っ゛っ゛!!!!!』




『うっせぇ…………』



 此方は此方で表情と内心がまるで合っていない。

 逃した魚の大きさに、地獄から湧き出した亡者か、藤原○也かのどちらかにしか許されない叫び声を念話でぶちかましている。

 桃源郷の如き、至福の光景が目の前から去ってしまい、血反吐をまき散らして死にかねない程の絶望であった。

 そんなクリスにデザベアが呆れた様に声を掛ける。



『そんなに、後悔するんだったら黙って見ときゃ良かっただろ……』



『いえ、勘違いにかこつけて、良い思いをするのは違いますし』



 クリスの声が、す――、と平坦な物に戻る。

 恐ろしいまでの落差である。



『急に冷静に戻るな。ったく、無駄に律義な奴だな』



 喋る事になんの制限も無かった元の世界において、ぶっ飛びにぶっ飛んだ性格のわりに友人が多かったのは、この律義さ所以だろう。

 まあ今回の場合に関しては、勘違いさせたまま突っ走っても幸せなゴールインだっただろうが、それはそれだ。



「コホン。聖印だったわね。勿論、良いわ。さあ、どうぞ」


「ありがとう、カナリア」


 今度はマトモに、少し胸元が見える程度のはだけ方を行うカナリア。

 右胸の上部に刻まれている件の聖印が露わになる。

 神の代理人を決める祭事に参加を許される証。それは1つの球体とその中を回る幾本もの線からなる奇妙な紋様だった。

 その印の由来は諸説あるが、聖神教の教典曰く、世界とその中に存在する流れを模した物、らしい。


 さて、聖印を調べると言った訳だが、こうやってただ普通に見ているだけで分かる事など高が知れている。

 より詳しく視る・・ために、クリスはカナリアへ声を掛けた。


「カナリア」


「??何、クリス?」


「聖印をもっと詳しく調べさせて貰えますか?他の余計な事は見ないと誓います。どうか私の事を信じてくれませんか?」


「――――」


 クリスが何をしようとしているのか、カナリアに詳細は分からなかった。

 しかし、クリスが真剣な思いは痛いほどに伝わった。

 ならば、カナリアが出す答えは決まっている。



「正直、良く分かってない所もあるんだけど……。でも、構わないわ。クリス、貴方を信じてる。それが答えよ」



 微笑を浮かべながらそう答えるカナリアの姿は、どこまでも凛々しく綺麗だった。

 …………先ほど、勘違いからの妄想、暴走、露出を決めたのと同一人物にはとても見えない。 



「嬉しいです」

 


 向けられた強い信頼に、クリスは嬉し気に笑った。

 ならば、自分もと真剣な表情を顔に浮かべる。



「では失礼して――【万物にオノマ名を付けるスィンヴァン】」



「っっ」



 そしてクリスは己の権能を模した能力を使う。

 それによりクリスから放たれた神聖な雰囲気に、カナリアは息を呑んだ。

 元から肉体単体で、見ていると同性ですらクラクラしてくるような容姿のクリスだが、そこに人の枠を超えているが故の超然とした雰囲気が加わると更にレベルが上がる。

 そんな溢れんばかりの聖性を漂わせ、クリスは更に力の糸を紡ぐ。


「【”鑑定”の生誕――我がまなこはあらゆる物を見抜く】」


 そうして発生した変化は分かりやすかった。

 カナリアの体に刻まれた聖印を真剣に見つめるクリスの紅い瞳。

 その両眼が、光の反射などでは決して説明できないほど明確に、紅く、紅く、光り輝く。

 白い髪に、光る紅い瞳。

 それはまるで、御伽話で語られる吸血鬼と、その目に在る魔眼の様。

 そしてそんな印象は、さほど的外れでは無い。

 何故ならたった今、クリスが行ったのは、”鑑定”と言う概念に一時的に命を与え、自らの視線に宿って貰う御業。

 その結果、今のクリスの目は、正しく鑑定の魔眼とでも言うべき代物と化していた。

 見たものの情報を取得する鑑定の魔眼。

 その結果について語る前に1つだけ記しておこう。


 紅く、紅く、光る魔眼――――光っている意味はまっっっっっっっったく無い。

 それで性能が上がっている訳でもなければ、何なら光らなくったって発動できる。

 しかし、仕方がないだろう

 クリスの元の世界での職業はDANSHI☆KOUKOUSEI。

 所謂、中学生的な妄想から卒業したと見せかけ、実は興味津々なお年頃。

 だから、仕方がない、DANSHI☆KOUKOUSEIならッッ。

 光らせる……!目の1つや2つ……!何か格好良いからっ……!

 それだけは伝えておきたかった、現場からは以上です。


 閑話休題それはともかく

 真剣にカナリアの聖印を見つめるクリス。

 そんなクリスとついでにデザベアへ、命を与えられた”鑑定”が忖度し、見やすいようにその情報を、与えていく。



○【聖印】

 『■■■流■■■パンタレイ。人よ■■■■■に』との接続の証。

 その発現は、世に溢れ出す呪いの量が一定以上となった際、条件を満たした赤子の誕生時に付与される。

 その条件は、魂の容量が一定以上で有ること、パンタレイとの接続率もしくは同調率が10%を超えていること。


○【接続率】

 パンタレイと接続し、その力を取得することが出来る素質。


○【同調率】

 パンタレイと同調し、その力を一時的に使用することが出来る素質。


○【カナリア・カフェ】

 同調率:20%


 クリスに伝わる様々な情報。

 それは、それで有用な物ではあったが。


 ――違う、これじゃない。

 クリスが今、求めている情報では無かった。

 よって彼女は探す、あるかどうか未確定な、しかしその可能性が高いと踏んでいる物を。



 ――ミツケタ。


 そして彼女は、それを見つけた。



○【英雄譚パラミシア】 

 聖印に付与されている能力。

 聖印の所有者に、その魂を成長させる機会が起こる可能性が1%でも発生した際に自動発動。

 世界の運命を操作し、その出来事を強制的に発生させ、更に魂にかかる負荷を増幅し、乗り越えた際に大きな成長が出来る【試練】を開始する。


 

○【カナリア・カフェ】

 試練:未達成



 確認した情報に、クリスの拳が知らず握りしめられた。

 その発する感情に怒気が混じり、少しではあるが外へと漏れ出した。



「く、クリス?」



「ああ、ごめんなさい、カナリア。少し考え込んでしまって」



 少し不安そうなカナリアの声に、クリスは内心の憤りを封じ込めて、いつも通りに振舞った。

 今知った情報。そしてそこから推察できる事実に感じる不愉快さは、今も尚。

 しかし、それで不機嫌になって、何も悪く無い者を不安がらせて良い筈も無い、とクリスは自省した。

 それに、許せない事だからこそ、冷静に見極める必要がある、とも。



 そもそも、クリスが今回、急にカナリアの聖印を調査し始めた理由とは何か?

 それは先日の、町が廃呪カタラの群れに襲われた事件。

 その事件に感じる不可解さの、調査の為であった。

 事件の後片付けの1つと言っても良いだろう。



 不可解さと言うか、あの事件、何から何までおかしいのだ。

 そもそも、廃呪除けの結界がしっかりと張られた町の周辺に、強力な廃呪が群れで出没するのが普通では考え難い。

 その後に起きた、カナリアが人知れず森へ行き、そこでやはり強力な廃呪たちに襲われた事も、余りに出来過ぎだ。

 それは偶然で済ませて良い事では無いし、実際それで済ませる気はクリスには無かった。

 何か発生するに足る理由があった筈だと考えて、幾つか予想を立てた上で、調査を始めた。

 そして一発目からビンゴ、と言う訳だ。



 曰く、試練。

 それが、町とカナリアを襲った事件の正体であるらしい。

 ふざけるな、とクリスは思った。

 分かった以上見逃してやる気など――――欠片も無い。



「カナリア。印に触れて、少しおまじない・・・・・をさせて貰っても良いですか?」



「う、うん」



「では――【万物にオノマ名を付けるスィンヴァン】」



「――ぁ」



 クリスの細く、柔らかい指が、カナリアの聖印が刻まれた肌の上を這う。

 別段、凄く変な事でも無いのだが、そこはかと無く感じるインモラルさに、カナリアは思わず赤面した。



「【"カナリア・カフェ"の生誕――我が加護を貴方に】」



「んっ」

 

 その言葉を合図に、自らの聖印の部分が熱くなる感覚、をカナリアは感じ取った。

 しかし決して嫌な感覚では無い。

 まるで目の前の少女に優しく抱きしめられているかの様な――。


 それもその筈だ、クリスがやっているのはカナリアに己の加護を与える行為。

 そこに悪意など欠片も無いのだから、嫌な感覚など生じはしない。

 ただ1つだけ補足するのなら、クリスはただ単純に加護を与えている訳では無く、今しがた発見した聖印に付いていた能力【英雄譚パラミシア】 を上書きする形で加護を掛けていた。


 何が、英雄譚だ、何が試練だ、自分の友達に良くも好き勝手してくれたな、と思いを籠めて。

 やろうと思えば聖印ごと上書きしてやることも可能――と言うよりそちらの方が余程やりやすいのだが、それは止めておいた。

 今となっては色々ときな臭い聖印ではあるものの、世間的には神に認められた実に有難い証である。

 それが突然、消失したとなれば、とんでもない騒動になる事は目に見えていたし、カナリアが周りから悪い目で見られる可能性も高いだろう。

 自分を信じていると言ってくれたカナリアなら、それでも構わないと言ってくれる気はしたが、なればこそ尚更、彼女に出来るだけ利する様にこの問題を抑えるべきで、それこそ信頼に応えると言う事だ、とクリスは思った。

 そして時間にしてみれば、僅か数秒。

 クリスの加護が、掛かり終わった。


「終わりました。色々と変な事を頼んでごめんね、カナリア?ありがとう」


「う、うん。それは良いんだけど、今のは……」


「ふふっ、ちょっとしたおまじないです。カナリアが困った時に役立つ筈です」


 それは、多少はぐらかした様な話であったが、そう話しながら微笑むクリスがあまりにも可愛らしかったので、ぶっちゃけ他の事はどうでも良いかな、とカナリアは思った。









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