04 何をどう纏めたのか小一時間問い詰めたい



 ――私は、馬鹿だ。大馬鹿だ。


 クリスと共に、アルケーの町に帰還している最中、カナリアはそう激しい自己嫌悪に襲われていた。

 明らかにナニカの意思に突き動かされていた事を覚えていられずに忘却し、自分の意思のみでこんな時に森に行ってしまったと思っているが故である。

 病も怪我も、早期発見からの早期治療に勝る物は無い。

 だと言うのに、怪我人を放っておいて癒し手である自分が、何処ぞへ行く?許される理由わけが無いだろう、そんな事。とカナリアは自分を責める。

 更に最悪なのは、そんな自分を助けにクリスに足を運ばせてしまった事だ、とカナリアは思う。

 自らを遥かに上回る治療の腕を持つクリス。彼女が自分を助けに来るのに使わせてしまった時間の所為で、どれだけの助かる可能性があった人が亡くなったのかを想像すると、カナリアの心は今にも張り裂けそうだった。

 …………そしておそらく、彼女の父もその中に入っているのだ。



 ――あのまま、死んでしまえば良かったんだ。私なんて。


 なんて風にすら、カナリアは思ってしまった。

 そんな沈んだ様子のカナリアにクリスは優しく声を掛ける。


「大丈夫です、カフェさん。安心してください。貴方の思っているような事は起きていません」



「……え?クリス?それってどういう――」



「多分、直接見た方が早いです」



 駆け足――クリスの体力に合わせた所為で遅めだが――で教会へ向かっていた2人の足が遂にその前にまでたどり着いた。

 教会の前には大きな人ごみが出来ていた。

 現在、教会の中に入れるのが神官と怪我人、そして怪我人に近しい人だけであるが故に、周りから様子を伺っているのだろう。

 町の人々による集まり。しかしそれを見たカナリアの脳内にある疑問が生じた。


 ――どうして、皆もっと焦ってないの?


 それがカナリアが感じた疑問だ。

 見知った人の命の危機で、最悪町の存亡に関わって来る事態。

 焦って然るべきだろう。騒いで然るべきだろう。

 実際、運ばれてくる怪我人を見ていた時の周りの雰囲気は、そうだった。

 だと言うのに、今の町人の集まりからはその時の雰囲気が全然感じられないのである。

 流石に朗らかに笑っている者こそいないが、誰も彼もがほっ、としていて、”不幸な事があったけど、最悪の事態にならずに済んで良かったね”と言った感じである。


「さ。カフェさん、中へ」


「う、うん……」


 その町人の異様な雰囲気に答えが得られぬまま、クリスに促されて教会へ入るカナリア。

 そんな彼女を、少し怒った様子のジャン神父が出迎えた。



「カナリアさん。一体何処へ!」


「……ぁ。その、ごめんなさい。神父様」


 唯々、小さくなるしか出来ないカナリア。

 そんな様子に、ジャン神父は、ふぅ、と一度息を吐いた。


「…………お説教は後です。さ、ご両親が待っていますよ」


「――ぇ」


 ジャン神父は、父親を亡くしたに、こんな事を言うような人では無い。

 ならば父は生きているという事か?あの怪我で?と激しい混乱に陥りながら、カナリアは、教会の中の病室代わりになっている部屋に、ジャン神父とクリスと共に足を踏み入れた。

 そこには――



「カナリアッ!」


「ああ、カナリアっ!」


「お姉ちゃん!」


 部屋に響き渡る男女と子供の声。

 それは、カナリアの両親と、彼女の弟からの物だった。


「ぁぁ……。無事で……」


 生きていてくれたのだ父は。と、カナリアの心は満天の青空の如く晴れ渡った。

 ベッドに寝かされている彼女の父親は、無くなった手足こそそのままだが、命に別状は全く無さそうで、苦痛も感じていないようだった。

 それはとても良かったが、しかし一体どうやって?カナリアのその疑問の答えは彼女の母親から直ぐにもたらされた。



「クリスさんが、治してくださったのよ」



「クリスが……?」



 その言葉を肯定する様にクリスが微笑んだ。




「取り急ぎ、応急手当と痛み止めだけはやっておきました」




「でも、聖輝石が……」




「大丈夫です」



 私これでも治癒ちから持ちなんです!と少し得意げに笑うクリス。

 その可愛らしさに、カナリアの胸が非常にときめいた。


 それに……自分はあんなにクリスに冷たく当たって来たのに、そんな自分や自分の周りも分け隔てなくクリスは助けてくれたのだ、と思うとカナリアの頭の中は感謝で一杯になった――ついでにキュンキュンもした。



「あ、あのっ!クリスっ――!」



「はい。なんでしょう?」



「ほんとにっ、本当にありがとうっっ!!」



 カナリアの口から反射の領域で放たれた感謝の言葉。

 しかし、その返答をすぐに聞く事は叶わなかった。

 何故なら、そうやってクリスに感謝しているのは、カナリアだけでは無かったからである。




「嗚呼っ!クリスさん!私もっ!本当にありがとうございました!!貴方が居なかったら主人は…………」



 自らの家族にだけ注意が行っていた所為で、カナリアは気が付いていなかったが、この部屋には他の自警団の怪我人と、その見舞いも居た。

 例えば今、感極まって涙を流しながらクリスに話しかけた女性は、子供の頃から思い合ってきた幼馴染と、つい最近結ばれたばかりの若奥様である。

 幸せの絶頂の新婚生活から、不幸のどん底の未亡人生活へ叩き落される寸前で救われたことを考えれば、この態度も大袈裟では無いという物だ。

 彼女の夫は片腕を失っていたが、しかし彼女は生きていてくれただけで嬉しい!と、これからは自分が腕の代わりになる!とそんな前向きな意気にだけ満ちていた。


 同じ様に家族を亡くしかけた人は他にも。

 それら皆がクリスに感謝の意を向けていた。

 カナリアを皮切りに、クリスへ向けられる感謝の言葉は、まるで柔らかく温かい一陣の風の様。

 そんな素晴らしいものに当たったクリス。



「――えっ」


 人が喜ぶのが大好きで、普段であれば大喜びしている様が容易に想像出来るクリスが、奇妙な反応を示していた。

 いや、不快に感じているとかそういう事では無い。

 ただ、何かこう”ん?んん???あ、あれ?あれれ??”みたいな感じで腑に落ちない事が存在するようである。

 そんな様子のまま、クリスは数瞬、何事かを思案した。

 


「………………あ゛」


 そうして放たれた『あ゛』は、確実に何事かをやらかした奴が、それに気がついた時の『あ゛』であった。

 それを裏付ける様に、クリスはとても気まずそうに、自分に感謝の意を向ける人たちの勘違い・・・を正す言葉を口にした。


「あ、あのぅ……。皆さん?治療するのは今から・・・・・・・・・ですよ・・・?」


「え」


 クリスとしては、最初からそのつもりであったのだ。

 ただ、怪我人全員を完治させると、聖華化粧で使える範囲の力ではギリギリになるので、とりあえず応急手当と痛み止めをしておいて、カナリアを助けてこようとしただけで。

 ただ、なにも知らなければ、それが治療に見えるかも知れないと、クリスは今更ながらに気がついた。

 或いはアレンたちが居れば話は別だったが、彼らは邪魔にならないように教会の外に居る。


「あ、あの」


「と、とにかく!パパっと治しちゃいますね!そう、チャチャっと!!」


 周囲の困惑の感情に耐えきれなくなったクリスは思った。


 ――とにかく勢いで誤魔化しきる!!と。



 慌ててで怪我人たちへ治療を施そうとするクリスの様子はどこかギャグシーンの様ですらあったが……。

 しかし、そこから巻き起こった展開は、周囲の人間にとっては笑い話などでは決して無かった。


「――――」


 慌てて気の抜けた表情から、真剣な表情に切り替えたクリス。

 途端、彼女から発せられる”圧”が急激に膨れ上がった。


 空が、海が、大地が。

 そう言った人知の及ばぬ大自然が人の形に押し込められたかのような存在感。

 カナリアやジャン神父、それに他の神官や、怪我人とその見舞い人。

 そう言った周囲に居る者たちはおろか、教会の外に集まっている人たち、果ては町の端にいる人にまで、クリスの存在感は届いていた。

 誰も彼もが圧倒されて慄いている。

 信心深い者等は、地面に跪いて天に祈りを捧げている始末だった。


 クリスとしては、(元からするつもりは無かったが)魅了?の力の方は万が一にでも少したりとも漏れ出させる訳にはいかないので、雰囲気については諦めた形だった。



「では行きます――」


 先程までの狼狽えていた様子から一転し、神秘的な態度で言葉を告げるクリス。

 彼女は、そのまま怪我人の治療へと移った。

 まずは、件の新婚さんからであった。

 クリスから放たれた、神聖で暖かく柔らかい白い光が、片腕を欠損した男を包み込む。



「お、俺の腕が――」


「あ、貴方っ!?嘘っ、こんなことがあるなんて…………」



 二度と元に戻ることが無いと覚悟していた失くした腕が再生した。

 男は回復した手を何度も閉じたり開いたりして、漸く実感が湧いたのか耐えきれぬ喜びに思わず目に涙を浮かべていた。

 そんな夫を、妻は嬉しそうに抱きしめていた。

 その様子を確認して微笑んだ後、クリスは他の人の治療も続けていく。



 体の奥まで刻まれた深い傷が、粉砕していた筈の骨が、えぐり取られた肉が、欠損した四肢が。

 どれも1つ残らず治されていく。



「凄い……」


 その様子を見て、カナリアは思わず呟いた。

 そも、欠損クラスの怪我の治療は難易度が高いが、それが廃呪に付けられた物となると更に条件が悪くなる。

 何故ならアレらは呪いの塊。

 廃呪に付けられた傷は、悪化しやすく、癒やしを拒絶する性質を持つ。

 その治療難度は、普通の怪我の10倍でも足りないだろう。

 にも関わらず、聖輝石の補助も無しに患者を回復させて行くクリスの腕は凄まじい。

 同様の事が出来るのは、卓越した法術の腕を認められ、教会より聖女や聖人と言った敬称を授かった者たち位では無いだろうか?とカナリアは思った。

 どこまでも限界無く怪我人を癒やして行くのでは無いだろうか、とすら思えたクリスの様子だが、そこで異変が生じた。



「ぁっ……」


 カナリアはまたしても思わず呟いた。

 何故なら癒やしの力を使っているクリスの、その口の端から、っっっ、と血が流れ落ちるのを目撃してしまったからである。

 ”こんな凄まじい力、何の代償もなく使えるわけ無いじゃない!”と思ったカナリアは、次に治療されようとしているのが、己の父親だった事もあり、居ても立ってもいられずに、クリスへと近づいた。



「あのっ!クリス、邪魔だったらごめんなさい……」



「いえ、全然構いませんよ。どうかなさいましたか、カフェさん?」



「そのっ!私、私にも何か手伝える事は無い?クリスの負担が少しでも和らぐ事があるなら、私何でも・・・するわ!」



 クリスは穏やかに微笑んだ。

 それはまるで、カナリアの真心に胸を打たれた様であった。

 尚――



『やったあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー』



『うるせええええええええええええええええええええええッッッ!!!!!!

 だから!騒ぐのに!!!念話を!!!!使うな!!!!!!!!!!!!!』



『ベアさん!だって、だって!!何でもですよ!?何でもって言ったら何でもって事ですよ!?つまり、カナリアさんが私服の時にしているポニテをしゃぶらせて貰うことも可能ということ――――!!』



『例え、命を捧げても良いと思っている相手からでも、それを頼まれたらぶん殴ると思う』



『確かに……。治療中と言うTPOを弁えないお願いでしたね……。反省します』



『違う。そういう問題じゃない』


 そんな会話している事を全く悟らせず、クリスはカナリアへ語りかける。


「では……。傍に身を寄せて体を温めて貰っても構いませんか?体温が下がってしまって人肌が恋しいのです」


「そ、それって」


 カナリアの頬が紅く染まる。


「ゎ、私で良ければいくらでも……」


 そう言って近づいて来たカナリアをクリスは優しく抱き止めた。

 互いの柔らかな感触が混じり合う。

 カナリアの脳味噌は沸騰しそうだったが、幸い?他に気になる事が出来て、多少気がそれた。



「大丈夫、クリス?無理してない?」



「え?どうしてですか?」



 一見、平静にそして穏やかに微笑んでいるクリスであるが。



「だって、鼻から血が――!」



 クリスの鼻の片方からたらり、と血が垂れていた。

 これは流血ですか?いいえ、それは興奮です。

 大慌てで血を拭い去り、クリスは喋る。



「これは……。大丈夫です!少し”元気”が溢れただけですから!!体調はすこぶる良好ですっ。だからもっと身を寄せ合いましょう!!!!!!!!!!!」



『溢れたのは、元気じゃ無くて性欲だろ…………』



 呆れた様に呟かれたデザベアの言葉は無視した。

 そうして不犯の加護に抵触しない程度に、カナリアとの触れ合いを楽しんでいたクリスであったが、そんな彼女の脳裏に、とても素晴らしいアイディアが思い浮かんだ。



「そうだ!折角カフェさんのお父さんを治すのですし、一緒に力を使いましょう!」



「えっ、でも邪魔にならない?」



「大丈夫です!私がカナリアさんの力を操作しますから!」



 成程、確かにそれなら問題は無いだろう。

 ただ1つだけ疑問がある。



『お前、そんな事出来たの?』



『カフェさんともっと触れ合いたいと思ったら、出来るようになりました!』



JCとの触れ合いが出来るなら新しい技術の1つや2つ、瞬時に出来るようになって当然なんだが?だが??と胸を張るクリスにデザベアは乾いた笑いを浮かべた。



『エロの化身かよ……』



 勿論、無視した。

 カナリアとの接触の感触に集中するのに忙しいのである。


「さ、ではカフェさん。私と呼吸を合わせて、力を使ってください」


「う、うん。わかったわ」


 クリスの言葉に従い、カナリアが癒しの法術を使う。

 その瞬間、クリスがカナリアの力を誘導し、彼女の内側から全身に向かって、くすぐったい様な、気持ち良い様な感覚が流れた。



「あっ、んんっ……」


 カナリアの口から思わず色っぽい吐息が漏れ出した。

 それによって羞恥で、紅い顔を更に紅く染めたカナリアだったが、幸い?またしても気がそれる事態が発生した。



「く、クリス!?また、鼻血が!」

 

 今度は両方からだった。

 またしても、法衣の袖で顔を拭うクリス。汚い。



「大丈夫、気にしないで下さい。さ!力の放出を続けて下さい」


「う、うん」



 その後、クリスが何度も鼻血を流しつつ、カナリアの父親の治療は無事に終了した。

 割と血を流した筈なのに、クリスの様子は、それはもう幸せそうな笑顔であった。



*****



「クリス。今まで本当にごめんね」



 すべての治療が無事に終わった後、クリスとカナリアの2人は夕陽を背に、町の外れに居た。

 カナリアが、色々とお説教をされる前に、クリスと2人で話させて欲しい、と周囲に頼んだからだった。

 彼女はこの1ヵ月間クリスに冷たく当たったのを謝りたかった。


「カフェさん。私は何も気にしてはいません」



「――クリスならそう言うと思ったわ。でも私が私を許せないの」


 クリスならば仮に何もせずに、しれっ、と仲良くしようとしても、何も気にせず受け入れてくれるだろうことは分かっていた。

 しかし、そんな相手だからこそ、仲良くなりたいと願うのであればキチンと自分の過ちを清算したい、とカナリアは思ったのだ。

 それに、そうやってクリスの事を想うだけでカナリアの体は熱くなる。

 彼女に少しでも良くしたいと思うし、良く思われたくもあったのだ。



「その、もしクリスが許してくれるのなら、私に何かお詫びをさせて?私に出来る事なら何でもするから――」



「カフェさん……」

 


 そう言う事ならば、とクリスは考えた。

 カナリアがクリスに思っている事が色々ある様に、クリスがカナリアに思っている事も色々あるのだ。


 例えば――


 ”ハァッ、ハァッ。お嬢ちゃん、今どんなパンツ穿いてるの?”とか

 ”君かわうぃーね!!てか、LI○Eやってる?とか”

 ”自分見抜きいっすか?”とか

 ”貴方と合体したい……”等だ。


 それらを纏めた上で、クリスはカナリアに求める事を口にした。



「では、カフェさん。私と……お友達になってくれますか?」


「はいっ!喜んで!」


 そう答えたカナリアの顔は、どこまでも嬉しそうにほころんでいた。

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