第42話 小岩井姉妹は一歩踏み出したい

 仕事が終わって帰り支度をしていた壮馬を、日菜が呼び止めた。

 最近では一緒に帰ることが日常になっているので、日菜がわざわざ改まって自分の名前を呼んだことに何か意味があるのではと察した壮馬。


「あ、あの、沖田くん! 帰りに、寄り道! しませ、んか? ふ、ふみゅ、全然寄り道じゃなくて、方向も逆なんですけど……うみゅ……」

「いいですね! ぜひご一緒させてください!!」


 2人が並んで会社を出た後に、残った年長者たちは頷きながら集まった。


「……これは、いよいよね。日菜ちゃんが勝負に出ると見たわ」

「意外だなぁ。真奈美さんはてっきり、後をつけるわよ!! とか言って、僕の首根っこ掴んで出動するのかと思ったのに」


「本当に愚か者ね、井上は。乙女の告白にそんな無粋な真似を私がするとでも?」

「結構やりそうだったけど、しないんだ。じゃあ謝るよ。ごめん」


「そうかぁ。あいつら、いよいよくっ付くのか。ワシもな、ある日仕事から帰っていたら、ストーカーに襲われている嫁さんと出くわした時は運命かと思ったもんだ。世の中、なるようになるもんだなぁ。なあ、この話、聞く?」



「あ、大丈夫です」

「気が合うね、真奈美さん。僕も間に合ってます」



 こんなに頼りになる上司なのに、何故か部下から塩対応される剛力。

 「せっかく焼肉でも食べながら語りたかったのに」と言った瞬間に、2人の態度が豹変したのは語るまでもないだろうか。


「支店長! ちょっと高めの焼肉屋の個室が取れました!!」

「今日は日菜ちゃんの武運を祈って、飲みまくるわよ!!」


 壮馬も日菜も、良い上司と良い先輩に恵まれたものである。



◆◇◆◇◆◇◆◇



 日菜がトコトコと先頭を行く。

 壮馬は出来る事なら先に歩いて手を引きたいのだが、目的地が分からないためそれは叶わない。


 駅について、電車に乗り込むとちょうど2人分の席が空いていた。

 少し狭いので、密着して着席。

 日菜の表情は固い。何やら気合でコーティングされているらしく、口数も少ない。


 6つ先の駅で下車した壮馬と日菜。

 壮馬にも目的地の予測ができる場所までやって来ていた。


「おおっ! 懐かしいですね!!」

「は、はい。わたしたちの、母校です」


 そこは2人が1年と言う時間を共に過ごした学び舎。

 杉林東高校だった。


 校門の前にもう1人。

 よく知った顔が彼らを待っていた。


「もー! 遅いですよー! 待ちくたびれちゃいましたー!!」

「莉乃さん! 奇遇ですね、こんなとこで!!」


「ふふっ、奇遇ですー! って、ホントは分かってるくせにー! あたしとお姉ちゃんの2人が壮馬さんに用があるんですよー」

「やはりそうでしたか! では、中に入りましょうか!」


「ふぎゅっ! ……うみゅ。校門、施錠されてました……」


 日菜が鉄の門を引っ張ったり押したりしてみるものの、微動だにしない。


「それはそうだよー。今の世の中、夜の学校になんて早々入れないって言ったじゃん!」

「ちょっと失礼! ふんっ!! あ、これ動きますよ! そぉぉぉれぇい!!」


 ゴゴゴゴと軋む音を立てて、校門がゆっくりと動き出した。


「ふぎゃっ!? 沖田せんぱ……くん、すごい力……!」

「いや、俺が三年生の時に風紀委員で挨拶当番してたんですけどね。この門、歪んでなかなか動かないからって施錠してなかったんですよ! まさか、まだその伝統が残っていたとは!!」


 とは言え、学校の敷地内に無関係の者が入ってはいけない。

 それが人気のない夜ともなればなおさら。


 だから3人は早く用事を済ませるべきである。


 そのくらいの時間は神様も仏様も許してくれる。

 万が一の場合は剛力支店長と2人の先輩が一緒に謝ってくれる。



◆◇◆◇◆◇◆◇



「おおー! 噂通り、校舎が結構小さいですねー! さすが、定員少ない進学校ですー!!」

「莉乃さんは初めて来たんですね! そうなんですよ、生徒の数が少なくて! そのおかげで、日菜さんと出会えたんですけど!」


「むー! その思い出はズルいですー! けどー! お姉ちゃんと壮馬さんが出会っていなければ、あたしと壮馬さんも出会っていないので、これは特別にセーフと言う事にしましょー!」


 莉乃はそう言って、グラウンドにある朝礼台にもたれかかった。


「日菜さん! 文芸部、まだありますかね?」

「ふみゅっ! わた、わたしが卒業する時には、まだありました。が、頑張って、部員集めしたんですよ。わたし」


 壮馬が卒業して、文芸部は日菜とマサシの2人になってしまった。

 マサシは人体模型なので、人としてカウントされない。

 このままでも、日菜が在校している間は文芸部もなくならないが、それは裏返すと彼女の卒業と共に文芸部が消滅する事を意味していた。


 だから彼女は頑張った。

 コミュ症なのに。

 春の部活勧誘の列にも並んだし、ポスターを作って掲示板にも貼り付けて回った。


 そのかいあって、女子が2人ほど入部してくれたのだ。

 壮馬との思い出の詰まった文芸部を守れたことは、日菜の高校時代で最も誇れる偉業として、今も彼女の控えめな胸の中で輝いている。


「さてー! それでは、壮馬さん! お覚悟をー!!」

「なんと! 莉乃さんから来られるのですか!!」


「あー。さすがだなー、壮馬さん。もう、これから何が行われるのか知ってるんですねー? どうしてこんなにステキな人がこれまで誰とも交際をしていないのか、不思議ですー」

「買い被り過ぎですよ! たくさん本を読んでいるので、こういうシチュエーションだと何があるかなとつい想像してしまうだけで!」


 日菜は静かに2人を見守っている。

 「一緒に過ごした時間が長いから、わたしは後でいいよ」とは、日菜の優しさだった。



「ではー! 壮馬さん! 現役女子高生が、今からあなたに告白をしますー!」

「……分かりました! 謹んでお聞きします!!」



 莉乃は「あはっ」と笑った。

 「この人を好きになった理由は分からないけど、それは多分この先もずっと分からないんだろうな」と思い、瞳を閉じた。


 「ふぅ」と息を吐くと、彼女は言った。

 堂々とした態度で、ハッキリとした口調で。


「沖田壮馬さん! あたしは、いえ! あたしも! あなたの事が好きです!! この気持ちは絶対に伝えなくちゃって思いました! 大好きです!!」


 残暑厳しい夏の夕暮れ。

 莉乃の告白は、爽やかな風となって壮馬の心に吹き抜けた。

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