第36話 やだよお、帰りたくないよお

 

「ほら危ないから」

 ボーッと自分の左手を見続け、人にぶつかりそうになっている栞に俺はそう言って手をさしのべた。

 栞は俺の差し出した手を掴むとそのまま、俺の腕に自分の腕を絡める。

 栞の柔らかい胸の感触と暖かい体温が俺の腕に伝わってくる。


「えへへへへ、恋人だからいいよねーー」


「恋人じゃなくても絡めるだろ」

 そんな妹の可愛さに、周りの視線が矢のように突き刺さる。ハイハイ釣り合わないよね、そうですよね。


「じゃあ、次に行こうか」

 まあ、こういう視線は慣れている。

 俺は周囲に構う事なく腕を組んだまま、少々自慢気味に歩き出す。


「……あ、うん……そうだね、で、どこ行くの?」


「えっとね、確かこの近くにちょっと面白いミュージアムがあるからそこに行こうか」

 昨日の夜に調べた情報から栞にそう言って提案する。


「ミュージアム?」


「そ!」


 そう言って腕を組んだまま二人で赤レンガ倉庫を背に歩き出した。

 赤レンガ倉庫から10分弱、二人でのんびり歩いて行く目的の場所に到着する。


「カップラーメンミュージアム?」

 妹が建物に書いてある文字を読む。


「そう、ここ面白そうじゃない?」


「なにがあるの?」


「ちょっとね~~、まあ行こうか」

 某有名カップラーメンの記念館、カップ麺の歴史、販売された種類、パッケージの展示、更には世界の色々な麺料理が食べられたりする。


 その中でも面白いのは、オリジナルカップ麺が作れる。(入場料とは別料金です、名前も微妙に変えてます)


 俺達は入場料を払い中に入った。

 先ずは創業者の歴史から始まり、歴代のパッケージ等、展示を一通り見た後にここでのメインイベントでもあるオリジナルカップ麺を作りに向かう。


「へーー自分で作るの?」


「まあ作るっていっても、中身の具と味を選ぶだけだけどね、あとはカップに絵を描いたり文字を書いたり出来るらしいんだけど、ああ、それ、そこにあるペンで書くみたいだな」


「へーー面白そう! やろうお兄ちゃん!」

 カップに絵を書いている子供達と一緒に二人でお絵かきタイム。


「えっと、何書こう、スペシャルラーメンとかかな?」

 自分のカップに絵を描きながら、栞は何を書いてるのかと覗いて見ると、大量のハートマークの中に、自分の似顔絵と俺の似顔絵を描いていた……。

 しかも超似てる……。


「栞は絵も上手いのかよ」

 なんなのこの妹、万能なの、弱点とか探しとかないと暴走したときやばいんじゃない?


「えー? うん、お兄ちゃんと私のラブラブ絵日記を、子供の頃から描いてるからねー」


 その情報は余り聞きたくなかった……。

 そして思った……この完璧妹の弱点はひょっとして……俺なのか?


 まあそうだとして、俺にはなんの利点は無いけどね。


 それぞれカップに絵や字を書き終えると、今度はそのカップをラーメン工房に持っていき具材を選ぶ。


「わーー、可愛い、ぜんぶヒヨコにしよっと」

「じゃあ俺は全部肉で」

 栞はカップラーメンのメインキャラクターを、俺は謎の肉を選び、ラーメンを入れ蓋を取り付けて貰う。


 最後にパックに入れて、そこに空気を注入し、風船の中に入っている様にして完成した。


「えーーっと、かさばるなー」


「紐があるか、これでぶら下げろってことかな?」


 これを下げて歩くのはちょっと抵抗あるけど、まあ何処かで入れ物でも買えばいいか。


「じゃあ、さっきはパンケーキだけだったから、ここで軽く食べよう」


 そう言って、世界の麺が食べられるというレストランに行く。

 中に入ると、レストランというよりはフードコートだ。

 それぞれの国の麺が屋台形式で並んでいる。


「栞、なに食べる?」


「あ、えっと、うーん、私パンケーキでまだお腹へってないからいいかなー」


「え? そうなの、あーじゃあ、もっと後にしようか」

 やっぱり、横浜なのでメインは夜だからもう少しここで時間をつぶしたかったんだけど、うーーん少し散歩とかして、中華街とかかなー?


「いいよ、お兄ちゃん、足らなかったでしょ、私に構わず食べていいよ、私見てるから」


「いや、それは……栞が退屈だろ」


「えーー、いいよー大丈夫、お兄ちゃんが食べてる姿を見るの楽しいから、あ、なんだったら一口頂戴、あーーんって」

 栞は赤い顔をして俺に向かって大きく口をあける。


「いや、麺類であーーんは、やりにくいだろ……じゃあ遠慮なく」


「うん」

 とりあえず俺はベトナムのフォーを注文し席に持ってきて栞の目の前で食べ始める。

 

 俺が食べている間、栞は、またぼーーっと赤い顔で指輪を見ていた。

 

 よっぽどうれしかったのだろうか? ここまで喜んでくれて俺も嬉しくなってくる。買ってよかった……。


 食事を終え、俺達は最後にショップを見てミュージアムを出た。


 そして腹ごなしにのんびりと海沿い近くの公園を歩く。


 正面に帆の形のホテルが大きく見えている。


 最初に船から見たのとは角度が違うので、また違った形に見えている。


 栞は俺の腕にしがみつつ隣を歩く。


 この状況をしんみりと思った。

 なんか……これって恋人同士っぽくない?って。

 

 そして俺はこのあとに考えている予定をいくつか栞に提案してみた。


「うーーん、ちょっと時間が余ったなー、とりあえずここまでは考えてきたんだけど、この後どうしようか? 夜景は見たいよなー、ちょっと遠いけど、港の見える丘公園に洋館とかあって面白そうなんだよなー、栞、洋館とか見たい?」

 バスか、タクシーか考えつつ聞いてみたが……。


「えっ」


「え?」


「あ、ごめん、お兄ちゃん聞いてなかった」

 栞がそう言って俺に謝った。

 その栞の返事に俺は驚く……栞が俺の話を聞いてない? そんな事があるのか? って俺はその時そう思った。


 栞が、妹が俺の話を聞かなかったなんて、今まで一度だってなかった。

 いや、聞こえづらくて聞き返すなんて事はあっても、こうはっきりと全然聞いてないなんて事……。


 そういえば、さっきからぼーっとしてたよな、なにか様子がおかしい、絡めている腕がわずかに震えてる。


「栞……寒いのか?」


「え、うんちょっと……」

 妹の顔を見ると、さっきからやはり顔が赤い……思えば赤レンガ倉庫の辺りから、いや違う……朝から様子がおかしい。


「ちょっといいか」と言って俺は栞のおでこを触った。ここれは……。


「うわ! 栞、熱あるぞ」


「え? ほんと?」


「そう言えば、最初に手をつないだ時もなんか手が熱かったぞ、ひょっとして朝から具合悪かったんじゃないのか?」


「え? うーーん、でもちょっとだるかっこたかなー?」


「なんで、言わないんだよ……、じゃあもう帰るぞ」

 俺がそう言って栞の手を掴むと栞は俺の手を払いのけた。


「え? 普通にやだよ」


「は?」



「いやだよ? 帰らないよ?」


「ば、なに言ってんだよ、熱、結構高いぞ?」

 俺は再度栞の腕を掴もうと手を伸ばすと栞は俺の腕を交わし歩き始める。



「大丈夫だよ、お兄ちゃん、あ、私、あれ見たい」


「だめだよ、かえるよ」


「やだ」


「栞?」


「いや! 嫌だよ」



「栞!」

 全く俺のいうことを聞かない栞に俺は口調をあらげて名前を呼ぶ。


「やだ、やだ、やだ、絶対にやだ!」


「栞……だめだよ、もう帰ろ」


「いやだあ、嫌、やだ、やだやだ!」

 俺の前でうつむき首をブンブンと何度か横に振る。


「帰らない……帰りたくない……」

 そして妹はそのまま下を向き俺を見ようとしない。


「栞、わがまま言わないで……ね?」

 俺は妹の肩を掴んで、こっちを向かせようとした。



「やだ! 絶対に……やだ!!」

 妹は髪を振り乱し、再度頭を左右に何度も何度も振った。

 それと同時にかぶっていた帽子が下に落ち地面をコロコロと転がっていく。


「やだ、……せっかくお兄ちゃんが、恋人って言ってくれて、久しぶりのデートだったのに、やだよおおぉ、かえりたくないよおおぉ」

 落ちた帽子に見向きもせずに、妹は俺に向かってそう言うと、ぽろぽろ涙を流し始めた。


「やだよおお、お兄ちゃんと、もっと一緒にいたいよおお、帰りたくないよおお」

 俺は妹に近づくと、頭をそっと抱え俺の胸に抱き寄せる。


「かえろ、ね、また今度来よう、もうすぐ夏休みだからさ」


「ふ、ふえ、ふええええん、指輪まで買ってもらったのにいいい、昨日から楽しみにしてたのにいいい、楽しかったのにいいいいい」


「うん、うん、かえろ……、ね」


「ふえええええ……」


 泣いている妹をそのまま胸で泣かしつつ、俺は髪をゆっくりと撫でる。


 そして妹は暫くそのまま泣いていた、

 

 暫く泣いてようやく落ちついて来たのか「……お兄ちゃん、……ごめんなさい……」そう言って俺の胸で顔を埋めたまま俺に謝った。



「大丈夫だよ、また来ような」

 俺は優しく栞の肩を抱いたままそう言うと、栞はスンスンと鼻をすすりながら素直に頷いた。


 こうして、俺の、俺達の本気の横浜デートは夜を待たずに終了した。








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