第25話 復讐

 寝覚めは最高だった。


 諒太郎は、窓から差し込む朝日を浴びながら大きく背伸びをする。昨晩、リサと遊んだことによって感じた楽しさが、まだ体の中に残っている。


 本当に楽しませてもらったなぁと思いながら顔を洗って、歯を磨いて、朝ご飯を食べて、着替えて。


 登校中も、楽しいは当然のように持続していた。


 その辺の雑草や塀の上のぶすっとした野良猫にも挨拶してしまうほどに。


「なにやってんだか、俺は――っ」


 下駄箱を開け、上履きに足を入れた時、足の裏に激痛が走った。


「……え」


 恐るおそる上履きから足を出してみる。


 なにが起こったのかわかっていないふりをしながら、靴下を貫通している押しピンを引っこ抜くと、血で靴下が少し滲んだ。


「そういうことか」


 足の裏に空いてしまった小さな穴から、昨日の楽しさや思い出が血と共に漏れ出しているかのようだ。クラスでの立ち位置から、こういう危険性が常に潜んでいることを自覚していたのでショックはない。無表情を作って教室まで向かうと、にやにやしながらこちらを見てくる男子集団を見つけた。


 ああ、あいつらか。


 クソほど子供っぽい、誰でも思いつきそうな平凡で陰湿なやり方だな、と心の中でバカにした。


 想像力や発想力が足りないんだな。


 あいつらは、いじめる時ですら自分たちのバカさを見せつけてくる。頭がよくないと詐欺師にもなれない、詐欺師になりたいなら東大にいけ! っていうのは本当だったんだ。


 自分の席に座り、イヤフォンを耳にはめ、独りの世界に閉じこもる。黒板の前に目をやると、リサがいつもの人たちと楽そうに話していた。彼女に害はないようだ。とりあえず安心した直後、リサがこちらを向いた。胸の前でひらひらと手を振りながら唇の動きで「おはよう」と伝えてきたので、諒太郎も声に出さずに「おはよう」と伝える。満足したのか、リサはクラスメイトとの会話に戻った。


 諒太郎は目を閉じて、音楽に意識を集中させていく。


 足の裏のことは、リサにばれないようにしないと。


 そんなことを考えながら、なんの気なしに引き出しの中に手を入れると、教科書の上に紙が置かれてあるのに気がついた。穴が一列に空いている部分がある。ルーズリーフを四分の一に折っているみたいだ。


 デジャヴだな、と諒太郎は笑う。


 リサとの関係は、引き出しの中に入っていた手紙から始まった。今日はどんなことを伝えるためにこの手紙を入れたのだろうか。


 まあでも、昨日と同じく今はみんなの注目を浴びているので開けられない。諒太郎は一限目の授業中に隙を見て制服のポケットに手紙を入れ、チャイムが鳴るとすぐにトイレの個室に駆け込んだ。


「さて」


 ポケットから四つ折りにされたルーズリーフを取り出し、開く。


 そこに書かれている文字を、脳内でリサの声に変換して再生させる。


「……え」


 おかしかった。


 こんなことを、リサは言わないと思った。



 ――昼休み、体育館裏に来い。



 リサの言葉遣いではない。


 リサの声に、言葉に、こんなにも粗雑な悪意は込められていない。


「そういうこと、か」 


 諒太郎は、黒い笑みを浮かべていた男子グループを思い出した。


 変に期待させやがって、とトイレの壁を殴ろうとしてやめる。


 喉の中が砂化してしまったみたいに渇いていた。




  ***




 教室に戻ってからというもの、やけにちらちらとリサがこちらを見ている気がする。その視線に気づかないふりをして、諒太郎は昼休みまでの時間ずっと机に突っ伏し続けた。


 四限目終了のチャムが鳴ると誰よりも先に教室を出る。


 あいつらより後にいくと、「怖気づいて来るのが遅くなったんだろ」と言われかねない。


 だったら先にいって待ってやろうと思ったのだ。


 指定された場所、体育館裏は日があまり当たらないのか、空気がじめじめとしてした。ヘンテコな草も生えまくっている。


 バレンタインデーとかなら、こんな鬱屈した場所もときめきの力でさわやかな場所になるはずなのに、と思いながら待つこと十分。


 自ら時間と場所を指定したくせに、そいつら、というよりそいつは遅れてやってきた。


「マジでいるじゃん。怖気づいて来ねぇかと思ったぜ」


 いや、お前が呼んだんだろ。


 謎の理論で嗤われても、別になんとも思わない。


 諒太郎のもとにやってきたのは、今朝悪意を向けてきたグループのリーダー、名前は……たしか風間だ。


 バスケ部で、短髪、塩顔、誰にでも好印象を与えそうな風貌をしている。


 いつだったか、こいつはリサに告白して、強引に迫った挙句にフラれていたっけ。


「まさか。お前みたいなクソ陰湿男に怖気づくやつなんかいんの?」


 嫌味に嫌味で返してやると、風間は「クソが」と体の横で拳を震わせ始めた。


「で、風間さ。俺になんの用?」


「は? なんでお前が主導権取ろうとしてるわけ?」


「そんなちっさなこと気にしてるのお前だけだから」


 そう煽ってやると風間の顔が歪む。


「てめぇ。調子のんなよ。いきがってられるのも今の内だから」


 風間の顔から熱がサーっと引いていく。


 なんだこいつ、意外と冷静な面もあるのか。


 そんなことを考えつつ風間の出方をうかがっていると、彼の目が黒く光った。


「お前さ、聖澤がいじめられたくなかったら、わかってるよな?」


 その瞬間、考えていた煽り文句や反論の言葉が脳内から消え去った。


「俺さ、知ってんだよね。聖澤がコスプレとかアニメとか、気持ち悪い趣味持ってること。あいつの友達にばらしてもいいんだぜ?」


「てめぇ。とことんクソだな」


「いいのか? 俺に歯向かって」


 諒太郎は目の前でいやらしく笑う風間を睨みつける。


 こいつは、脅迫の本質を知っていた。


 誰かを強制的に従わせる時は、当人を脅すより、当人の周囲にいる人間を人質にするほうが効果的であることを。


「お前らムカつくんだよ。あいつはこの俺をフリやがった。なのに選ばれたのがお前とか、ふざけんなよ」


 こいつ、本当に頭が腐っている。


「でも、あいつはクラスの中心だからな。あいつを貶めようとしたら逆に俺の方が害を被る。俺はそんなことするキャラでもないしな。だからこの惨めな感情に必死で耐えてきたが」


 こんなクソみたいな自尊心に塗り固められた男なんか、今ここで絞め殺したって罪には問われないと思う。裁判官も裁判員もよくやったと赦してくれると思う。


「お前と聖澤がただならぬ関係を見せつけてきたからさ、昨日お前らの後をつけてみたんだよ。まさか聖澤にあんな気持ちわりぃ趣味があったとは」


「気持ち悪い? ああ、ストーカーのお前のことか」


「そう強がんなよ。……あ、お前もそっち側の人間だから、自分たちの気持ち悪さには気がつかねぇか。今となっちゃあ聖澤に断られて逆によかったぜ。俺もあんな気持ち悪いもんに染められる可能性があったと思うだけで、体がかゆくなるわ」


「もういいよ。黙れ」


「あ?」


「お前の声、聞き飽きたって言ってんの」


 吐き捨てるように言うと、風間に胸ぐらを掴まれた。額と額がぶつかりそうなほど顔を近づけられる。


「これは俺の復讐なんだよ。聖澤が痛い目に遭わないですむよう、どうしたらいいか自分で考えな。ばらすことも、集団で襲うこともできんだよ」


 そのまま押されて、諒太郎は後ろに数歩よろめいた。


 風間は舌打ちをしてから去っていく。


 その背中が見えなくなってから、諒太郎は体育館の冷たい壁に寄りかかった。


 あー、しんど。


 心の中でそう呟く。


 コンクリートの冷たさが体を侵していく。


 あー、しんど。


 心の中で聖澤翼の笑顔を黒く塗りつぶしていく。


 足元の雑草を、ぐりぐりと踏みつけて、面白くもないのに嗤う。

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