第22話 いつもと違う

 野球部の声が昇降口にまで響いている。朝からご苦労なこった、と諒太郎は大きなあくびをしながら頭をがしがしとかいた。


 昨日はちっとも眠れなかった。


 神薙のせいだ。


 あいつが過去を掘り起こすから。


 いや、全部自分が蒔いた種か。


「でも、なんでリサの砂化症は……」


 階段を上りながら考える。


 昨日、諒太郎の元にはピンクのもこもこした服――たぶんパジャマだろう――のお腹の部分をたくし上げ、ピースをした聖澤の写真が送られてきた。セフレを求める出会い系の写メみたいな構図だったが、驚くべきことに、彼女の砂化している場所は小さくなっていた。


「俺のは……」


 対して、諒太郎の砂化はどんどん広がっている。今はもう右肩も砂化していた。まだ服で隠れる部分だからごまかせているが、このまま病状が進行すればそんなこと言っていられなくなる。


 ほんとふざけんな。


 どうして彼女だけが治っていくのか。


 やはりこれはウタの呪いなのか?


 談笑する他の生徒を尻目に廊下を歩く。窓から差し込む陽光がすごく眩しい。今日の一限は数学かぁ……寝よ、と思いながら教室の扉を開けて――すぐにクラスの雰囲気がおかしいことに気がついた。


 いつもは泰道諒太郎という存在に興味を示さないクラスメイト達の視線が、例外なくこちらに向かっていたのだ。


 なん、だ?


 諒太郎が自分の席で音楽を聴き始めても、クラスメイトの視線からは解放されない。さすがに居心地が悪くなり、クラスの連中に睨みを利かすと、彼らは一斉に別の方を向いた。ものすごい寝ぐせでもついているのかと髪を触ってみたが、そうではないようだ。


 じゃあ、いったいなんだろう。


 相変わらずちらちらと視線を向けてくるクラスメイト達の行動の理由を……ん?


 諒太郎はようやく気づいた。


 その視線のうちのいくつかが諒太郎の鞄に向けられていることに。また、その視線が時折、全く別のところにも向かっている。


 諒太郎は、彼らの視線が向かっているもうひとつの場所を見てみる。


「……あっ」


 教壇のそばでクラスメイトと話していた聖澤と視線がぶつかる。しかも頬をぱっと赤く染めた聖澤が目を逸らしたもんだから、諒太郎としては、え? どゆこと? 状態。ってか教室で聖澤がこっちを見るなんて。関係を悟られないよう振る舞わなければいけないのに、どういう風の吹き回しだ?


 諒太郎は不思議に思いつつ、聖澤が目を逸らした先に顔を向けた。


 そこには聖澤の机があり、その上に置かれている鞄には、


「……え」


 諒太郎の鞄についているクマのキーホルダーの色違いがついていた。


 つまり……これはあれだ。


 おそろいってことか。


 体温の上昇に気づかないふりをしながら、再度、聖澤を見る。


 聖澤は話していたクラスメイトに「じゃ」と声をかけて、教室中の視線を一身に浴びながらこちらに近づいてきた。


「ねぇ、ウタ。昨日は楽しかったね」


 彼女の声は、目の前にいる特定の誰かに話しかけるには、あまりに大きすぎるものだった。


 まるで教室中に聞かそうとしているかのように。


 昨日? ウタって? と不気味な呪文のようにざわめきが教室中に広がっていく。


「私、あんな体験初めてだったから。楽しかった。またやりたいな」


 その大変誤解を与えそうな言い方に、諒太郎は思わず反応してしまう。


「ばっかお前。なんで教室で」


 言った後で失言だと気がついた。


 この状況、知らないふりをするのが正解だった。


「お前じゃなくて、なんでリサって呼ばないの?」


 慌てる諒太郎の目の前に立った聖澤は、堂々としている。


 クラスメイトから向けられている視線など、まったく気にしていない。


「いや、だから……」


「とにかく、今日から普通に話しかけるから」


「いきなりすぎんだろ」


「いいじゃん別に。そういうことだから。今日の放課後、予定空けといてね」


「おい、席につけー」


 間延びした声ととともに担任の鈴木が入ってくると、聖澤は手をひらひらさせながら自分の席へ向かった。


 他の生徒も、みな自分の席に着いたが、今日は担任がいくら「静かにしろー」と注意しても、ざわめきは収まらなかった。




  ***




 その日は、一日中居心地が悪かった。


 クラスメイトがいつだってちらちらと見てくるのだ。


 なのに、それを引き起こした張本人の聖澤はケロッとしている。


 ホームルームが終わると、すぐに聖澤が鞄を持ってこちらに近づいてきた。


「お待たせウタ。じゃ、いこ」


 全然待ってねぇし、という言葉は浮かんでいたが、諒太郎の口は全く動かなかった。


「ウタ? どしたの?」


「……いやぁ」


「だったら、早くいこ」


「え、出かけるのか?」


「予定空けといてって言ったでしょ?」


「……あ、ああ」


 決定事項のように言われてしまい、反論できなかった。


 クラス中の視線を感じつつ、諒太郎は立ち上がる。


「今日は私についてきてね」


「ついてきて、って?」


「いいから。ほら、いくよ」


 先に歩き出す聖澤を慌てて追いかける。階段を下りている時に隣に並び、横顔をちらりと見ると、彼女はものすごく楽しそうな顔をしていた。


「ん? どうしたの?」


 諒太郎の視線に気づいた聖澤がこちらを見る。


 諒太郎は恥ずかしくて正面を向いた。


「今日一日、すげぇ居心地悪かったよ。どういう心境の変化だ」


「私は、ただ自分の気持ちに正直になろうって決めただけだよ」


 とたたっと、残りの三段を駆け下りて踊り場で振り返る聖澤。


 進路を塞がれ、諒太郎は立ち止まった。


「だからね、私は、私だけじゃなくてウタにも楽しんでほしいんだ」


「意味わかんねぇから。楽しいの押しつけほどうざったい行為はねぇぞ」


「じゃあなんで私についてきたの?」


「あの状況で教室に残れるわけねぇだろ」


 砂になっているお腹を学ランの上からさすりながら、諒太郎は踊り場にいる彼女の隣を通過する。


「あ、待ってよぉ。拗ねないでってばぁ」


 今度は聖澤が追いかける側になった。彼女を待たずに諒太郎はずんずん進むが、下駄箱に到着したところで追いつかれた。


「ねぇ、ウタはどこかいきたいところある?」


「別に。どこでもいいよ」


「それ言う男子はモテないって相場は決まっているのですよ」


「俺はそもそもモテねぇよ。ってかなんだよそのムカつく塾の講師みたいな口調は」


「そんなことよりどこいきたいか早く言ってよ」


「……じゃあ、聖澤のいきたいところに俺もいきたい」


「うわぁっ! ウタがいきなりモテ男の発言したよ。明日は隕石が落ちるね」


「俺を貶さないと気がすまないんですねぇ」


 そうツッコみつつ、諒太郎はついつい笑ってしまった。


 聖澤も「貶してませんー。構ってあげてるんですぅ。感謝してほしいくらいですぅ」と笑っている。


 クラスのやつらの目が無くなったからか、聖澤といつものように楽しく話せている気がした。


 その後、二人は他愛もない話をしながら、並んで校舎を出た。

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