第26話 触れあう指先

 遺跡から少し歩けば、川がある。

 川が遺跡のそばにあるのではなく、川のそばに町が作られたのだろう。

 水量は多いものの流れは緩やかで、水浴びをするにはもってこいだ。


「さて、どうしたもんかな……」


 そう独り言ちながら服を岩に引っ掛けて、そろりそろりと川へ入る。

 足先をつけるが、思ったより川の水は温かかった。

 何なら、外気温よりも少し高いかもしれない……と思って、川を見てみると所々で湯気がうっすらと上がっていた。


「温泉かな? 珍しい」


 そう言えば、東スレクト地方を南下すれば有名な温泉街があると聞いたことがある。

 地脈レイラインの流れ的に、この辺りに温泉が湧いていてもおかしくはない。

 幸運に感謝しながら、膝ほどの深さの場所まで入っていく。

 座り込むと、温水と冷水がまばらに体を包んで、ちょうどいい塩梅だ。

 

「ふう……」


 心地よさに息を吐きだしながら、プランを思索する。

 起動用魔力を確保するための【疑似迷宮核デミコア】がない以上、その代替品を探さなくてはならない。

 そして、一番それに適したものは【迷宮核ダンジョンコア】と呼ばれる秘宝だ。

 迷宮ダンジョンの奥深くに潜む迷宮主ダンジョンマスターの体内から採取される高密度の魔力結晶体で、この深紅の秘宝は使用者の小さな願いを叶えてしまえる魔法道具アーティファクトでもあるらしい。


 その【迷宮核ダンジョンコア】の劣化コピー──魔力結晶体構造だけを模したのが【疑似迷宮核デミコア】だ。


 つまり、この【迷宮核ダンジョンコア】を手に入れることができれば、転移装置魔法道具アーティファクトを起動することもできるし、もしかすると願うだけで元の時代に戻れるかもしれない。


 ただ、これが現実的手段かというとやや難しい。


 そもそも【迷宮核ダンジョンコア】がひどく入手困難なものであるが故に、父は【疑似迷宮核デミコア】を開発したのだ。

 あの父をして入手困難と言わしめるアイテムが、簡単に手に入るわけがない。

 迷宮ダンジョンは危険に満ちた場所であるし、迷宮主ダンジョンマスターはその迷宮で最も危険な魔物モンスターでもある。


 今の僕たちが【迷宮核ダンジョンコア】を手に入れるのは、かなり難しいと言わざるを得ないだろう。


「ノエル様?」


 うんうん唸っていると、背後からチサの声がした。


「チサ?」


 ……と、振り返ったのは、完全に失敗だった。

 だって、湯気の向こうに立っているチサは無防備に裸体を晒していたから。


「……ッ」

「……!」


 顔を赤くして要所を隠すチサと、頭ごと視線を逸らす僕。

 それでも、まるで焼き付いたようにチサの肌が脳裏にちらついた。

 女性の裸体なんて、無遠慮な姉で慣れているはずなのにどうも勝手が違う。


「みっ、見えましたか……?」

「だ、大丈夫。湯気で……ごめん、見えちゃった」


 ここで誤魔化すのも逆に不義理に思えて、僕は本日二度目の『土下座』の体勢に入る。

 それを水音を立てて近づいてきたチサが、遮った。


「どうしてここに?」

「周辺警戒から帰ってまいりましたら、エファ様に水浴びに行って来いと……」


 あのひとは何してくれてるんだ。

 鉢合わせるに決まってるだろう!

 考えなしなのか狙ってるのかわからないけど、やめてくれないかな!


「突然声をかけて申し訳ございません。お目汚しをいたしました」

「そんなこ……と……!」


 弁解に力が入りすぎて顔を上げたのも、やはり失敗だった。

 至近距離で見る幼馴染の肌は、少し刺激が強すぎる。


「ひゃぅっ」

「ご、ごめん!」


 慌てて体ごと目をそらすが、まさに後の祭りだ。

 何だって僕ってやつはこうも迂闊に過ぎるんだろう。

 朝からチサに失礼ばかりを働いている気がする。


「ごめん、チサ。そんなつもりじゃなかったんだ」

「い、いえ……わたくしの不注意でした。お気になさらず」


 しばしの張り詰めた沈黙があったが、ふと空気が揺らぐのを感じた。

 僕の背中に、チサの手が触れる。


「本当にお気になさらず。傍仕えする身でございますれば、このようなこともあります」

「もう、そういうのじゃないだろ? 僕らは」

「そうでしょうか?」

「そうだよ。チサがどう思ってるかはわからないけど……僕はチサのことを大切な幼馴染だと思ってるよ」


 詰まったように黙り込んだチサが、背後から僕をそっと抱擁する。

 柔らかなチサの素肌が触れて、心臓がどきりと跳ね上がってしまう。


「チサ?」

「ノエル。わたくしは、不安だったんです」


 肩にチサの息と頬が触れる感触がする。

 寄りかかってきた彼女にどう反応していいかわからない僕は、腹に回されたチサの手にそっと触れて、指を絡ませた。

 父が母にそうしていたのをたびたび見たから。

 今はそうするのが、きっと正しいのだと思う。


「任務としてあなたに仕えることを命じられて……どんな風に接したらいいかわからず迷っていました。きっと、関係を壊してしまう。嫌われてしまうと。幼いころのようには、いられないと」

「いまも?」

「いいえ──わたくしは忍び失格ですね。こうして不安を口にして、主と仰ぐ人に寄りかかるなど。切腹ものです」

「いいよ。このままで」


 チサの指を弄びながら、僕は苦笑する。


「僕はあんまり頼りにならないかもだけど、こうして背中を貸すことくらいはできるさ」

「チサは果報者です。ノエルがこうして支えてくださるのですから」

「それを言ったら僕はチサに随分と助けられてるよ」


 そう笑ってみせると、チサがほおずりするように肩に触れる。

 それが甘える仕草なのだと思いだして、愛おしさがこみ上げた。

 それが幼いころを兄妹のように過ごした幼馴染としての感情なのか、それともいまだ自覚に至らない男女のそれかは判断がつかないまま天秤を揺らしているが……チサを縛っていたものがようやくほどけたような気がしてほっとした。


「そろそろ戻らないと。姉さんが心配するかも」

「そうですね。でも……あと少しだけこのままでいさせてください、ノエル」


 そんな小さなわがままチサが言うものだから、なおさら愛しくなってしまう。

 おかげで不確定であった僕の天秤は、すっかり片方に傾いてしまった。

 ……でも、それはチサも同じだったようだ。


 僕たちは、お互いに触れ合い、許し合って……それから、笑い合った。

 湯気に煙る、この川の中で。

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