第2話 一ツ星(スカム)

「おかえりなさい、ノエル。エファもお迎えご苦労様」

「ただいま、母さん」

「ただいま!」


 家でもある古めかしい塔の扉をくぐった僕たちを出迎えたのは、姉と同じストロベリーブロンドの髪を小さくまとめたエプロン姿の母さんだった。

 きっと、今日という日の為にご馳走を作ってくれていたのだろうと思うと、結果を伝えるのが少しばかり心苦しい。

 『歴史上、三ツ星コモンで最も優れた魔法使い』とも言われる母の才能は、やはり僕に受け継がれなかったのだから。


「母さん、僕……」

「まずは手を洗って、ね? 玄関先でする、話でもないでしょ? 父さんが、書斎で待ってるよ」


 意を決して切り出そうとした僕を笑顔で軽く制して、いつも通りに振る舞う母。

 もしかすると、結果についてすでに連絡があったのかもしれない。


 なにせ、僕たちが住むここは『無色の塔』だ。


 真理研究学術学園都市──通称、『塔都市』──ウェルスにおいて、唯一どの派閥にも属さない特殊な塔。

 この由緒ある街の長い歴史上、初めて『一つ星スカム』で〝賢人〟となり、さまざまな功績から英雄と称される父によって提唱された『無色主義』最初の学術塔である。


 〝賢人〟達が住まう塔が無数に立ち並ぶウェルスに於いても、ここほど特殊な塔もない。

 それ故に、その子である僕には大きな期待がかけられており、すでに誰かが僕の『降臨の儀』の結果について知らせている可能性があった。


「ノエル、おかえり」


 洗面所で手洗いとうがいを済ませ、言われた通りに父の書斎に向かう。

 書斎では、車椅子型魔法道具アーティファクトに乗った父が、何やら分厚い本を読みながら僕を待っていた。

 僕と同じ、黒い髪に鳶色の瞳。

 母達曰く、僕は若い頃の父にそっくりなのだという。


「ただいま、父さん。今日の調子はどう?」


 なんとなく言い出しづらくて、当たり障りの話題を振ってしまうが、それを気にする風もなく父はさらりと返事をした。


「悪くはないよ。ノエルの晴れの日だからかな」


 僕の怯懦を察してか、小さく苦笑する父は穏やかだがどこか弱々しい。

 〝魔導師マギ〟という魔法使い最高位の二つ名で呼ばれた父は、いまやその能力のほとんどを失っており、普段はまともに歩くこともままならない。

 その原因について、父曰く「若い時にちょっと神様と喧嘩しちゃってね」とのことだが、その真実は闇の中である。

 なにせ、学園中のどの文献を漁っても、そんな話は見当たらないからだ。


 だが、それが事実であるというのは、なんとなく幼いころか肌で感じていた。

 何故なら、周囲の大人たちから僕にかけられる無遠慮な期待は、あまりに重たかったから。

 ただの『一つ星スカム』の魔法使いの子に向けられるそれとは、まるで違った。

 誰かが〝出涸らし〟なんて不名誉な呼び名を僕につけたのも、その一方的な期待を裏切られたと感じたからだろう。


「『降臨の儀』、受けてきたよ」

「そうか」


 意を決して切り出した言葉に、父は小さくうなずく。


「どうだった?」

「『一つ星スカム』の『魔術師』だった」


 僕の言葉を聞いた父が、その顔に薄い笑みを浮かべる。

 それは嬉しそうでもあり、どこか寂しそうでもあった。


「そうか。じゃあ、きっとたくさん苦労するな」

「そう、だよね。そうかも。僕はどうしたらいいかな?」

「好きに生きればいいさ。私もそうしてきたし」


 眼鏡を押し上げながら、満足に動かない体を僕に示して父が苦笑する。

 その意味がいまいち掴めなくて、僕はなんとなく俯いてしまった。

 自由という言葉は『一つ星スカム』には過ぎた言葉のように思える。


 それが許されたのは、父に『一つ星スカム』という枠を超えた大きな魔法の才能があったからだ。


「そう気落ちすることもないさ。何にせよ、来月の入学試験は受けるんだろう?」

「それなんだけど……僕はやめておこうかと思って」

「なんでよ⁉︎」


 帰宅の道すがら考えていた結論を口にした途端、突然部屋に姉が飛び込んできた。

 盗み聞きでもしていたのだろう、あんまりにもタイミングが良すぎる。


「びっくりさせないでよ、姉さん」

「それは悪かったけど、『学園』に行かないってどういうこと? 〝賢人〟になって魔法道具アーティファクトの研究をするって言ってたじゃない」


 感情を爆発させる姉は、獰猛で些か怖い。

 いまだかつて姉弟喧嘩で勝てた試しはないし、過保護な姉がこうして怒る時はたいてい僕の方が悪いからだ。

 ……今のように。


「もしかして、『一つ星スカム』判定だったからかい?」

「……」


 父の静かな問いに、僕はただ頷いて応える。

 学園都市ウェルスでのランク差別は、他の国に比べれば随分と緩やかだ。

 しかし、それでも差別はある。特に初等学校ではない『学園』には、全国各地から人間が集まってくる。


 ただでさえ周囲から〝出涸らし〟などと揶揄されているのに、これで親の七光りで入学したなどと言われれば、姉や父……ひいてはよくしてくれている『無色主義』の〝賢人〟や学生達に大きな迷惑がかかるかもしれない。

 それは、絶対に避けなければいけないことだ。


「ノエル。それは本当にお前の望みかな?」

「それは……」


 言い澱む僕に、父が吹き出すように苦笑する。


「やれやれ。お前は私に似て、少しばかり自信が足りないな」


 困った顔で笑う父から、僕は目を背けるしかない。

 〝出涸らし〟と言われ続け、『一つ星スカム』の判定を今しがた受けた僕に、それを持てというほうが無理な話だ。


 これでも、なんとか追いつこうと色々な努力をしてきた。

 だが、結局僕は……『降臨の儀』を終えてすら、魔法の力を発現しなかったのだ。

 家族の中で、僕だけが魔法を使えない。落ちこぼれもいいところだ。


「あたし、納得できないわ」

「姉さん?」

「だって、ノエルったらちっとも自分の事をわかってないんだもの。それじゃあ、あんたをバカにしてる人たちと同じよ……!」


 目尻に涙を溜めて、鼻を啜る姉に僕は愕然とした気持ちになってしまった。

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