殺人小説の書き方

古池ねじ

第1話

 推理小説を書くために、人を殺す必要はない。

 よく言われる。でも、嘘だ。どう考えても殺しているほうがいい。

 だいたいそんな腑抜けたことを言うやつを見てみろ。もれなく全員無能。小説のために人殺すだけの覚悟も根性もない腰抜けが偉そうに倫理を盾にしてるだけ。惰弱な人間の唱える倫理になんの意味がある。そいつらもどうせ作家の八割が人殺してたら偉そうに「作家としての覚悟」とか言いつつ人殺すし人殺し経験のないやつの書くものを「リアリティがない」とか言い出すんだ。私にはわかる。単に今は人殺しが一般的じゃないから人殺ししてないやつの書く推理小説しか市場にないだけ。でも逆に言えば今なら人殺し経験自体が小説の売りになる可能性もある。逮捕はされるけど。でも逮捕されたって小説は書けるし本も売れる。売ってるしな殺人者の本。そういうの出るときって普段Twitterで「この時代の本の役割とは」とか「出版の倫理」とか言ってる編集者どもが殺人者の本を出版する会社の方針をちょっと当て擦って何千リツイートとかされてフォロワーに「勇気ありますね!」って褒められて引用リツイートで「それが出版人として最低限の責任だと思います」とか書く。でも抗議のために会社やめたり遺族と一緒に意見書出したりはしないんだ。どいつもこいつも腰抜け。全体の風向き見てるだけ。最初の一歩を踏み出したり最後まで踏みとどまったりするような気骨はない。流されてる自分が一番勇気と良識があるみたいに取り繕うことだけに必死。馬鹿ばっか。腐臭がする。全員死ね。

 と私がしゃべっていたら、桐生北斗は困ったように微笑んだ。まるで化粧気のない端正な顔立ちにすんなりとした長い手足。一見少年のようだが落ち着いた眼差しと肌のきめの滑らかさを見れば成人した女だとわかる。黒い細身のデニムに白い大きめのシャツ。黒いスニーカー。見た目は学生時代からあまり変わっていない。中身も変わっていないなら、そろそろ折れるころだった。はっきりしているようで同性の押しには弱い。それが私の知っている桐生北斗だ。

「つまり?」

「つまり探偵が出てくる小説を書くなら探偵経験が必要だと思って。あなた名探偵なんでしょう?」

 桐生はため息をつく。ため息をつくな。失礼なやつだな。

「あのねえ……そもそも、実際の探偵業と推理小説に出てくる名探偵のやることって、全然違うんだけど」

「推理小説の人殺しが実際の人殺しと全然違うように?」

「……わかってるじゃないか」

 わかってないと思っていたのか?

「でもそれってみんな人殺したことなくて名探偵のことをよく知らないからでしょ? 今の推理小説が本当にすべての可能性を試したうえで完璧な姿でこの世にあると思うの? もう推理小説の人殺しと探偵の描写に新しいものは何もないと思うの? すべてはやりつくされていてこの先はただの組み合わせの問題でしかないと思う?」

「人を殺したことのある作家も探偵をしたことのある作家もいないわけではないと思うけどね」

「才能のない人を殺したことのある作家と探偵をしたことのある作家でしょ?」

「ははは!」

 桐生は思わず、といった様子で大きな口を開けて笑った。桐生は私といるときはよく笑う。歯並びがいい。口の中の色がきれいだ。そのせいか童顔というわけでもないが、無邪気に見える。

「納得した?」

「あー……うん。君が何を言っても聞く気がないことはわかった」

 そんなもん最初からわかっているべきだ。

「で、名探偵ってどういうことなの? 普通の探偵と違うの?」

「私が自分で名探偵って名乗ってるわけじゃない」

「そういうのいいから。何が違うの」

 突然連絡を取って押し掛けたここは桐生北斗のオフィスだ。都内の古いビルの一室。ビルの入り口のネームプレートに「桐生探偵事務所」と書いてあるだけで、看板もない。中も狭くてそっけない。ファイルや資料らしきものの詰まった棚に小さなデスク。一人掛けのソファが二つにデスクが一つの応接セット。どれも新しくて掃除も行き届いている。ほかに従業員がいるようでもないから、掃除も桐生がしているのだろう。几帳面なのだ。大学のときのノートを思い出す。ずいぶんお世話になった。あれがなかったら卒業できなかった、とは言わないが、留学できたかは怪しかったかもしれない。

「見ての通りごくごく普通の探偵だよ。届も出してるし法律も守ってる。浮気調査をしたり人探しをしたり」

「殺人事件を解決したり?」

「……たまたまね」

「たまたまを三回も? 一年で?」

「別に私が解決したわけじゃない。ちょっとしたアドバイスをしただけで」

「前置きはいい。私はそのアドバイスについて聞きたいんだけど」

「たいしたことはないよ」

 またもいらない前置きをして、でも桐生は三つの事件の「ちょっとしたアドバイス」についてちゃんと教えてくれた。

「え」

 おとなしく最後まで聞いた私は思わず声を漏らした。

「なに」

「もしかしてそれで終わりなの? たまたま調査中に殺人事件にかかわって刑事と知り合いになって、ガソリンスタンドの監視カメラをチェックさせたりコンビニでガムテープを買った人間を探すように言っただけ? それが名探偵の仕事?」

「名探偵の仕事かはともかく、私のやったことはそれで終わりだよ」

「え、たいしたことなくない?」

 桐生は眉をしかめた。

「だから言っただろ」

「え、警察って雑魚なの?」

「雑魚じゃない。いずれそこも調べてただろうけど、私が指摘するほうが少し早かっただけ」

「えー。素人に負けてんじゃん。雑っ魚」

「雑魚とか言わない。あと素人ではない。探偵。名探偵でもないけど」

「えー」

 私は脱力してソファにもたれかかった。いかにも安物のソファはちょっと姿勢を変えるだけでも居心地が悪い。起き上がる。

「そういえば警察って調査協力したらお金くれるの?」

「くれないよ。意見を聞きにくるだけ」

「は? しょぼ。なんなん警察」

「こんなアドバイスにお金なんか払えないよ」

「じゃあなんで協力してるの? 一銭にもならないんだよね? 搾取じゃん」

「そうでもないよ。こっちにも利益がある」

「え、探偵業での違法行為の目こぼしとかしてくれるの?」

「君はそういう発想しかないの?」

「えー。警察の情報を提供してくれるとか? でもそれもだめだよね」

「だめだよ」

「じゃあ何利益って。もっとえぐいことしてるの?」

 してても教えてくれないだろうが。

「利益というか、単に趣味なんだよ。殺人事件の推理」

 はあ。

「……不謹慎じゃない?」

「……君が言う?」

「今更私が「もしかして殺人のフィクションを楽しむのって不謹慎かも?」って自省したところでどうしようもなくない? 十三歳から殺人の小説で金稼いでんだよ」

「人生に遅いってことないと思うけどね。まだ二十三歳だろ」

 まだ二十三歳。まだ若い。人に言われると鼻白む。そんなことはわかっているが、十三歳の天才だった人間が、三年以上新作を出していない二十三歳という現状を肯定できるかというと、無理である。私は世間並より少し上の二十三歳になりたいのではなく、十三歳の私がなりたかった二十三歳にしかなりたくない。その年齢なりの折り合いみたいなものをつけたくない。社会と和解したくない。良識で押さえつけることが不可能な存在でしかいたくない。

「私はもう不謹慎極めることにしてるけど桐生はそんなことないわけでしょ? 間に合う間に合わないっていうなら今からなんとかすべきはそっちじゃないの?」

「実際犯人特定の役に立ってるなら許される範囲の不謹慎じゃないかな」

「許される範囲の不謹慎なんてものある? そんなんどんどん範囲がでかくなってくだけだと思うけど」

「じゃあもう今日は帰る?」

「帰るわけないじゃん。桐生が神妙な顔してる横で「殺人事件とか受けるんだけど」ってげらげら笑いながら話聞いてるよ」

「おとなしくしててよ」

「はーい」

 おとなしくしてたらいてもいいんだ。本当に押しに弱いので心配になる。警察にもいいように使われてるんじゃないか。どうでもいいが。桐生のことは嫌いじゃないけど、好きでもない。私にとってはほぼすべての人間がそんな感じだった。そうじゃない人間のことは嫌いだ。

 警察が来るまでの時間、私たちはどうでもいいことを話した。近況報告とか、最近売れてる推理小説の悪口とか、共通の知人の悪口とか。悪口を言ったのは私だけだけど。私の話すことはだいたい悪口で、桐生はそれを呆れながらも聞き、ときどき「言い過ぎじゃない?」と窘めた。

「たいして仲良くもなかったのにいきなり連絡してきて「今度小説家デビューするからよろしくね」って言ってくるやつに遠慮いる?」

 いらついたから投稿サイトからの拾い上げだと知ってたのに「どこの新人賞?」と聞いてやった。ちなみに私は新人賞の史上最年少の記録をまだ持っているし、優秀賞とか読者賞とかではなく、堂々の大賞だ。賞金も三百万もらった。

「本人にはなんて返信したの?」

「読んでもいいけどつまんなかったらAmazonレビューに星一つつけるって」

「それって星一以外つける可能性あるの?」

「ない」

「つまんないのは確定なんだ」

「面白かったらレビューを書かない」

「なるほどね」

 桐生は笑ったけれど、私は自分のそういうところ、ある種のだらしない誠実さのようなものが鬱陶しかった。面白くても星一をつけるような潔さがほしい。ただ、そういう他人がいたとしたら軽蔑しただろう。

「桐生は読むの?」

「読むよ。頼まれたし」

「星五のレビューつける?」

「面白かったらね」

「つまんなくてもつけてそう」

「それはない……けど、知り合い加点みたいなものはあるかもね」

「はー。これだから」

「娯楽作品ってそういうものじゃない?」

「レビュー見る人は知り合いでもなんでもないじゃん。ただの知らない人の書いたつまんない小説があるだけだよ」

「レビューってそういうものじゃない?」

「そういうものじゃない。だいたいそういうものだったとして慣習を思考停止して漫然と踏襲する自分の怠惰について反省する気ないの」

「はあ」

「何」

 反論される気まんまんで、さらに反論する気もまんまんでいたので気勢を削がれる。険しい顔をしている私に桐生は微笑みかける。

「一理あるなと思って」

「うるさい」

「理不尽だな」

「うるさいな」

「でも私は知り合いの小説読みたいけどな」

「私は知り合いに小説読まれたくないけど」

「そうだったんだ」

「そうだよ。でも無駄なわけ」

「そうだろうね」

 私の本はめちゃくちゃ売れたし今も売れている。一冊目は年齢もあってそこそこの話題作、という程度だったけど、二冊目が爆発的に売れて、そのついでに一冊目も売れて、急いで出した三冊目も二冊目を上回る勢いで売れた。高校生男子とその叔父さんの名探偵のコンビのシリーズもので、キャラクターにも人気があって、漫画にもなったし、映画にもなったし、ファンが書いた同人誌も結構出ている。中学生か高校生の書いた小説に出てくる高校生のキャラクターをそんなほいほいセックスさせるなよ。とはちょっと思うけどまあ黙っている。私もたまに読むしな。むかつくが、面白いのだった。これを書いてる人がいるということ込みで面白い。最近外資系の大手映像配信サイトでドラマが作られて、これも結構ヒットして続編も決定、前からあった翻訳もかなり売れるようになった。出版不況? なにそれ? 本って出せば売れるじゃん? えー売れないんだったら海外で売れば? って感じである。この三年短編も出せてないけど。

 そういうわけで私は本に興味なくても名前ぐらいは聞いたことあるってところに属する作家だし、ほかの本は読まないけど私のシリーズだけは楽しみにしてるってファンも多い。そのついでに顔もめちゃくちゃ知られている。だいたい第一作、処女作って言い方気色悪くて大嫌いだから第一作っていうけど、第一作の著者近景の二つ結びでセーラー服着てぽけっと小さく口を開けている私の印象が強い。セーラー服美少女作家の処女作。そこまで露骨な売り文句ではなかったけどそういう扱いだった。気色悪すぎない? 他人だったら「うわ」ってなって近づかない。私を軽蔑していた人たちのほうが私をもてはやしたじじいたちよりまだまし。もっとも比較の問題で、どっちも死んでほしい。今すぐか十分後かぐらいの違い。

「君に読んでほしいって、考えてみれば結構勇気あるよね」

「なんで? 性格悪いから?」

「大御所でしょう」

「まー。ね」

 三年出してないけど、と言いそうになったけど、小説家と読者というか消費者の時間への印象ってそのぐらいのずれがあるのかもしれない。私が書けない書けないとなってるのは毎日のことだけど、読者が私を毎日思い出してるわけじゃない。毎月本が出る作家とかいるけど、だいたい読者ついていけてないもんな。でもいくらずれててもいずれ読者のほうにも「全然本出てないな引退したのかな」と思う時が来るわけで、そうなりたくない。焦る。売れてないけど細々と本出してるやつにもう枯れたとか馬鹿にされたくなさすぎる。馬鹿にする側でい続けたい。そういう心構えで生きているといつか足を掬われる、と、人は思うだろうけど、でも勝ち続ける人生を送る人間だってきっといるだろう。いなくたって私が最初にやる。凡庸な人間は認めたくないだけだ。大きな敗北をしないために善良なふりを自分に対してさえするようなことはしたくない。そんなのは勝利自体の意味をなくしてしまう。私は十全に勝利したいのだ。

「それにしてもそんなに何もかもに腹立ててるなら連絡取り続けることないだろ」

「下々のものとの接点を維持しておかないといざというとき困るじゃない」

「下々のもの」

「桐生が殺人事件の解決してるっていうのもこないだ誰かがグループで教えてくれたんだよ」

「ええ……気軽に話してくれるね」

「口止めしといたほうがいいんじゃない?」

 後ろめたいことがあると、相手にボールを渡すことで会話の負荷を増やして追及させる気をくじく、という手を私はよく使う。桐生はまんまと苦笑して、追及をあきらめた。簡単なやつ。桐生は壁の時計をちらっと見た。そろそろ二時になる。

「ねえ、早坂雄一郎って知ってる?」

 唐突な名前過ぎて、私はなんだか笑ってしまった。

「それ言葉通りの知ってるかどうかってこと? それとも面識あったかってこと?」

「前者の意味で知らないなんてことある? 君はただの国文学科出身ってわけじゃないんだから」

「まーそーね」

 早坂雄一郎は推理作家だった。四十年以上前、結構若いころに大きい賞でデビューした。私みたいにめちゃくちゃ売れて百万部のベストセラーを出したとかではないけれど、日本のミステリ好きで知らない人はそうそういないだろう。一年に一作か二作の長編を安定して出して、どれもものすごい傑作というわけじゃないけど本格ミステリの謎解きと人間ドラマを上手に両立させていて、ミステリマニア以前の、ちょっとミステリも好き、ぐらいの人にも受けがいい。ランキングに毎回引っかかるけど一位は取れないみたいな外れが少ないタイプの作家だ。単発のドラマ化も何回かしている。

「会ったことはある?」

「あるよ。てか私が受賞したときの審査員だもん」

 そうなのだ。ついでに反対票入れてやがった。くそったれが。殺すぞ。

「そうなんだ」

 こいつ知ってるな、と、しれっとした口調の間から読み取って、舌打ちしそうになる。くそ。なんなんだ。隠し事をされるのが嫌いだ。隠し事をするやつはこっちを舐めてるから。私は隠し事しまくってるからよくわかるんだ。今更ながら、多分この約束自体に何かの意味があるのだと気づく。ただのお人よしだと思ってた私が馬鹿みたいだ。

「で、あのくそじじいがどうしたの。死体でも見つかった?」

 桐生の眼が微かに揺らいだ。もしかして、本当にそうなんだろうか。私は背筋を伸ばす。

「え、まじなの」

「そう。遺体で見つかったんだ」

「まじ? いつ死んだの?」

 桐生はため息をついた。

「詳しい話はこれからするよ」

 嫌な予感がする。時計を見ると、そろそろ一時間が経っていた。

「これから君にも話を聞かせてほしい」

「私にも?」

 私の険を含んだ問いかけに、桐生はいかにもきまずそうに頷いた。

「今日は警察と、その話をする予定なんだよ。早坂雄一郎の死体について」

 ちょうどそのとき、ドアの外から声がかかった。逃げられないことを悟って、私は小さく舌打ちをした。

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