第2話 陥落

「ただいま……っと」


 放課後は速やかに下校し、学園から二駅離れた立地にあるワンルームマンションに帰宅する。

 本来ならもっと近場の方が都合も良かったのだが、実家との距離、家賃、利便性などを考慮した結果、現在の場所に住むことにした……のだが。


「まさか引っ越すよりも先に入院することになるとはなぁ」


 俺は二年生への進級を機に一人暮らしを始めることになっていた。

 きっかけは作家である母さんが「一人暮らしの男子高校生のサンプルがほしいんだよねー。いっちょやってみる?」という軽いノリ。ようは創作活動の糧となるべく捧げられた人柱と言えよう。

 俺自身、一人暮らしというものに興味はあったので、これを承諾。

 本来の予定では春休みのうちにこの家に入居しているはずが……まさかの怪我でこんなにも時期がズレてしまったのだ。


 立ち合いや挨拶、通販で購入した家具の受け取りは母さんが忙しい仕事の合間を縫って済ませてくれたのだろう。

 部屋の中には実家から持ってきたダンボールが積まれており、家具も設置されている。

 専業作家なので比較的時間の都合はつきやすいものの、売れっ子なので時間に余裕があるというわけではない。迷惑をかけてしまったことが少し申し訳ない。


 当面のところ、一国一城の主となった俺の最優先事項はダンボール開封作業といったところか。下っ端のやる仕事じゃねーか。


「文字通り、骨が折れそうだ」


 漫画などの本に関しては全て実家に置いてきた。ワンルームなので極力実家から持ってくる荷物は減らしたかったのと、最近はもう電子書籍で買うことも多くなっていたからだ。

 こういう時に電子書籍って便利さとありがたみを実感する。大荷物を持ち歩かなくても、とりあえずスマホがあれば困らないというのは、中々に助かるものだ。


 なので、入っているのは生活に必要な最低限のものが大半。

 すぐに必要になりそうな日用品の類を引っ張り出しておくとするか。まずは着替えとタオルだな。風呂とか入りたいし。風呂掃除とかをしている暇はないので、今日のところは近くにある銭湯にしておこう。


     ☆


「げっ。もうこんな時間かよ」


 引っ越し準備をしたのは入院して早々。時間が無さ過ぎたということもあって荷物を雑に詰め過ぎたことが災いし、中身を取り出すのに随分と時間が経ってしまった。

 もう時刻は十八時。飯を作る余裕もなければ気力もない。

 ここはコンビニで何か買ってくるとしよう。母さんからは出来るだけ自炊するように言われているものの、今日ばかりは許してもらおう。

 と、俺が立ち上がったのとほぼ同時。


 ――――ピンポーン。


「…………ん?」


 実家とは違う、まだ聞き馴染みのないインターフォンの電子音。

 この音が示しているのは誰かがこの部屋を訪ねてきたということなのだが、心当たりが全くない。

 学園では絶賛嫌われ中の俺を訪ねてくる人間なんて、真琴か家族の誰かぐらいのもの。

 だけど真琴は今日、用事があるということで真っすぐ家に帰ったし、特に遊ぶ約束もしていない。母さんは締め切りで忙しいだろうし……。


「通販で買ったやつかな」


 引っ越しにあたって通販で色々なものを大量に買い込んだからな。

 荷物を全て開封できていないこともあって、何が届いていて何が届いていないのかを把握しきれていない。


「はいはい。今開けますよっと」


 ひとまず荷物を受け取るべくドアを開けると――――


「こんばんは、明上様」


「…………は?」


 白と黒のコントラストが美しいメイド服を身に着けながら両手で包みを持った、クラスメイトが立っていた。

 正確には、白と黒のコントラストが美しいメイド服を身に着けながら両手で包みを持った、白雪アリスが立っていた。


 いや。待て。分からない。なんでだ。

 鳩が豆鉄砲どころじゃない。鳩が戦車の砲弾を喰らったような気分だぞ。


「白雪……だよな?」


「はい。白雪アリスと申します」


 答えた。はいって言った。

 どうやら目の前の少女は白雪アリス本人らしい。

 透き通った透明感のある声も、宝石のように綺麗な碧眼も。新雪のように純粋な色白の肌も。アイドル顔負けの美貌とプロポーションも。

 目の前から叩き込まれた全ての情報が、彼女を白雪アリス本人だと示している。

 不思議とメイド服が様になっているというか、やけに本人に馴染んでいるように見えるのは気のせいだろうか。


「どこでコスプレパーティーをする予定だったのかは知らないが、家を間違えてるぞ」


「いえ。ここで合っています」


 淡々と情報だけを述べると、白雪は丁寧な所作で頭を下げた。


「……旦那様からの命により、本日から明上様のお世話をさせていただきます」


「はぁ!?」


 思わず声のボリュームが跳ね上がった。偶然にも近くをご近所さんであろう人が通りかかっており、その視線が俺と目の前に居るメイド少女へと向けられる。

 まずい。引っ越し早々、ご近所トラブルだけは避けたい。別に周りから何と思われようと知ったことじゃないが、かといって無用なトラブルを増やしたいわけじゃない。


「おい、そんなもんはいらねぇからさっさと帰れ」


「あの、申し訳ありません……旦那様から必ずやり遂げるようにと仰せつかっておりますので」


 やや申し訳なさそうにされると逆に断りづらくなってきた。

 それに、このまま玄関で話していてもご近所トラブルのリスクが無駄に高まっていくだけだ。


「くそっ……分かったよ。とりあえず中に入れ」


「……失礼します」


 よもや一国一城の主となってから早々に城攻めを喰らうとは思ってもみなかった。


「言っとくけど、まだ引っ越してきたばかりなんだ。荷物とかで散らかってても文句言うなよ」


「存じておりますので、お気になさらず」


 開けっ放しになったダンボールや取り出した荷物を隅に退けつつ、テーブルを挟んで白雪と対面する。……どうやら夢じゃないらしい。厄介なことに現実だ。白雪アリスが、なぜかメイド服を着て、俺の部屋で正座している。

 色々と細かいことは気になるものの、こうなったらそれらを脇にでも蹴飛ばしておこう。

 さっさとこいつの話を聞いて、さっさとお帰り頂くのが最短ルートだ。


「それで? 一体何がどうなってる。なんでお前がメイド服を着てうちに来てるんだ」


「旦那様……九条家現当主より明上様の腕の怪我が完治するまで、身の回りのお世話をするように仰せつかりました」


「九条……階段から転んで俺を下敷きにしたあのオッサンか」


「旦那様は明上様に対してとても大きな恩義を感じているご様子でした」


 確かに結構感謝だなんだって言ってたな。忙しそうなもんだっていうのに、入院してからもちょくちょく顔を出してたし。とても世界に名だたる九条グループのトップに立っているような人には見えなかったな。


「個室まで用意して入院費も全額負してくれたし、こっちはそれだけで十分だ」


「旦那様は、それでは自分の気が済まないと……」


「意外と強引だな……そういうところはある意味で金持ちっぽいというか……」


「えっと……既に明上様のお母様に許可も頂いております」


「やりやがったなあのババア!」


 くそっ、母さんめ! さては最初から知ってたな!? むしろウキウキで許可を出したな!? こんなシチュエーション、絶対に作品のネタになるだろうし……!


「ま、待て! そもそもうちは見ての通りワンルームだ! お前が暮らせるようなスペースはない!」


「明上様のお世話をするにあたり、私も隣の部屋に住居を移しております」


「ぐっ…………!」


 隣に引っ越してきたのか!? こんなことのためにわざわざ!?

 入院してたからまったく知らなかったし気づけなかった。

 つーか、やべぇ。金持ちのすることはスケールが違い過ぎる。


 どうにかして断ろうと頭を捻っていると、


「……明上様。ご夕食はどうされたのですか?」


「ん? いや、これからコンビニに行こうかと思ってたところだ」


「あの……よろしければ、こちらを召し上がってください」


 白雪が包みを解くと、中から出てきたのは漆塗りの重箱。

 中には色鮮やかなおかずや粒だった白米が敷き詰められていた。


「いや。遠慮しとく」


 料理なんかされたらますます長居されてしまうので、きっぱりと拒絶の意志を示したが……余計なタイミングで、腹の音が鳴ってしまった。


「……………………」


「持ち帰っても私一人では食べきれないので、少しでも頂いてもらえると助かります」


 くそっ。なんだこのメイド。フォローまで完璧かよ。


 少し悩んだ末、結局俺は目の前の重箱に手を付けることにした。

 生活費は振り込んでもらえているとはいえ節約することに越したことはない……という自分への謎の言い訳をつけて。

 あと単純に空腹には勝てなかった。


「じゃあ……いただきます」


「どうぞお召し上がりください」


 重箱の中身はミニハンバーグにロールキャベツなど、和食ではなく洋食も詰め込まれている。……というか、俺の好物が多い。母さんの差し金か。いつからつるんでた。こんな噛むと凝縮された肉汁が溢れてとろけるチーズと絡み合ったソースの濃厚な旨味に騙されるものかよ。これ絶対に白米と合うやつだ!


「お口に合いますか?」


 他意は一切ないであろう、純粋な眼差し。

 胃袋からの致命的な一撃を受け、白雪による城攻めは俺の完膚なきまでの敗北で終わった。



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