第2話 十二歳の憂鬱

 お母様が再婚して二年が過ぎた。家族仲は良好だ。いつもみんなニコニコしているから。

 気になることといえば、最近お母様の香水が少し濃すぎることと、お姉様の困った勘違いが年を追うごとにエスカレートしている気がすることぐらい……。




「ああ、楽しみ。もうすぐパーティーの日ね」

 ある日の夜、お姉様はウキウキしているようだった。

 あと数日でお姉様の十四歳のお誕生日だから、家族とごく親しい人たちを呼んで誕生日会を開く予定となっている。


 新しいドレスやアクセサリーを新調してもらったお姉様は、その日が待ち遠しいようだ。


「当日はエスコートよろしくお願いしますね、ブライアンお兄様」

「ああ、もちろんだよ」

 お姉様に寄り添われ、お兄様はニコニコしていた。


 そろそろお年頃のお姉様には、他にもエスコートを申し出る男の子たちがいたようだったけれど、お姉様がパートナーに指名したのはお兄様。

 わたしたち兄妹はとても仲良しなのだ。


(わたしも、当日に向けて走り込みをしておかなくちゃ)


 主役はお姉様だけれど、せっかく用意してもらったドレスが入らなくなったら申し訳ないので、わたしも最近は毎日気合を入れて走り込みを続けている。




「今日は、もうその辺にしておいたら?」

 その日の夜、一汗掻いたわたしの元にふわふわのタオルとお水を用意してくれたお兄様がやってきた。


「そうね。なんとか体重も増加せずに済んだし、これならドレスも入りそう」

 なぜか特にここ一ヶ月程、わたしは朝昼晩と三時のおやつの時間に必ずと言っていい程、自分の分プラスお姉様の食事を押し付けられていた。


 それもこってりとした肉料理やカロリーの高いスイーツばかりで……美味しいのだけど、ドレスが入らなくなったらどうしようと冷や冷やものだった。

 いつもお姉様の勘違いを解こうとするのに、どうして上手くいかないのかしら。

 それがわたしの最近の唯一の悩みである。


「どうしたの、フローラ。眉間に皺が寄ってる」

 お兄様に眉間を突かれ、わたしは顔をあげると「なんでもないです」と答えた。

 だって、実はお姉様が食事を分けてくれるのを迷惑に思っているなんて言いづらいもの。


「そうだ。ねえ、少しだけ目を閉じて」

「???」

 突然お兄様にそう言われ、わたしは素直に目を閉じる。


「良いよって言うまで開けちゃだめだよ」

「分かったわ」

 頷きながらも耳元でお兄様の声がしたことに驚いて、わたしは少し目を開けそうになってしまった。いけない、いけない。


「お兄様、くすぐったい」

「だ~め、もう少しそのままじっとしていて」

 首筋に触れられる感触がして、もぞもぞ動いてしまう。


「よし、いいよ」

 ようやく目を開けることを許されたわたしは、違和感のあった首元に視線を向け触れる。

「これはっ」

 わたしの首元には星形のペンダントが付けられていた。とっても可愛い。


「ふふ、いつも頑張ってるフローラにご褒美だよ」

「そんな、わたしお誕生日でもないのに、いいの?」

「ああ。今度のパーティーの時に、それを身に付けてくれたら嬉しいな」

「もちろんよ! パーティーだけじゃない。毎日ずっと大切に付けているわ!」


 嬉しくってわたしは飛び跳ねて喜んだ。

 お兄様もそんなわたしを見て嬉しそうに顔を綻ばせた。その時。


「なにをやっているの!!」


「「っ!!」」


 突然聞こえた大声に驚いて、わたしとお兄様はハッと声がした方へ顔を向けた。

 そこにはなぜか気色ばむお姉様が立っていた。


「お姉様、こんな時間にどうしたの?」

「それはこっちの台詞よ!!」


 お姉様が怒りながらずんずんとこちらへやってくる。

 どうやら、わたしたちが二人だけで会っていたことが面白くないらしい。

 わたしたちはいつも三人の仲良し兄妹だから、仲間外れにされてしまった気分なのかもしれない。


「ミラベル、落ち着いて」

 お兄様に話し掛けられると、お姉様は少しだけ落ち着いたようだった。

 どうやら深夜に目が覚め寝付けなくなり、夜風にあたろうと思ったら偶然わたしたちを見つけたらしい。


 お姉様の機嫌はなかなか直らず、わたしは仕方がないのでこっそりダイエットをしていて、お兄様はそれに付き添ってくれただけだと話した。

 お姉様の機嫌が直ったところで、その日は解散となったのだけれど。


 その日以降、なぜかお兄様がわたしのジョギングを見守りに来てくれることはなくなってしまった。その代りジョギングを終えて部屋に戻る時、たまにバルコニーで楽しそうに深夜のおしゃべりをしているお兄様とお姉様を見かけるようになり……少し寂しい気持ちになった。


 お姉様もお庭でわたしたちを見つけた時、こんな気持ちだったのかしら。






 今日はお姉様の十四歳のお誕生日。

 お姉様が楽しみにしていたパーティーの日。お姉様は本日の主役なのでふんだんにレースのあしらわれた華やかなオレンジのドレスに身を包み、両親から贈られたパールのネックレスを身に付け嬉しそうに鏡の前でくるくると回っている。


「ミラベル、お姫様みたいで可愛いわ」

「ありがとう、お母様」

 嬉しそうな姉の姿にわたしまでウキウキとしてきて楽しい気持ちがした。


「お姉様、綺麗」

「ありがとう、フローラ」

「ネックレスも、とっても似合っててステキ!」


 けれどその言葉を聞いた途端、お姉様がまた例の困った表情を浮かべて嫌な予感がした。


「フローラ……このネックレスはわたくしの誕生日プレゼントよ。ねだられても困るわ」

「そ、そんなっ」

 ねだったつもりなんてまったくなかった。

 お姉様が可愛くてお姫様みたいで、ネックレスも似合っているから、そう伝えたかっただけなのに。


「まあ、フローラも欲しいの?」

 さすがのお母様も、今日の主役にプレゼントのネックレスを譲ってあげなさいとは言えないようで困った顔をしている。

「そうだわ。お母様がサファイヤのネックレスを貸してあげる」


 今持ってくるから我慢してねと言いたげにお母様が提案してきたけれど、わたしは今日お気に入りの星形のペンダントを身に付けているもの。他のものなんて不要だった。だから。


「サファイヤのネックレスはいらないわ」

「あらあら、じゃあ別のネックレスを用意してあげるから」

「別のもいらないの!」


 だってわたしは今身に付けているペンダントで十分なの。それなのに、この二年ですっかり姉と同じものを欲しがる妹の印象が付いてしまっているわたしに、お母様は困った顔をするばかりだ。


「でもね、さすがにパールのネックレスは」

「そうじゃなくって!」

「……お母様、もういいわ」


 お姉様は悲しげな顔をすると身に付けていたパールのネックレスを外した。

 ちょうどそこにブライアンお兄様がやってきた。お姉様が今日のエスコートをしてほしいと頼んでいたから迎えに来たのだ。


「はい、フローラ。これでいいでしょう。大切に扱ってね」

「待って、お姉様!」

 本当に欲しくないの。ネックレスなんていらないのに。

 お姉様はわたしのペンダントを外すとパールのネックレスを付けてきた。


「どうしたんだい?」

 誕生日パーティーの前とは思えない重い雰囲気に、お兄様が戸惑っている。

「そのネックレス……」

「フローラがこれじゃなきゃ嫌だって……だから、しかたないわ」

 お姉様の言葉に、お兄様が複雑そうな顔でわたしを見やった。


 だって今日わたしはお兄様がプレゼントしてくれた星形のペンダントを付けてパーティーに出るって約束をしていたんだもの。他のアクセサリーを欲しがったなんて聞いたら複雑な気持ちにもなるだろう。


「わたくしは代わりにこのペンダントを付けてパーティーに出るわ。ふふ、似合うかしら、お兄様」

 わたしの星形のペンダントを大切そうに付けてお姉様が微笑む。


「お姉様、それはわたしのペンダントよ!」

 お兄様がわたしのために選んでくれたプレゼントだから。わたしにとってはパールのネックレスよりも宝物なのに。


「フローラ。パールのネックレスをもらったんだから交換よ。これ以上、ミラベルを困らせないで?」

「っ」

 お母様がお門違いな困り顔で諭してくる。


 まるでわたしが悪者の雰囲気で、これ以上なにを言っても余計にわたしがわがままを言っているようになる気がして、またなにも言えなくなってしまった。


「えっと……ミラベル。今日のキミは一段と可愛いよ」

 お兄様が空気を変えるようにそう言いながら、可愛らしいブーケをお姉様に贈った。

「まあ、綺麗」

 お姉様は顔を綻ばせて喜んでいる。


 ますますペンダントの話題に戻せない雰囲気だけれど、わたしは自分のペンダントを取り返したくて恨めしそうにお姉様を見てしまった。

 今回ほどお姉様の勘違いを迷惑に思ったことはない。


 けれどお姉様はわたしのそんな視線をまたもや勘違いして。


「まあ、フローラ。これだけは絶対にダメよ! お兄様がわたくしのためだけに選んでくださった、わたくしへのプレゼントなんですから」

 珍しくそれをわたしに差し出すことなく、むっとした顔をして守る様にブーケを抱きしめるのだった。

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