第4話 中学生活

 私の小学生生活はほぼ皆勤賞だった。学校に馴染めないままだったが、「学校は絶対で行かなきゃいけないもの」と思っていたから休むという選択は自分に無かった。また、学校では除け者にされていてもなんだかんだ下の学年の子の教室や家に遊びに行けば相手をして貰えたから平気だった。そして、バカにされながらも気の許せる同級生もいたのでひとりぼっちという訳でもなかった。

 そんな私は中学生になった。ゲームばかりして不安を抱えていたが、中学生になった瞬間に私の中にはある考えが大きく出てきた。それは「これから大学への進学を考えなければいけない」ということだった。大学へ行きたいだとか、やりたいことがあるとかではなく、父と母は大学を卒業しているから、いつかは大学へ行かなければいけないと単純に当たり前に考えただけだった。

 そして、そう考えた自分がいたからか、私は中学校で初めて順位が出る中間テストで驚く結果が出た。

 それは、全ての教科でほぼ百点を取り、学年順位が十位以内という結果だった。

 これには驚き、素直にうれしく自信が付いた。「私ってできるんだ!」そう、明るくなれた。これが私にとって人生で初めての成功体験でもあった。

 その後、私は勉強にのめり込むようになった。勉強をすればするほど成績が上がりなにもない私は将来へ近づける気がした。大学へ行くことが出来れば父や母のように大人になれると思った。

 また、中学校は部活動参加が強制だった為、何かしらの部活をしなければいけなかった。しかも運動部しか基本的には認めないような学校だった。文芸部もあるが、美術部やパソコン部は持病などの深い事情がある人だけが属することが出来る暗黙の了解があった。正直私は部活などしたくなかったが、やるしかなかったので人数が少なそうな卓球部を選んだ。人間関係の構築が下手だったから、人数が少なければ楽に活動できると思ったのだ。

 しかし、ここで問題が起こった。私が入部した卓球部はその年二十人近くの部員が入部した。これは予想外だったが、入ったからにはやるしかないと私は思っていたし、辞退する選択というのが私には存在せず「決めたならやらなければ」と感じ真面目に取り組んだ。その結果、私は一年生にして部長になってしまった。実は、卓球部は三年生が在籍していたものの、二年生はひとりも活動しておらず、夏休み前の大会が終わり、三年生が引退すれば、一年生の誰かが部長になるという方針が決まってしまっていた。私はこんなことになるなんて思ってはいなかった。自分以外の誰かが選ばれると信じていた。でも、選ばれたからにはやるしかないと取り組むことにした。やっと、自分の努力が認められて嬉しくもあったからだ。

 私の在籍していた卓球部は関東大会を目指すような厳しい部活だった。顧問の先生は一生懸命指導をしてくれた。厳しすぎて部長になってからは毎日のように私は泣いた。泣けば泣くほど怒られて辛かった。でも、ここで自分に何か力が付く気がして頑張った。朝四時に起きて朝練へ出かけ、日中は学校、夕方の練習を日が暮れるまでした。帰ってからはテストの為に日付を超えるまで参考書と睨めっこした。また、土日も練習があった。部室に着けばまずは何キロも走るところから始まって、一日中汗をかきハードな練習にくたくたになって帰宅した。

 正直辛かった。部員は多くまとめるのも難しく、中学生の幼い私には重すぎた。結局、周りの事を上手く考えられない私はダメな部長で引退を迎えてしまった。そこまで大会で成果も出せなかった。でも、もう、すぐに泣く自分は引退するころには消えていた。小学生の頃には考えられないほど、私は成長したのだ。

 そして、寝る間も惜しんで勉強をするのが当たり前になった私は、中学三年生の冬、進路が決められず悩んだ。成績は良かった、でも自分でどこにするべきか決めることは出来なかった。気が付けば周りに流され、地域では有名な進学校を選択した。そして、私は猛勉強の末合格することが出来た。

 私の中学生活は大変だったけれど充実していたか……いやそんなことはない。受験が終わるまで私はいじめられていたからだ。いや、いじめられていたのだろうか。それははっきりとはわからない。私は周りを把握するのも、人の気持ちを理解するのも下手だったから、小学校同様に傷つけるような言葉や態度を悪気もなくしていたように思える。だから、それに対し嫌に思った同級生は私を仲間外れにしたり、悪口を叫んだりしたのかもしれない。また、幼かったせいで、勉強ができる自分に喜びすぎて調子に乗ってしまっていた。中学時代の私の態度は大人げないものだったし、周りからは良く思われてはいなかったと思う。いじめの原因が私にあるかとかないかとかいう話ではなく、単純に嫌なことを言う人に近づきたいと思う人は少ないし、嫌なことをしてくる人と仲良くなろうなんて思わない。私は自分のしたことがただ返ってきてしまっただけではないかと今は考える。私のことを変人扱いし笑っていた人たちはきっと、いじめているつもりなんてなかったはずだ。

 しかし、私は受験勉強を頑張りながら、部活を頑張りながら、自分で招いてしまったことだというのにそれが辛かった。自分でしてしまったことをわかりながら、辛く苦しく心がパンクしそうだった。

 その時いじめられていたと感じていたならそれはいじめなのだろうか。私には答えは出ないが、答えは出さなくてもいいと今は思う。自分がその時感じたことをありのまま、今に活かせばいいだけだから。

 またこの頃には父は復職していたが、家庭内での喧嘩は増えていた。父と母はお互い意見が合わずギスギスしていた。でも、私はそれどころではなくて、自分のことでいっぱいいっぱいで何もできなかった。

 でも、父は躁うつ病に苦しみながらも頑張って仕事に行っていたし、母はうつ病を再発しかけながらもなんとか家事をしていた。家庭状況をみんな悪くしたくて悪くしたんじゃない。みんなどうにかしようと頑張っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る