31 お化け屋敷

 律夏りつかと大樹さんが先に入って、すぐ後に続く。薄暗い屋敷内の廊下はギシギシと軋んで緊張感をあおるようだ。

 少し進めば、パッとスポットライトがつき、井戸のそばで皿洗いをしている女性の人形がぎこちなく動き出した。皿の割れる音に動揺する女性の独り言。


『誰!? 誰なの? そこに居るのは!』


 髪を振り乱し、唐突に百八十度後ろに向いた首には、真ん中に一つだけぎょろりと血走った目が。


『み〜た〜な〜』


 はいはい、と通り過ぎようとした私たちに、それはさらに飛び掛かってくるような動きを見せた。

 ガシャン! と大きな音にもびっくりする。


「ひゃっ……!」


 一番近くにいた律夏が、ちょっとよろけて大樹さんに支えられた。うーん。理想的な反応。

 対して私たちは肩が上がったくらいだ。


「……二段階で来るとは……」


 響がぼそりと呟く。意外にびっくりしてた?

 にやにや笑ってやれば、響が気づいて咳払いで誤魔化した。

 障子に映ったろくろ首の影に気を取られていれば、上から首が降ってくるし、電気の切れた廊下は床がふにゃふにゃだし、少し広い部屋に出たかと思えば、押し入れから人が飛び出した。

 意外と楽しんでしまっている。

 目がずっとこちらを追ってくる絵画が並ぶ廊下の先は、また暗がりだった。


「律夏、一緒に行こ」


 二人でキャーキャー言いたくて、私は少し駆け寄ると彼女の手を取った。

 大樹さんが「あ」という顔をしたのが見えて、ちょっと悪いことをしたかなとも思ったけど、暗がり空間はそんなに長くはない。出たところでまた戻ればいいと安直に考えた。


「今度はなんだと思う?」


 律夏がクスクスと笑いながら、足先を暗がりへと突っ込んで床を探る。


「床は、大丈夫みたい」

「暗いだけかな?」


 繋いでない方の手を前に突き出して、二人でそろそろと足を進めた。

 一歩、二歩。

 横へ滑らせた指先に何かが当たる。


「えっ。なんか、触った?!」


 反射的に手を引いて、律夏に身体を寄せる。


「ひゃ! やだ、何!?」


 律夏もあたふたと手を動かしているのが伝わってきた。もう一歩先に行けば、おでこに冷やりとしたものが当たる。


「えっやだやだ!」


 思わず律夏の手を離し、顔に当たったものを払いのける。


「もーやだ。こんにゃく系? 保冷剤? 律夏、早く行こう?」


 元の律夏の手の位置に戻したつもりの手のひらが、するりと空を掻いた。


「えっ。律夏?」


 返事がない。先に行ったような気配はなかった。両手で律夏がいるはずの空間を撫でまわす。じりじりと足を進めても、彼女に当たることはなく、ようやく指先に感じたのは硬い壁の感触だった。


「やだ。律夏、ふざけてる? 先に行っちゃった? それとも、戻ったの?」


 違う。律夏はこういうところでふざける子じゃない。

 それに、これだけ声を上げているのに、響も大樹さんも何も言わないなんて。

 響たちの元へ一度戻ろうか振り返りかけて、微かな声をキャッチする。


『……よしえ』


 前方から聞こえた声に身体の方が先に反応した。


「律夏、動かないで? そっちに行くから!」


 足元も見えない暗闇で、走るわけにはいかないけれど、手を前に突き出したまま、私はできるだけ早く進もうとした。あそこまで行けば、という明かりが見えないのがもどかしい。

 唐突に、パアン! と、だれかが力任せにビンタをかましたような音が響き渡った。と、同時くらいに後ろから肘を引かれる。


「……え?」

「芳枝、だな?」


 響の声。そして、もう三十センチも向こうは薄暗い明かりが落ちていて、正面の床上には非常口の誘導標識が緑色に光っていた。


「え……? なに……どういう……」

「とりあえず、明かりのある方へ」


 大樹さんの声に、響が私を押し出した。


「え。待って。律夏は?」


 闇の中から出てきた大樹さんが、無言のまま今来た闇を振り返った。


「……先に、進んでください。連れてきます」


 促されて、でも、と渋る私を響が引っ張った。


「任せよう」


 正面は行き止まりで、左に曲がって廊下は続く。大樹さんの背中が見えなくなると彼がなにか呟いた。


「……ん、ぴょ……ぅ、しゃ……」


 私は響の手を振り払って駆け戻る。

 角から飛び出した時には、闇の真ん中にカッターで布を切り裂いたような裂け目があって、大樹さんの縦縞しじらがその中へとぼやけて消えて行くところだった。


「芳枝」


 響が戻ってくるころには、闇はすっかり闇に戻っていて、私は少しぞっとする。


「任せよう」


 力強い声と、きつく握られた手に、私は全てを預けるようにして出口まで進んだ。




 仕掛けも、脅かし役のおばけにも反応せずに駆け抜けるように外へ出る。呼び込みのおじさんに青褪めた顔を茶化されたけど、そんなことどうでもよかった。


「……響! あそこで何があったの?」

「こっちが教えてほしいよ。暗がりに入って、何があった?」


 しばし絡み合う視線に、お互いが息をつく。

 お化け屋敷の出口が見える木陰に移動して、自販機で買ったお茶を飲みながら情報交換をした。


「……じゃあ、しばらくは普通だったんだな」

「ちょっと手を離しただけなのに……」

「こっちは、二人が見えなくなった直後からなんか妙だった。一言も声が聞こえなくなって。二人なら、怖さ誤魔化すのにキャーキャー言いながら行きそうなもんなのに」


 そうだけど。そう言われると、なんか面白くないな。


「先の明かりが見えてきても、二人の気配が無くて。そうしたら、大樹さんが『変なことを言うけど、黙って聞いてくれるか』って」

「変なことって?」

「『俺が手を叩いたら、人影が見えると思うから、捕まえてくれ』って」

「……結構すごい音したよね」

「うん。ビビった。もっとビビったのは、本当に目の前にうっすらと人影が見えて。少し前までは誰かいるなんて気づかなかったのに」

「じゃあ、律夏は」


 響は小さく首を振る。


「わからない。でも、大樹さんは何かわかってるんだと思う。『捕まえられたら、早く外に出てくれ。俺が出ていかなくても、心配しないで帰ってくれ』って言ってたから。……彼、神社でバイトしてるって言ってたよな? 店でも時々何もないとこに視線やったりするし……あからさまでもないんだけど、見える人、なんじゃないかな」

「見えるだけじゃ、普通、何もできないよ」

「古い友人の神社トコなんだろ? 昔からになってたのかも。こういうの、慣れててもおかしくない」

「そんな話、律夏からも聞いたことないよ」

「言わないよ。そんな、怖がらせるか、笑われるようなこと」

「律夏は笑ったりしないモン」


 は? と響は呆れた顔をした。


「ともかく、ホンモノの人たちって、あんま、そういうこと言わない。夜の商売やってると時々会うから、なんとなく解る」

「それで、一人で助けに行ったって? 私たちがそれに納得して、さっさと帰ると?」

「そんなこと思ってないよ。でもきっと、普通に係の人に連絡しても解決しない問題だって解ってたんだ。じゃなきゃ、外からも普通に干渉してほしいか。芳枝は、黙って帰るタイプじゃないのは、大樹さんも解ってるだろうし……俺の仕事のことも考慮してくれたんじゃないかな」


 そう言われて、スマホを取り出す。確かに、響はそろそろ仕事に向かわなきゃいけない時間だった。


「芳枝は待ちたいだろうけど、暗くなる前には帰った方がいいかも」

「でも……」

「俺がいなくなって、芳枝にもまた何かあったら、彼、困ると思う。すごく、真面目そうだもの。家に帰りたくないなら、店に来い。連絡入れて、うちで待ってろ」

「……じゃあ、やれるだけのことをしたら、そうする」


 ほっと表情を緩めた響に背を向けて、私は呼び込みのおじさんの元へと近づく。「一緒に入った友人がまだ出てこない」と、はぐれた暗闇の通路のことを告げて、スタッフに確認してもらった。


「迷子になってるとか、リタイアして非常口から出たとかはないですね」


 困惑顔のスタッフは、同じ時間帯に入った人数は出てきているとタブレットを操作しながら言う。


「先に出て、トイレを探しにでも行ってるのかも。ここはあの状態ですし」


 指差す先には長蛇の列。

 でも、大樹さんは私たちの後に残ったし、先に出るわけがない。連絡の一つもないのもおかしい。何より、大樹さんの消えた闇の切れ目が、とても不気味だった。

 律夏は心配だけど、私にできることはもうないのだとカンが告げる。

 うなだれる私の手を引いて、響は店まで黙って連れて行ってくれた。




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