第2話 彗星の力

「九才教室の奴が生意気だな」

 どうしても根をあげないたけるに、馬乗りになっている子はついに拳を固めて振り上げた。

 太郎以外の子が、健が殴られると思わず目をつぶったとき、健の身体を赤い光が覆った。

 健が右手で上になっている子の足を掴むと、足が燃え上がった。

 それを見て太郎は身を乗り出す。


「ぎゃあー」

 足が燃えた子は悲鳴を上げて地面を転がる。


「冬馬」

 太郎が冬馬の名を呼ぶと、冬馬は一瞬で足の燃えてる子の側に寄って、懐から布を取り出して、燃えてる足に押し当てた。

 火は消えたが、足は酷い火傷を負って、皮膚がケロイド状に成っていた。

 それを見て、春瑠と愼は目を背ける。


「碧」

 太郎が目で碧に火傷の手当を頼む。

 碧は巾着袋から膏薬の入った貝の容器を取り出して、火傷を負った子の足に塗り始めた。

 太郎は、火傷した子の側に寄って、頭を下げた。


「申し訳ない。これほどの武気とは思わなかった。碧の薬は良く効くから、今夜は水疱ができて痛むかも知れないが、明日には治るよ。でも痕は消えない。これからむやみに暴力を振るいたくなったら、この傷を見て気をつけることだ」


 最後は少し厳しめに言った。暴力の是非は別として、相手の実力を知らないで戦いを仕掛けるなど愚の骨頂だ。この戦国の世では、命に関わる。それを教えたかった。


 火傷を負った子は、碧の手当が済むと、他の子に肩を借りて立ち去った。

 その姿を見送ってから、太郎は健の方を向いた。


「想像以上だ」


 健は今目の前で起こったことが、自分が発した力だと理解できずに、横たわったままの体制で呆然としていた。

 太郎の言葉も聞こえてないように見えた。


「健、大丈夫?」

 春瑠が健の側に駆け寄ってきて、背中に手をかけて上体を起こす。

 心配そうに覗き込む春瑠の顔に気づき、健が口を開いた。


「俺、何かした?」

 あまりに凄まじい力に、健自信が事態を認識できずにいる。


「健、昨日彗星が空を横切ったことを知っているか」

 何を思ったのか、太郎が健に彗星の話を訊いてきた。

「俺、実際に見たよ」

「そのとき、何か感じなかったか?」

「そうだなぁ。身体にもりもり力が湧いてきて、夢は必ず叶うって元気が出たかな」

「そうか」


 太郎が意味ありげな顔をして、一人で考え込み始めた。健は置いてけぼりをくったような気がして、ちゃんと説明しろと腹がたってきた。


「俺にも分かるように話せ。難しい言葉は使うなよ」

 健の言葉に、太郎ははっと顔を上げて、自分が一人で考え込んでしまったとことに、今気づいたという顔をした。


「昨日の彗星は、何か変な影響を人に及ぼした気がするんだ。お前のその強烈な武気も彗星が原因じゃないかな?」

「彗星の影響? 太郎、お前勉強のし過ぎで、頭が変になったんじゃないのか?」


 健に心配そうな顔をされて、太郎は舌打ちした。

 今、話したことを後悔するような表情になって、彗星の話題を変えた。


「それにしても凄まじい力だ。お前は自分でも気づかないうちに、武気を発して上級生の足に火をつけたんだ。それも凄い火力だ。一瞬で炎が上がり、皮膚を焼き尽くした。軍に入れば大きな手柄を上げると思うよ」

「俺は軍人にはならない。俺が成りたいのは代表なんだ」


 健は顔を真っ赤にして、太郎の言葉を否定した。

 そんな健の横顔を見て、春瑠も頬を朱く染める。


「じゃあお前は代表に成って何がしたいんだ。この国をどんな風に導きたいと思っているんだ」

「えっ」


 考えてもなかった。

 太郎に言われて初めて、健は自分が具体的に何がしたいのか考えてないことに気づいた。

 そんな健の様子を見て、太郎はやっぱりなと呆れたような表情を見せた。


「それじゃあ、今日の甚左と変わりないな。これから一生懸命勉強して、本当に自分に合った夢を見つけることだ」


 太郎は同い年なのに、妙に大人ぶった口調で、健の見識の低さを否定した。

 健は負けずに言い返そうとするが、何を言えばいいか分からなくて口をもぐもぐさせた。


「何か、つまんない」

 碧が太郎の後ろから、太郎の考えを否定する言葉を発した。


「何がつまらんのだ」

 太郎が後ろを振り返って、自分を否定した碧を咎める。

 妙な成り行きに、健はきょとんとした目で碧を見た。


「だって、変に知識だけ入れて賢くなって、自分はこんなだからこういう仕事が適してるなんて、おもしろくもなんともないじゃん。私はできるよりも好きが大事だと思う」


「碧に何が分かる。父上はいつもこの国は人材が乏しいと嘆いていられる。だから私は一人でも多く有能な人材が育って、父上を助けて欲しいと思っているのだ」


 思いも寄らない碧の反撃に、太郎は珍しく冷静さを欠いてムキになった。

 しかし、碧は引き下がらない。


「だからつまんないと言ってんの。太郎のお父さんのためにってことは、国のためにってことでしょう。自分の夢なのに国のためっておかしくない? それって、いつも勝悟様が言ってることと矛盾してるよ。勝悟様は民のために国があるって言ってんだよ」


 太郎は言葉に詰まった。確かに碧の言うとおりだ。だが実際には父や父の仲間たちは、自分たちの夢を捨てて、この国のために尽くしている。


「碧ちゃん、その言い方は良くない。太郎の夢は勝悟様を助けることなんだから、力で従わすんじゃない限り、それをみんなに言ったとしても悪くはないぞ。それに俺は太郎のおかげで代表に成ってからやることが見つかった」


 健が胸を張った姿を見て、碧だけじゃなく、その場の全員が疑惑の目を向けた。


「見つかったって、何よ。聞いてあげるから言ってみなさい」

 さっきまでシニカルに太郎を批判していた碧が、少しばかり焦りながら健を促した。


「俺はやっぱりみんなに選ばれて代表に成る。それで、代表に成ったら、みんなの夢を聞いて、全部実現するように頑張る。もちろん一人じゃできねぇ。だから太郎、お前はその調子で、いろんなことができる奴をたくさん見つけてくれ」


「な、なんて調子がいい奴だ」

 太郎は健の自分勝手な夢に、再び呆れた。


「それで、みんなが幸せになったら、碧ちゃんを俺のお嫁さんにする」

「な、何言ってんのよ。このエロ餓鬼!」


 碧は思いも寄らぬ求愛に耳まで真っ赤になった。

 その影で春瑠がしょんぼりと下を向く。


 パチパチパチ。

 突然、春瑠の後ろから拍手が聞こえた。


「仁先生!」

 拍手をしたのは仁先生だった。


「いやあ、素晴らしいねぇ。みんなで話した夢の話、大学の連中に聞かせてあげたいぐらいだ。みんな、夢は何を見たっていい。成長して考えが変わったら、どんどん変えていいんだ。だから今は好きな夢を見ろ。だけど、」


 仁先生は言葉を切って、健を見た。

「何ですか?」

 健は自分のことかと、心配そうに仁先生に聞く。


「代表に成りたいのは分かったが、健はもう少し勉強を頑張らないと、誰もお前を選んでくれないぞ。もう九才なんだから、九九ぐらい言えるようにならないとな」


 その場のみんなが、ドッと笑った。

 碧なんか、腹を抱えて笑っている。

 健は恥ずかしくて顔が真っ赤になった。


「家に帰って勉強する」

 健は後ろを向いてスタスタと歩き始めた。


「さあ、みんなも家に帰って、勉強か家の手伝いをするように」


 仁先生に追い立てられて、みんな家路についた。

 その後ろ姿を、仁先生は嬉しそうに見つめていた。




 健が家に着くと、家の様子が何だかおかしい。

 まだ絃は仕事から戻ってないはずなのに、誰か人のいる気配がした。

 健は用心しながら、戸を開けると、そこには知らない男が腹を押さえて蹲っていた。


「どうしたんだ」

 健は驚いて男に駆け寄る。

 男の腹からは血がたくさん溢れていた。

 どう見ても刀か槍で斬られた傷だ。


「早く手当てしないと」

 健は応急手当の方法を思い出そうとするが、動揺して教わったことがまったく思い出せない。


「畜生、俺の馬鹿頭、教わったことを思い出せ。早く手当てしないと血が流れて死んでしまう」

 健は思い出そうと、自分の頭をポカポカ殴り出す。


「よせ、そんなことをしても、思い出すもんじゃない」

 男が初めて口を開いた。

「医者を呼んでくる」

 健の言葉に男は顔色を変える。


「頼む、医者は呼ばないでくれ」

「でも、ほっとけば、お前は死んでしまうぞ」

「今から言うものを用意してくれ」


 健は男の指示に従って、手当に必要なさらし、針と糸、酒を持ってきた。


「これでいいのか」

「ああ、とりあえず、これでいい」


 男は服をはだけて、斬られた場所を全開にした。

 傷に向かって、酒をかける。


「う、うぐっ」

 酒が染みるのを男は必死で耐えている。

 脂汗を流しながら、ようやくかけ終えると、針と糸も酒に晒して、自分の腹を縫い始めた。


「う、うぐっ、うう、うおー」

 男は叫び声を上げながらも、自分の腹を縫い終えた。


「大丈夫か?」

「幸い、腸には達してなかった。後は血が止まるかだが、もし血が止まらなかったら、役人を呼んでわしの死体を渡してくれ」


 男はそれだけ告げると、すぐに眠り始めた。

 健はさらしを巻いた男の腹をじっと見つめた。

 血が止まる気配がなかったら、即刻医者を呼びに行こうと決めていた。

 幸い、一刻もすると血は止まった。


 健はほっとして男の顔を見た。

 どこかで見覚えのある顔だった。


 腹の出血が止まったので、健はどっと疲れが出た。

 うとうとしているうちに、意識が薄れていく。

 男の隣でそのまま眠りに落ちた。



「健、健、起きなさい。こんなところで寝たら風邪を引くよ」

 聞き慣れた絃の声に、健ははっとして起き上がった。


「おじさんは、おじさんはどこに行ったの?」

 すぐ側で眠っていた男の姿は、どこにもない。

 三和土たたきに流れてい血も、綺麗に拭き取られていた。


「どうしたんだい。何か夢でも見たんじゃないか」

 絃は健が寝ぼけていると決めつけ、笑っていた。

 健は男がいた痕跡を探したが、どこにも男の存在を示す証拠は残っていなかった。


「母さんが帰ってきたとき、誰もいなかった?」

「何を言ってるんだい。誰もいるわけないじゃない。やだねぇこの子は。まだ夢の続きを見てるよ。ご飯にするから外の井戸で顔でも洗って来な」


 絃は健がまだ寝ぼけてると思っている。

 健は急に心配になった――あの怪我で動くなんてよっぽどのことだ。

 もしかして自分は敵国の間者を助けてしまったのではないか――そんな不安が心の中に芽生えた。

 しかし、男にはどこか見覚えがあったし、何とも懐かしい匂いがした。


 外はすっかり暗くなって、闇が町全体をすっぽりと覆っている。

 この闇の中で、想像もつかない争いが生まれようとしている予感に、健は武者震いした。

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