(八)初の接吻


『美桜にだけ聞こえる心の声』(主人公美桜の心情)でございます。

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 桔梗ききょう妃が投獄され数日後、深夜牢屋の裏に黒尽くめの忍者のような出で立ちの者が潜んでいた。


 音を立てず、見張りの背後から一発ずつ入れ気絶させ座り込ませていく。


 その者は、桔梗妃の牢屋を解錠しようと鉄の細い針を出すが、

「おやめなさい」

「……なぜですか」

「私がここから出た所で何も変わりません。夕貴ゆうきの弟子か」

「はい」

「では、私がこの世を去ったあと、夕貴にこれを渡して」


 桔梗妃は小さく丸めた半紙を鉄格子から差し出した。

 頷き、受け取りその場を離れ、その者は武官府宿舎へと走った。


 床下に隠しておいた藍染服を上から着る。

 急いで宿舎へ戻ったのだった。


「なんだ マノスケ 何処行ってた?」

「ああ おうぎ……散歩だ」

「あんまり夜中にこそこそしたら、良からぬ罪を被るぞ。今は何かと警戒しているから」

「ああ うん」

「茶でも飲むか」

「いや、寝るよ」

「ん」



 美桜マノスケは夕貴の母をただ救いたかったのだ。



 朝が来た。武官府宿舎は大所帯となり、みな飯を取り合う勢いで箸を伸ばす。


「おいっマノスケ!ボケっとしてるからだ。今日は珍しくイワシの甘露煮があったのに、ほれ」

 と美桜のご飯に乗せる扇。


「あ ありがとう」


「なんだよ、しっかり食え。朝から見習いは山に登るんだろ」


「ああ」


 他の者も思わず愚痴をこぼす。

「またあれかよ。きっついなあ 心折れるわ」

「はあ」


 朝から山を走り登り、下山し、遅いものは昼飯を抜かれる。その後は形稽古、打ち合い稽古、体力強化の俵引き、壁登り、綱渡りをこなす。

 みな、夜にはへとへとであった。


 美桜は身軽にこなすが、ひとつだけ不向きな物が、それは俵引きである。


「はあ……うーっ はあ」


「マノスケー!頑張れ〜」

「はははは」


 その夜のこと、桔梗妃の処刑が明朝行われると発表があった。


 桔梗はわかっていたこと、と全く動じず最後の晩を牢で過ごす。


(夕貴殿は……どこに、何をしてる……母君がこんな時に)


 すぐにでも、夕貴を母にあわせたい美桜であったがこんな夜にまた紫葉しよう皇太子が剣舞を見たいと言い出したのだ。


 桜吹雪の袴を纏い、ため息混じりに刃引き刀を手に取る美桜、その頭には桜のべっ甲簪が挿してある。


「失礼します。マノスケが参りました」


「マノスケ殿、今宵はちょいとこっちへ」

 男女のような侍従武官の菊之輔きくのすけに呼ばれ別室に入る美桜。

 鏡台の前に座るよう言われる。


 白粉をぱたぱたと叩かれた美桜は思わぬ事態に不服そうな顔を向ける。

「なんですか、なぜ化粧を?」

「ん、殿下があんたの化粧顔で舞う姿を見たいと仰ってね。ほら、目閉じて」


(なんだよ、人の親殺そうとしてる癖に気色悪い趣味に浸りやがって)



 しかし、政には遠ざけられいわばお飾り皇太子の紫葉は、全く桔梗妃の処刑や、隠し子についてまだ知らされていないのである。

 全ては、皇帝の家臣らに操られていた。


「あら……あんたまるで本当に女みたいね」


『こんな子を殿下が気に入って万が一殿下が男色に目覚めたら……あ~どうしましょっ。私まで夜伽に誘われたら、あ~どうしましょっ。』


「あの、なるべく肌に触れずにしてください」

(うるさいったらありゃしないっ)


「はい、出来たわよ」

 目の際に入れハネた黒い線は艶っぽく、唇は桃色の紅をひき、頬にも紅をさし、

 少し幼さを残した悪戯な女の出来上がりである。




 美桜は、縁側に座り待つ紫葉をひと睨みしてから、庭で刀を後に伸ばし振り上げ回り出す、足を広げ回転し飛び挑発するように、紫葉の顎先に刃を向ける。

 また舞いながら戻る姿に、うっとりする紫葉であった。


「ああ そなたがおなごであれば……なんと世知辛い世じゃ」


 舞を終え一礼した美桜は無表情で小さな口を開けた。

「今宵はこれにて」

「待て、茶を」

「いえ 用があります」

「なに?余の茶の誘いより重要だと申すのか」

「はい」

「マノスケ、上がりなさい」

 菊之輔に掴まれ、紫葉の部屋へ上がる。


「……今宵は気が荒れとるようだが満月のせいか」

 夜空に浮かぶ大きな満月を眺める紫葉。


「全て月のせいにしたいものです。」

「なに」

「尊い命が尽きようとするのが月のせいなら……良いのに」


 月夜に照らされる美桜の横顔があまりにも儚げに美しく、紫葉はつい自惚れるのを忘れるほどであった。



 ◇◇


 紫葉が眠ると言い部屋を出た美桜

 そのままの姿で、庭に潜んでいるのである。


 懐には小刀


(桔梗妃を明日朝殺めると言うなら、私があんたの息の根今止めてやる)


 道場での日々に消えかけた復讐心が宮廷入りし燃え上がり、まさに今宵、打ち散りしようと決死の覚悟である。


 紫葉皇太子の部屋の灯りが消えてしばらく、しんとした庭先でカサカサと落ち葉に袴が当たるも美桜は足をすすめる。


 しかし、その時音を立てず近づいた者が美桜の手首を掴んだ。

 とっさに振り向きざまに小刀を向けた美桜。


「マノスケ、何をする気だ」

『……おまえ、刺客か』

 夕貴であった。


 美桜を引っ張り木の影に潜む。

「なんの真似だ マノスケ……おまえ まさか」


「初めからこの為だけにここへ来ました」


「なんの話だ」


「敵です 母の敵 皇帝に殺められました。紫葉皇太子は皇帝の生き写し、将来の悪を今……」


 それを聞いた夕貴は美桜の手首を掴み小刀を自分の首へと当てる。


「ならば 私を殺れ」

「…………」

「私にもその悪の血が流れておるそうだ」

「…………」


「貴方は悪じゃない。何故止めるのです、夕貴殿の母君も……」

「おまえの母も私の母も息子が罪を犯すのを望むか?」


「私は、おまえが罪人になるのは拒否いたす」


 首に突きつけた小刀を避け、夕貴はすっと美桜の顔に近づきその桃色の唇に唇を合わせた。


『おまえを失いとうない』


 突然の口づけに驚き小刀を落とした美桜

 小刀を拾い上げ、夕貴はいつもの静かな口調で呟く


「―――そなた名はなんと申す?」

「……美桜みおうです」

「馬鹿野郎 戻るぞ」



 そのやり取りを見ていたのは、建物の影に身を潜めた菊之輔であった。口に手を当て「やはり、本物の おなごか?」と呟く。



 夕貴は美桜を連れ武官府宿舎へ向かう。


 後ろをついて歩き、夕貴の歩く姿をただ眺める。

(なぜこうなる……こうなった……女である事はバレていた。いつからだろう……いや、何が……あ)


 と、唇に手を当て足を止める美桜。

 人生で初めて男の唇と触れた、その唇に今頃動揺したようであった。


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