vs 大陸最高の殺し屋

 ある日を境に上司となったジルからの突然の呼び出し。それに男──キーランは表情を変えることなく、されど困惑を覚えながら応じていた。


(……なんだ。何故、オレは呼び出された……?)


 キーランは大陸最高の殺し屋とまで称される実力者である。


 それはとある大国の王子とその護衛を務めていた騎士を殺害し、異変にいち早く気付いた宮廷魔術師にさえ不意打ちで手傷を負わせたという実績が証明している。


 流石に国の最高戦力にして大陸最強格とまで謳われる『騎士団長』を相手には防衛戦に徹しつつ逃亡するしかなかったが、それでも大陸で上澄うわすみの実力者であることに違いはない。

 

 それから紆余曲折うよきょくせつあって彼はこの国の王であるジルという男に拾われた。そして「時期が来るまでは好きにしろ。こちらは干渉しない」という言葉を貰い、今日まで傷を癒しながら過ごしていたのだ。


 にも関わらず、突然の呼び出しである。キーランがいぶかしむのも無理はない。


(『加護』とやらはこの身に馴染んでいる。時期とやらが来れば、オレはあの国に派遣される手はずのはずだったが……)


 眉をひそめ、キーランは内心で警戒心を強める。


 感謝や恩義は多少なりともあるが、ジルという男はキーランにとって得体の知れない人間だった。このような規格外の力を貸し与えることができるという事実だけでも、殺し屋たるキーランからすれば警戒に値する。


(……さて)


 指定された部屋の前に辿り着いた彼は、軽く息を吐いて扉を開く。


 そして──


「!」


 ──そして彼は瞬時に床を蹴り、天井へと張り付いた。


(なんだ、今の感覚は?)


 額から汗を流し、キーランは深く呼吸する。どうやらとんでもない場所に自分は招かれたらしい、と内心で乾いた笑みを浮かべながら。


(この部屋の中に、何があるのかは不明だが……)


 深い呼吸を繰り返し、キーランは覚悟を決める。元より、得体が知れない相手であることは承知の上で契約を交わしたのだから。


(……行くか)


 反射的に取り出していた短刀をコートの中にしまいながら、キーランはふわりと床に着地する。そのままゆっくりと、彼は室内に足を踏み入れて。




 その先に、彼は絶望を見た。




(な、あ……)


 まるで空間が凍結したかのような錯覚を、キーランは抱いた。


(なんだこれはなんだこれはなんだこれは……ッッッ!!)


 かつて、殺気立つ『騎士団長』と相対したときに受けた重圧。それを凌駕りょうがするものが、キーランの全身に降り注ぐ。それはつまり大陸最強格と呼ばれる『騎士団長』以上の怪物が、この場に存在していることを意味していた。


「ぐ、う……!」


 もはや物理的な重力と化している重圧にキーランは全霊をかけて抗うが、しかし激しい動悸どうきを抑えることができない。 両膝を床に突きながらキーランは心の底から戦慄していた。


 恐怖によって、全身が震える──いや。これは本当に、己の体だけが震えているのか? 『何か』に耐えきれない世界そのものも震えているのではないのか? とキーランは恐怖した。


「……っ、あ」


 全身から大量の汗を流し、彼は気力を振り絞って視線を前に向ける。


「来たか。キーラン」


 そして聞こえてきた声は、確かに聞き覚えのある声だった。だが、その姿には全く、見覚えがない。


「……ジ、ル殿なのか……っ? その、姿は──」

「……姿、だと?」

「──一体……ぬぐぅ!?」


 不機嫌そうな声が聞こえたかと思うと、重圧が増した。


「貴様は私の姿を見て何を思った? 貴様が有している私に対するイメージと、今の私にどこか齟齬そごでもあったか? 貴様に口を開く権利を与える。く、申してみよ」

「そ、そごはぁ! ありまぜん! わ、私にはジル殿の、ぐふっ……す、がたがぁ!? ぐ、はっきりとぉ! 目、視出来ません……!!」


 そう。そもそも、目視できないのだ。


 おそらくジルがいるであろう場所。そこにはドス黒いオーラが漂っているだけで、ジル本人の姿が全く見えない。


 深淵。


 そう呼ぶことしかできないほどの、闇。一寸先の光すら見えない常闇は、見るもの全てを絶望へと誘うだろう。


 まるで死の具現ではないか、とキーランは心の底から震え上がった。おそらく、あれはジルの放つ重圧が見せている錯覚だ。錯覚の領域を超えているが、それ以外に説明がつかない。


 殺し屋としての己の経験と、人間としての本能が叫ぶ。


 大陸最高の殺し屋と呼ばれるようにまで至り、大陸最強格とも相対したことのある自分だからこそ分かる。目の前の男──ジルは、間違いなく別格の存在であると。


 常人の域を脱しているという言葉ですら生温い。ジルはそれほどまでに隔絶かくぜつした絶対者なのだと、キーランは正しく認識できていた。


 それこそ、視線だけでも人を殺せるに違いない。大陸最高の殺し屋たる自分以上に、目の前の男は──卓越した領域にいる。


 それは、まさに死神。


 大陸において、殺し屋の頂点の一角として数えられているキーラン以上に"殺"という概念を具現化している怪物だ。


(なん……たる、ことだ……)


 その事実に至った瞬間。全身を震わせ、キーランは内心でその想いを口にしていた。


(私は……これほどの御方におつかえできる栄誉を与えられていたというのに……あまつさえ警戒など……なんたる不敬か……ッッッ!!)


 心の底から震えながら──心の底から歓喜に打ち震えながら、キーランはカッと目を見開く。


 元々、彼の生まれた国は宗教国家であった。周りを見れば、狂ったような信者しかいない。神をその目で直接見たこともないくせに、神という存在を盲目的に信じて、意味のわからない研鑽けんさんを積む人々。


 それらを見ながらキーランは「かみさまなんていないのにきもちわるい。こうはなりたくない」と思っていた。


 そんな思想を持つキーランが、国の爪弾つまはじき者になったのはいうまでもない。日頃より研鑽を積まず、才能や素養がないと落ちこぼれ扱いされていたことも、キーランに対する迫害への拍車をかけた。


 それからより一層、彼は神を信じなくなり。また国に対する憎悪ぞうおのような感情も募り──いつの間にか国を抜け出し、殺し屋になっていた。その理由が、神が実在するならば殺し屋となった自分に裁きを与えてみろという皮肉か。あるいは法で裁かれない腐った連中を神の代わりに裁いてやろうという意気込みによるものだったのかは、もはや覚えていない。覚えていないが、神と祖国に対する意趣返しのような感情があったことは否定できなかった。


 だが、神はいたのだ。


 目の前にいるジルこそが、神なのだ。それはこの圧倒的な力の差からして明白だ。大陸最強格と謳われる騎士団長でさえ、一蹴可能と思えてしまうほどの、規格外。人類の最高峰を超越した存在を、神と呼ばずしてなんと呼ぶのか。


 そしてその神は、自分を『異端』と扱い、あまつさえ殺そうとしてきた祖国の連中ではなく──この身を見出して『加護』を授けて下さったという事実。その事実に、キーランは感激していた。


(神は、神は私を見てくれている……。あの連中ではなく、この私を認めてくださった!!)


 国を恨み、またわずかとはいえ劣等感を抱いていたキーランにとって、これほど痛快なことはない。神は、自分を見てくださっていたのだと。自分のこれまでの行為を、肯定してくださったのだと、そう思えてならなかった。自分は、間違っていなかったのだと。


(ジル殿……いえジル様。私は、私は愚かでした……!!)


 心の底から、キーランは懺悔ざんげする。


 あの国に対する憎悪は変わらないが、しかしそれ以上に神への信仰をおろそかにしていた自分が憎い。これまで自分を目にかけてくださっていたのに、自分は祈りを捧げていなかったのだ。あの国の連中の祈りは偽物だったが、自分は偽物以下なのかもしれない。その事実は、今すぐにでも自分ののどを引き裂きたくなるほどに罪深い。


 だがしかし、そこで己の天命を終わらせるのであれば、それは愚者の極みに他ならない。故にキーランは懺悔し、祈りを捧げる。


 偉大なる神。ジルに向けての祈りを。


 そして、奇跡は起こった。


(こ、これは……!)


 先ほどまで黒いオーラで埋め尽くされていた空間が、ゆっくりと晴れていく。やがて黒いオーラは完全に消え去り、豪奢ごうしゃな椅子に腰掛けながらこちらを悠然と見下ろしているジルの姿がはっきりと目に映った。


 何故──と思い、キーランはすぐ様結論に至る。


(わ、私の忠誠が届いたのだ……!)


 先ほどの重圧は、神罰だったのだ。


 神に忠誠をちかわない愚者に降り注ぐ神の権能けんのう。キーランが心より忠誠を誓った瞬間に重圧が止んだ事実が、それを証明している──!


(私の忠誠が……この御方に認められた……)


 気がつけば、キーランは涙を流していた。


 なんと慈悲深い御方なのかと。そしてこれほどまで慈悲深く、偉大なる御方の元に仕えることが出来るなど、なんたる幸福なのかと。


 キーランは己の置かれた状況を理解し──そして己のこれまでの行動を恥じた。


(今まで私は……何をやっていた……?)


 新たな力が馴染んできた? その程度で満足していたのか? ただただ無為むいに時間を過ごすなどなんと度し難い行為だ? 自分はなんという無様を晒していたんだ、と今すぐにでも自害したい衝動に駆られる。


 が、自害する許可は下りていない。この身は全てジル様のものなのだ。なればジル様の言葉なくして、自害するなど言語道断。


(ジル様……このことを、私に気づかせるために……)


 恍惚こうこつとした表情で、キーランはジルの御顔を眺めていた。


 ◆◆◆


 自分の正体が露見ろけんしないかを実験するため、そして今後の行動指針を決めるために、ジルはとりあえず原作で一番まともそうだったキーランを呼び出そうと思った。


 幸いにして、キーランは『レーグル』最古参の一角。人材確保が既に始動しているならいるだろうと声をかけてみて──推測は見事に的中、召集に応じてもらえた。


(……しかし、どうやって実験しようか)


 原作ジルを知る人物──それも、殺し屋という如何にも察しが良さそうな人物から、正体がバレないように振る舞うにはどうすれば良いのかを、キーランが来るまで悩み抜いた彼は考えた。


(とりあえず、必要以上に威厳いげんを出していたらなんとかなるんじゃね?)


 自分より強そうかつ上司にあたる人物が威厳を出していたら多分大丈夫だろう、と彼はとんでも理論に行き着いた。


(原作のジルのキャラ像を思い出せ。そしてそのキャラ像を崩さないように、更なる威厳を引き出すんだ。相手は殺し屋だ。生半可な態度では俺が殺されるかもしれん。見るもの全てが怯え、反抗する気も起きなくなるような感じで相手を威圧していくべきだろう)


 ラスボスに相応しい態度で、堂々と構えようと彼は玉座に深く腰掛ける。その姿はさながら、勇者一行を迎える魔王がごとく。


 そして、その時は来た。


「来たか。キーラン」


 何やら震えているキーランに向かって、ジルはおごそかに口を開く。とはいえちょっと威圧出しすぎたかな? とキーランのことを不憫ふびんに思ったジルは威圧を緩めようとして。


「ジ、ル殿か……っ? その、姿は───」


 ──ほんの一瞬だけ威圧感が緩んで、しかしキーランの言葉を受けた結果、先ほど以上の威圧がキーランに向けて放たれた。


「姿、だと……? (まさか、俺の姿に何かおかしな点でもあったのか!?)」


 自らの姿を指摘をされて、焦るジル。動揺を隠す為に語気を強めた結果、更なる威圧が放たれたことを彼は知らない。しかもなまじ中途半端に緩んだせいで威圧に緩急がつき、より一層ダメージを与えてしまうという高等技術を無意識に行っている。


 キーランがその肉体に受ける重圧は、もはや想像を絶するものになっていた。それこそ、精神にも強すぎる負荷が掛かっている。現在のキーランの精神状態は、正常とは言えないだろう。一種の恐慌きょうこう状態にあった。


「貴様は私の姿を見て何を抱いた? 貴様の有している私に対するイメージと、今の私にどこか齟齬そごでもあったか? 貴様に口を開く権利を与える。く、申してみよ」


 その姿は、まさしくパワハラ上司。


 あまりにも理不尽。自分にとって都合が悪いことが起きた瞬間に圧倒的優位性をもって配下を締め付けるその姿は、パワハラ上司以外の何者でもなかった。


 しかし、ジルにそんなつもりはない。典型的な自覚なきパワハラ上司である。


「そ、そごはぁ! ありまじぇゆ! わ、私にはジル殿のぐふっ……す、がたがぁ!? ぐ、はっきりどぉ! 目じっ、出来、ま、ぜん……!!」


 息絶え絶えのキーラン。


 当然である。ジルの放つ威圧感は、それだけで即死攻撃の領域に至っている。むしろ常人なら心臓麻痺待った無しのそれを不意打ちで喰らっておいて、意識を保っているキーランを褒めるべきだ。


 だがそんなことは、ジルにとってどうでも良かった。大事なのは、キーランが「齟齬はない」と口にしたことである。


(なんだ、齟齬はないのか。つまり、俺が偽物とはバレてない。なら安心だ。……俺の姿が見えないってのはよく分からんが)


 ほっと息を吐いたことで、ジルの威圧は収まった。


(それにしても、キーランはなぜあんなに震えて──)


 そして、ジルは見た。

 息絶え絶えといった様子で恍惚とした表情を浮かべ、熱い視線を向けてきているキーラン変態を。


「────」


 ただただ絶句するジル。


 当然である。このような変態を見て、言葉を失わないほど彼のメンタルは人間をやめていないのだから。彼のメンタルは、あくまでも一般人のそれ。変態を目にすれば、無言で百十番する善良な市民である。


 だが、ジルにとって本当に恐ろしいのはこれからだった。


『わ、私の忠誠が届いたのだ……!』

(え、なにこれ。キーランの声……?)

 

 突然、キーランの声が頭の中に響いたのだ。

 その声からは感極まったという様子がありありと感じ取れ、更なる混乱がジルを襲った。


 キーランの言葉は続く。


 曰く、『なんと慈悲深い御方なのかと。そしてこれほどまで慈悲深く、偉大なる御方の元に仕える事が出来るなど、なんたる幸福なのかと。己の置かれた状況を理解し、そして己のこれまでの行動を恥じなければ』と。


(……)


 結論を言おう。ジルはキーランにドン引きしていた。完全に狂信者か何かである。はっきり言って怖い。


『私の忠誠が……この御方に認められた……』

(待って)


 ──認めていない。そんなこと認めていないから。てかなにこれ。ジルに読心能力があるなんて聞いたことないんだが?


 そう言いたいのは山々だが、しかしそんなことを口にすればそれこそキャラ崩壊である。ここまで頑張ったのに、それを無駄にするなんてあり得ない。


「……」


 故にジルは表情筋をフル稼働させ、なんとか内心を零さぬよう努めていた。徹底した無表情を貫くことで、内心の動揺を周囲に悟らせないように。


『信仰を、信仰を捧げなければ! おお! 神! ジル様万歳! ジル様ジル様──』


 しかしその後も、キーランのジルドン引き案件な独白は続く。精神的にキツイと感じたジルは、もはや完全にトリップしかけのキーランを下がらせ──


「…………俺、これどうなるんだ」


 虚ろな瞳をしたジルは、そう一人呟いた。





 なおこれは、ほぼ吊り橋効果と似たようなものである。


 ジルの威圧感のせいで、キーランは正常な思考力を失っていた。それに加えて、生まれて初めてキーランは激しい動悸を覚えたという事実。


 失われた思考力。生まれて初めて高鳴る心臓。キーランのこれまでの経験。それら全てが綺麗に化学反応を起こした結果、ジルを神と錯覚してしまい、狂信者が爆誕したのだ。

 

 つまるところ、ジルはキーランに壁ドンをしたようなものだったのである。ジルがそれを知れば、絶望感から膝を屈するのは言うまでもない。


(……まあ、忠実な部下を得たと思っておこう。放置だ放置)


 乾いた笑みを浮かべながら、ジルは紅茶を飲んだ。


 ──この選択が自らの胃を痛め続ける事態の幕開けであることを、彼はまだ知らない。

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