第30話 朝顔と熱帯魚

 僕は学校から帰ってくると着替えて、一人外出しようとした。

 それを居間の姉に見つかる。


「あれ、ゆーくんどこ行くの?」


 見つかっちゃったか。仕方ないな。


「うーん、朝顔?」


「朝顔?」


「そ、朝顔を育ててみようと思ってさ」


 その朝顔の鉢を姉の部屋の窓際においてあげようと思っていた。


「いいね! 朝顔好き!」


 それはよかった。


「あたしも一緒に行っていい?」


「え、だめだよ。リハビリ疲れたでしょ。ゆっくり休んでて」


「やだよー、あたしも一緒に行きたいー。あそこでしょ、すぐそこのホームセンターでしょ」


「あ、うん、そうだけど…… 歩いて行ける?」


 姉は芝居がかった様子で大げさに胸を叩く。


「まかしとき! あたしにゃあ強い相棒がいるからねっ」


「杖?」


「ゆーくん」


 ふふっと笑う姉。

 ちょっと意表を突かれた僕は、姉と目を合わせられずに少しぶっきらぼうに言う。


「僕なんてそんなあてにならないよ?」


 姉はよっこいしょと立ち上がりながら明るい声で言う。


「なんのなんの、頼りにしてるよっ、ゆーくん」



 うちからホームセンターまで僕の足なら十五分ほどだが、杖を突いて歩く姉が一緒となるとそうはいかない。どうかすると三十分はかかるだろうか。それでも姉はその程度の距離なら笑顔で歩きとおす。

 今日は五月連休のさなか、雨上がりのいい天気。二人でのんびり初夏を歩む。

 姉は鳥の姿が見えないか、声が聞こえないか気にしながら杖を突いて歩く。僕は姉が足や杖を踏み外さないか慎重に目を配る。街路樹の若葉が風にそよぐ香りが気持ちいい。


 結局二十五、六分でホームセンターにたどり着く。店の外の園芸コーナーに行く。

 探してみると朝顔の種はいっぱい並んでいたが、時期を違ってたか鉢はまだ出てなかった。


「まだ種しかないけどいい?」


「えっ、全然いいよっ。あの双葉が生えてくるとこなんてかわいいじゃん」


 と姉から裁可を受けたので、青と赤紫の朝顔の種を買った。

 姉が疲れるだろうからとさっさと帰ろうとしたが、姉はそれでは不満らしく、結局店内を一巡りする羽目になった。姉は案外僕より頑丈なんじゃないだろうか。少し疲れてる僕は不思議に思えた。

 たくさんの明かりがまぶしいインテリア電器コーナー。良くわからない機械がいっぱい並ぶ工具コーナー。花をあしらったパッケージが多くて、まるで花畑のような衣料洗剤コーナー。ついついキャンプに行きたくなるようなアウトドアコーナー。そんな店内を僕たちは二人でさまよった。


 店内をぐるっと一回りして必ず目を引くのは、熱帯魚のコーナー。姉はここが結構、とっても好きでいろいろな魚をじーっと眺めていた。どうやら白と黒のコリドラスパンダが好きみたいだ。あと赤と青のキラキラしたネオンテトラも。僕は姉がこれを買いたいと言い出さないか内心では冷や冷やしていた。だってもし買うことになったら世話をするのは僕になることは必定。熱帯魚の飼い方なんて全く知らないのだから、一から覚えないといけないわけだ。それを想像して僕は途方に暮れた。

 そんな内心で戦々恐々としている僕を差し置いて姉は楽しそうに魚たちを眺めている。


「ねえねえ、この子達増やせるのかなあ」


「知りません」


 僕の気も知らないで楽しそうだなあ、全く。


「はあどっこいしょ」


 姉はおばあさんのような掛け声をあげて姉は立ち上がる。


「じゃ、帰ろか」


 そうして僕らはようやく帰路に就く。


「ゆーくん、ごめんね寄り道しちゃって」


「ううん、いいって。気にしてないよ」


「うん、ありがと」


 そう言われて僕は一気に気持ちが軽くなる。心が朗らかになる。そんな僕を僕は持て余し気味だった。


 帰宅して僕は作業場に行く。種蒔きの用意をする。茶色い素焼きの鉢に園芸用の鉢底石と土を入れる。姉は休憩用の小さな椅子に腰かけていた。何が楽しいんだか、ずっとにこにこしていた。

 鉢を二つ作ったら、それぞれに指で四つくらい穴をあけてそこに種を蒔いた。目を出した時点で生きのいいやつを一本か二本残してあとは抜く。


 これをもって姉の部屋の窓際まで持っていく。姉はなんだか嬉しそうに杖を突いてひょこひょこ僕の後をついてくる。

 僕は姉の部屋の窓際にこれを置いた。


 これは祈りだ。僕の祈りだ。

 まるで年越しそばのような根拠のない「細く長く」の祈り。僕はこんな根拠の薄弱な祈りに頼るほか道がない。悔しい。涙が出るほど悔しい。僕はそう思うと鉢を置く手が震えた。僕はコトリと二つの鉢を置く。


「さ、これで完成。あとは芽が出るの待つだけだね」


「うん、楽しみ」


 姉が一呼吸あけて言った。


「ゆーくん、いつもありがとうね」


 まぶしい笑顔に僕はまた目をそらし作業室の天井を仰いだ。


 僕はこの笑顔を守るため、祈りを続ける。

 たとえ根拠なく空しいものであったとしても。

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