第14話 盛夏のホオズキ市と抱擁

 夏休みに入ったばっかりの僕は、それでもいつも通りに起きる。そして姉を叩き起こすとリビングまで行くのを介助する。ぼんやりとテレビを見る姉。僕は簡単な朝食を二人分作る。

 僕と同じく大あくびをかく姉。


「ふあああぁっ」


 姉は自分の座椅子に背中を預けるとテレビのリモコンを持って大して多くないチャンネルを次々に変えていく。


「今日リハビリゆーくんとだね」


「うん」


「よろしくー」


「うん」


 今日は親父もおふくろもどうしても手が空かないので、僕が姉のリハビリに付き添うことになっていた。最近は体調も良いので杖を突きながらなら電車でも大丈夫、なはずだ。


「ああ」


 姉は毎日毎日歯を食いしばってリハビリをしていて、それでもこれからどうなるかなんてわからない。それが不憫ふびんだった。まったく報われないかもしれない。それにこれだけ毎日やっているんだから一日くらい休んだっていいじゃないか。そんな気もしてた。


 以前より僕にはある企みがあった。それを決行するには今日を除いて他にはない。僕はさり気ない風を装って姉に声をかける。


「ねえ、顔赤いよ?」


「え?」


 姉のおでこに手を当てる


「ああ、熱がありますねえ」


「うそっ、全然わかんなかった」


 驚いた姉はテーブルの体温計を手にしようとするが、僕はそれを取り上げる。


「測るまでもありません。これは大変な病気です」


「た、大変な病気? 何? どうすれば治るの?」


 姉は少し不思議そうな様子をみせる。


「治療には休息が必要です」


 最初はぽかんとした顔をしていた姉だがすぐに合点がてんが言ったようでニヤッと悪い笑みを見せる。


「それで、先生。あたしにはどんな休息が必要なんですか?」


鬼灯ホオズキ市に行きましょう」


「ホオズキ市!」


 歓喜の表情を浮かべる姉は僕の手を握ろうとするが、僕はそれを避け立ち上がる。


「そうと決まれば急がねばなりませんな。なんせこれは大事な治療ですから」


「はい先生っ。じゃ、着替えてまいりますっ」


 姉も調子を合わせてはしゃいで、両手に杖を突き自分の部屋へ向かった。僕は病院に電話し両親が出先であることと、姉に熱があることを病棟に伝えると、あっさりとリハビリの休みを取れた。


 姉はシンプルなTシャツとハーフパンツに着替えてきたので、僕もそれに合わせた飾らない服に着替える。

 バスを2本乗り継いで目当ての神社にたどり着く。境内けいだいの何百メートルも前から縁日の屋台がたくさん並んでいる。祭囃子まつりばやしがスピーカーからがんがん流されていて、それだけでも気持ちが上がってきた。


「チョコバナナ食べる?」


「食べる食べる! でももっと見てからね」


「うん」


 僕は姉の速度に合わせゆっくり時間をかけて屋台の行列を見て回った。小学生くらいの子供たちが興奮して走り回っている。それを見て僕たちの気分もますます高揚していった。


「何してく?」


「やっぱりホオズキ買おうよ」


「ええー、なんて言い訳しようかなあ」


「何とでもなりますよ先生。治療のためです。ゴーゴー!」


 まだそれひっぱってるのかよ。


 姉の勢いに負けて境内に入りホオズキの並んでいる場所へ向かった。

 途中から芋の子を洗うような混雑となる。

 もみくちゃにされる姉が一瞬不安そうな顔した。きっと誰も気づかないような一瞬だったと思う。僕は姉の二の腕をつかんで引き寄せる。恥ずかしいとか人に見られるとか考えるより前に手が動いていた。姉は少し驚いた顔している。

 僕が、僕が守らなくては。僕が姉を守らなくて誰が守るというのか。強い決意が僕の中に浮かぶ。その決意が自然と僕の口を吐いて出る。


「守るから」


「えっ?」


「僕が姉さんを守るから。絶対」


 姉は珍しく赤くなって僕に少し寄っかかってきた。


 やっとたくさんのホオズキが並んでいるところまでたどり着いて、一番小さな鉢を一鉢買った。嬉しそうにホオズキを眺める姉がきれいだ。人ごみを抜けた時、姉の腕からそっと手を離すのが僕にはなんだか惜しい気がした。


「あーっ」


 姉が突然大声を出した。


「何?」


 僕はさっき姉に言った決意に満ちた声とはまるで違ううんざりした調子の声を思わず吐く。


「あれ買って」


 姉が指さした先にはたくさんのお面。ヒーローや魔法少女やアニメのキャラクターのお面がびっしり並んでいる。その横には風車がいくつも夏の風に吹かれて回っていた。

 僕はさっき買ったイカゲソ焼きを咥えながらもぐもぐ言う。


「あれってどれ?」


「ほらあれ」


 姉が杖を突いてお面の並んだ前まで行った姉が高々とかざした指の先には白いキツネのお面があった。


「それならさあ、隣のイノシシのがかっこいいじゃん」


「いいの。キツネがいいの! ねえお兄ちゃーんこれ買ってえ」


 またですか。


 僕のなけなしのお小遣いでも買える金額だったので白い釣り目の狐のお面を買った。

 姉は得意満面でそれを横向きにかぶろうとしたが、ゴムに髪が絡まる。


「あいたたたたた」


 僕はそれを取ってやろうとした。


「いたいー、痛いよーゆーくーん」


 やっとの思いで髪の毛をほどいてやった。


「ふー、ありがとゆーくん」


 ふと視線を感じる。僕たちの前で立ち尽くす人影があった。

 

 春に僕に告白した、あの「いい人」の委員長だ。


 目が合うと走って逃げようとする委員長。僕はお面を姉に手渡すと彼女を追った。


「ちょっと、ゆーくんなにー?」


 姉の声も無視して走った。このことを知られたくなかった。今日リハビリをさぼったことが知られるのも嫌だったし、何より僕と姉の関係を変に勘繰られるのが嫌だった。


 お寺の隅の大きな石碑の陰でようやく僕は委員長に追いついた。


 委員長は最初はなぜか僕を怖がった顔をしていたが、そのうち落ち着いて静かな表情になった。委員長は僕の正面を向かず顔もそらしている。


「……お付き合いしている人いたんだね」


「…………」


「ごめんね、迷惑かけちゃったね」


「……い、いや、そうじゃないんだ」


「年上? すごくきれいな人ね」


「違う、付き合ってるんじゃなくて」


「うそ……」


「いや、あれ…… 姉なんだ」


「いいの。そんな気を使わなくても。私にだってちゃんとわかるもん」


「ほんとなんだ信じてくれ」


「うそよ。あんなに仲いいお姉さんいるわけないじゃない。どう見たって彼女にしか見えない」


「うそじゃない。ほんとだから」


「もうやめて! もう私に変な気を遣わないでよ! 誰が見たって恋人同士にしか見えないもの! もうそんな見え見えの嘘つくのは止めて! 私どんどんみじめになっちゃうじゃない!」


「……」


 僕は胸をえぐられるような気がした。僕と姉が恋人? もし姉が姉でなくて恋人だったら? そんなこと想像もしなかった。

 だけど姉は姉だ。いくら恋人のように仲が良くても恋人同士にはなれない。決して。

 その事実をいまさらのように突き付けられたような気がして、僕は呆然と立ち尽くす。叫び出したい気持ちを押さえ手をきつく握る。


「た、確かに信じられないのかもしれないけれど、僕たちは間違いなく姉弟なんだ」


 絞り出すようにそれだけ言うと、僕は委員長に背を向け立ち去る。立ち去り際に声をかける。


「僕のこと信じるも信じないも委員長しだいだ。今日のことだって言いたければ別に言えばいいさ。姉とイチャつく変態だって」


「わっ、私そんなことっ!」


 背中に置いてきた委員長は泣いていたようだ。


 僕が境内に戻るとまた祭囃子の音が盛大に響いてくる。僕はその嘘くさい陽気さにうんざりした。


「ゆーくん! ゆーくん!」


 ロフストランドクラッチを突いてできる限りの速さで僕のところに駆け寄る姉。


「どうしたの」


 姉が心配した顔で僕を見ている。姉の心配顔なんて初めて見た。


「いや」


 重い頭をゆっくりと振る。


「ねえ、もしかしてさっきの子、ゆーくんに告白した?」


 相変わらずどうでもいいところで勘がいいんだからな。


「うん」


「ちゃんとお話ししてきた?」


「うん」


「そ、よかった」


 姉は僕にやさしい笑顔を向けた。姉にふさわしい笑顔を。

 だけど僕はもう耐えきれなかった。力いっぱい姉を抱きしめる。


「ちょっ、ゆーくんっ?」


 僕は怖かった。心の奥底で姉に恋人になって欲しかったのかも知れなかったことに気づいて。絶対にかなわない願望。このままでは僕の心が壊れて僕も姉も不幸になるんじゃないか。そう思ったら震えが止まらなかった。

 祭囃子と喧騒にまみれ、僕はいつまでも呆然と姉を抱きしめていた。

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