いずれベタ甘な妻になる後輩女子からウザ絡みされていた俺の高校生活。

界達かたる

序章――十年後、妻と①




 楽しかった高校生活――。

 なんてものは、もう遠い昔の話で。


「はぁっ、はぁっ……急に残業とか、ふざけやがって」


 現在の俺は、ありがちな愚痴を零しながら電車を降りる、立派な社会の歯車。

 学生時代は『社畜だけにはなりたくない』なんて息巻いていたが……。


「くそっ、間に合うか……」


 駅前の時計を見上げながら早歩きを継続。

 ついでにネクタイも限界まで緩めた。


 ――こんな日に限って残業を優先しなきゃならないなんて、社畜以外のなんでもない。


 だけど、仕方がない。

 いつまでも学生気分ではいられない。

 俺にはもう、守るべき家族がいるのだから。

 今はまだ一人だけど、それでも大切な家族で、ずっと守っていかなければならない相手。

 ――だからこそ、今日は早く帰ろうと誓っていたのに!


「恨むぞ、クソ上司め……」


 時刻はほぼ真夜中。俺はとにかく夜道を急いだ。

 駅前の中途半端な繁華街を抜け、この頃は随分と見慣れてきた住宅街。

 その一角に構える比較的新しめのアパートに入り、エレベーターを待つことなく階段へ向かう。二階だからこっちの方が早い。


 なぜ俺が、こんなにも帰宅を急いでいるのか?


 それは今日が、俺たち家族にとって大事な日で。

 あいつと、随分前から約束していたから――。


「はぁっ、はぁっ……ただい、ま……あれ?」


 一心不乱にドアを開け、リビングまで向かう俺。

 が、どういうわけか部屋の中は真っ暗。

 ……ああ、くそっ。


「もう、寝ちまったか」


 そりゃあそうだよな。

 遅くなるから先に休んでてくれって、俺の方がラインしてたわけだし。


「明日、謝り倒さないとな……」


 そう独りごちながら電気を点けようとした時。

 ――ぽっと、部屋の真ん中に小さなキャンドルの火が灯った。

 そして……。


「――おかえりなさい、あなた」


 ダイニングテーブルの前に浮かび上がる、温かな眼差し。

 それは大人びた微笑みの中にありながらも、まだ少女のようなあどけなさを多分に残している。

 ああ、よかった……まだ待ってくれていたらしい。


「ご飯が先ですか? お風呂にしますか? それとも……わ、た、」


 優しげな声で紡がれかけるお決まりの台詞。

 それを聞き終えることなく、パチッと部屋の電気を点けてやると――、


「あっ、ちょっとー! どーして明るくしちゃうんですかぁ!」

「いや、さすがに暗過ぎだしな」

「もー! ここからが艶やか新妻の腕の見せどころだったのぃ」

「見せてどうすんだよそんなもの」

「むー……」


 先ほどまでの大人びた笑みはどこへやら、子供っぽく両の頬を膨らませている。

 ったく、こういうところは相変わらずというか。昔からちっとも変わっていない。

 ……俺の奥さんになってくれた、今でも。


「はぁー、アダルトな雰囲気を醸して待ち伏せよう大作戦が水の泡です……電気のスイッチ、壊しとけばよかった」

「恐ろしいこと言ってんじゃねえ。ていうかなんだよ、その目的不明な作戦は」

「だって、待てど暮らせどスイッチせどネトフリせども帰ってこないんですもん。なにかやり返してあげなきゃ気が済まないじゃないですかぁ」

「結構充実してたようにも聞こえるな……まあ、悪かったよ。遅くなって」


 そこは素直に謝罪する。

 妻は「そーですよー」と甘ったるい声で愚痴りながら腰を上げた。


「せっかくの料理も冷めちゃいましたし、ケーキだってほら、今立ててる蝋燭なんてもう四本目なんですよ?」

「点けっ放しで待ってたのかよ……俺が帰ってきてから点けてもよかったのに」

「そこも雰囲気をよくするための一環だったんですよー。服だってほら、あんまり着ないニットのセーターで、髪だって下ろしたんですよ?」


 俺の目の前まで来ながら主張してくる妻。

 確かに、珍しい格好だと思った。

 妻は昔からやけに露出の高い派手めな服が多いから、こういう大人っぽいセーターを着ることはあまりない。

 艶めく金無垢の髪も、普段はサイドアップにまとめているが、今日はストレートに下ろしている。

 ……相変わらず、綺麗な髪だよな。

 俺は思わず、妻の頭にぽんと手を乗せていた。


「わっ、なんですか、いきなり」

「いや、こうして見ると、随分変わったんだなと思ってな」

「えっ、それはなんですか。普段と違って大人っぽいあたしにドキッとしたってことですか? 思わずときめいちゃった感じですかぁ?」


 いたずらっぽく目を細め、ふふふんと笑ってみせる妻。

 ……昔はよく、こういう仕草に何度もドギマギさせられたっけか。


「そうだな、ドキッとしたよ。不覚にも」

「えっ……み、認めちゃうんですか?」

「ああ。可愛いよな、ほんと。憎たらしいくらいに」

「~~~~っ」


 意外なカウンターになったか、妻は顔を真っ赤にして俯いていた。

 かと思いきや、なにか呻きながら俺の体に抱き着き、


「……ひきょーです、ほんと」

「お、おい。汗くさいだろ、やめとけよ」

「今だけ、我慢します」

「くさいのは否定してくれないのか……」

「でも、それだけ急いで帰ってきてくれたってことですから、許します」


 顔を上げ、頬を上気させたまま微笑む妻。

 不意に彼女の匂いが鼻孔まで立ちのぼり、俺の方まで顔が熱くなった気がした。

 だけど……凄く、気持ちが落ち着く。

 それはたぶん、昔ならありえない感情だったはずだ。

 少しは、夫婦らしくなれたってことなのかな……。


「とりあえず、間に合ってよかったよ。あと十数分で明日になっちまうところだった」

「ほんとです。一秒でも遅れてたら三行半でした」

「それは容赦なさ過ぎだろ……」

「冗談です。それに、絶対帰ってきてくれるって、信じてましたから」


 まあ、そういう約束だったからな。

 だって今日は――妻と一緒になって、ちょうど一年が経った日。

 初めての、結婚記念日なのだから。


「あ、お腹ぺこぺこですよね。料理、今から温め直しますから」

「ああ、俺もなんか手伝うか?」

「大丈夫です。疲れてるんですから座って待っててください……あ、テーブルにあるクラッカーは鳴らさないでください。もう夜遅くなっちゃいましたから」

「そんなものまで用意してたのか」

「ほんとはドッキリ用に買ったんですけど。無駄になっちゃいましたね」


 ぺろっと舌を出す妻。俺から離れ、キッチンの方へと向かっていく。

 ドッキリ用か。なんだか容易に想像がつくウザさというか……なんなら明日の朝起こしてくるのに仕掛けてきそうな気配を感じる。

 料理を待っている間、俺はジャケットやネクタイを外しながら洗面所に行こうとした。

 が、ソファの上に置きっ放しになっていたタブレットを見つけ、ある案を思いつく。


「なにしてるんですか?」


 皿をテーブルに並べている妻が不思議そうに訊いてくる。

 盛りつけられている料理はいかにも美味そうなものばかりだが……それは改めて褒めるとして。


「せっかくの記念日だしな。こいつを使って思い出にも浸ろうと思って」

「タブレットで?」

「ああ。ほら、スタンドで立てて……よし、これでどうかな」

「……あっ」


 俺の思惑に気づいたか、妻がくしゃっとした笑みを見せる。

 画面に映し出されたのは、随分懐かしい頃に撮影した写真のスライドショーだった。


「あ、これ、高校の時の……ふふ、可愛い」

「おいおい、自画自賛かよ」

「違いますよぉ。今のは、先輩に言ったんです」

「俺かよっ。ていうか、その呼び方……」

「あっ」


 二人して、なんだか気恥ずかしい顔になった。

 それから、互いに真似たように笑みを零す。


「ほんと、懐かしいですね。先輩」

「……だな」


 そうして俺たちは、しばらく料理に手をつけないまま、スライドショーを見つめて語り合っていた。

 今では遠い昔の話――それでも確かに楽しく、どうしようもないほど賑やかだった高校生活を振り返りながら。

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