1章 箱庭⑤


 薔薇の香りがじゅうまんする小さな小屋のテーブルで手元を睨む。

 目の前には満面の笑みを浮かべた王子が、あと一枚になったカードをヒラヒラとちょうはつするように揺らした。

 私は顔を歪めて唇を嚙む。

「ベル。早く引かないと終わらないよ?」

「くっ……」

 ふるえる手を無理やり動かし、王子の手元に残ったカードを引く。私が持つのはこっけいなピエロのみ。

「はい。俺の勝ち」

「なんで……なんでですか!」

 五戦五敗。

 この人強すぎる。

 お友達大作戦を八割方成功させてから、さらに数か月が経過した。あれから二人でいろいろな遊びをしているけれど、勝負ごとでは一度も勝てたためしがない。

「もう一回、もう一回やりましょう!」

「ベルって意外とけずぎらいだよね」

「私って分かりやすいですかね……?」

「うーん、そうでもないけど。この、とらんぷ、だっけ? これ手作りでしょ?」

「はい。私が考えた遊びなので」

 実はこの世界にトランプは存在しない。チェスやタロットとかはあるくせに、トランプはないのだ。

 手作りだが、かなり上出来だと思ったんだけど。

「最初こそ手こずったんだけど、今じゃもうカードを覚えちゃったから」

「カードを覚える?」

「これとかさ、ハートの七には少し傷があるし、スペードの十一はここが切れてる」

「……まさか、カードのとくちょう、全部覚えたんですか?」

「覚えてしまったんだよ」

 王子はにっこり笑って肩をすくめた。

 なるほど。この人に勝とうと思った私が馬鹿だった。

「じゃあもうこのトランプは使えない?」

「数字とかマークが重要なゲームなら無理だね」

「ええぇ……。もっとやりたいゲームがあったんですよ」

 だいごうとか七並べとか。

 久しぶりに白熱したかったのに。

 頰を膨らませている私をれいに無視して王子が話し出した。私に対する態度が雑である。

「にしても、ここはすごくいいところだね」

「私が幼い頃、庭を探検していた時に見つけたんです」

 薔薇が咲きみだれる小さな空間。

 私が例の作戦を決行した日、唯一王子に案内せず隠した場所である。あの後どうしても気になったみたいだから、お友達になったことだし教えてあげることにした。

 私が前世を思い出す前からこの場所はお気に入りだ。温かいに雨を凌げるだけの屋根とテーブルと椅子があって、その周りには薔薇が美しく咲いている。

 手入れをしないように庭師には言ってあるので、自然な状態のままだ。薔薇が無造作に咲き乱れているこの感じが好きなのだけれど、見る人によってはだらしなく思われそうだったので王子を案内しなかった。何だかんだと彼も気に入ってくれているみたいなので良しとしよう。

「私のとっておきの場所なんですよ」

「もう、俺に教えちゃったけどね」

 王子が意地悪そうに微笑んだ。私もにっこり笑う。

「そうですね。秘密基地っぽくてドキドキしませんか?」

「ひみつきち?」

「んーと、秘密の場所って意味です。遊ぶための私たちだけの場所」

「俺たちだけの……?」

 王子はいっしゅんおどろいたように目を見開いたが、すぐに嬉しそうに笑った。

 その笑顔が花開くようで、思わずれる。

「そっか、秘密か。俺たちだけの、秘密。ふふ、わくわくするね」

 あまりに嬉しそうに笑うものだから、私も嬉しくなって二人でくすくす笑った。

「あ、そうだ。せっかくだからベルに俺の魔法を披露しようと思うんだけど、見たい?」

「ま、魔法!?」

 突然のさそいに驚いて思わず立ち上がってしまった。

 そうだ。忘れていた。ヴェルメリオ王家は唯一魔法を使える一族だ。

 私の大好きな騎士様であるアスワド様のルートでは魔法の魔の字も出なかったから、すっかり忘れていた。

「王族の方は皆、魔法を使えるんですか?」

「そういうわけじゃないよ。りょくなしが生まれることももちろんある。魔法が使える王族でも個人で魔力量とかは変わってくるけどね」

 王子の言葉と同時に、花が空中に現れた。

 ももいろの小さな花だ。梅の花に似ている。

「え、わっ!」

 ぽかんとしている間に、私の周りからも花が飛び出す。

 落とすのはもったいない気がして空中に舞う花たちをできるだけ手の中に収めた。魔法でできたその花たちはキラキラと輝きながら消えていく。

「ベル、ちょっとこっちに来て」

 王子が手招きしたのは屋根の外にあるしば。言われた通りに外に出ると、日差しが強くて思わず目を細めた。

「婚約者殿どの

 呼ばれて王子の方を見ると、彼はひざまずいて私の左手を取る。あり得ない状況に内心ぜっきょうした。こんな状況を誰かに見られたら後で絶対におこられる。

 王子は焦る私を楽しそうに眺めるだけで、かたくなに立とうとしない。

「殿下! ダメです、立ってください!」

「えー?」

 不服そうに眉を下げながら、うわづかいで私を見つめるその顔の良さに思わずうめき声が出そうになった。自身の美貌を自覚しているのかいないのか、王子はそのままあざとく小首を傾げ、こちらの気を引くように手を軽く握った。

「ベル、今だけでいいから名前で呼んでほしいなぁ」

 王子の甘いこわいろと仕草に、ぐっとのどが詰まる。

 視線を彷徨さまよわせながらも「ディラン様……」と小さな声で呼べば、彼は嬉しそうに破顔した。

「俺から君に花束をおくろう」

 王子は美しすぎるご尊顔でとろけるほど優しく微笑んだ。輝く金髪と宝石みたいな青い瞳が眩しい。王子の周りに見える恐ろしいほどのキラキラはげんかくか、ただの日光の反射か。

 目の前の美少年を直視できずにくだらないことを考えていると、彼は私の左手の薬指に唇を落とした。

 しゅうき起こってみるみるうちに頭に血がのぼる。

 前世では薬指に指輪をめているのはこんしゃの印だったけど、この世界でもそうなのだろうか。日本人が作った乙女ゲームだし、そういう要素がある可能性は高い。

 顔を赤くした私を見て、王子は満足そうに微笑んだ。

 せつ、風がき、花が舞う。

 思わずまばたきをすると、次の瞬間にはあのピンクの花がさっきとは比べものにならないほど私の周りに舞っていた。

 もう一度強い風が吹いて花がグルグルと私を囲うようになびく。ふわりと甘い香りがした。

「わぁ……」

 美しく幻想的な光景にくぎけになる。青い空や太陽の光も花を引き立てるように輝いた。桃色の花弁は風にのり、揺らめいて落ちていく。

 甘い香りに、美しい光景。頰をでる風と花のやわらかいかんしょく

 何もかもが綺麗だった。

「気に入ってくれた?」

「すごく、綺麗で……見惚れてしまいました。とても美しいです」

 あまりにもりょくのない自分にがっかりしながらもなんとかこの感激を伝えたいとりまでつけて感想を述べる。

「本当はね、王族は自分の婚約者に贈り物をするのが通例なんだ。婚約のあかしとしてね。だけど……なんていうか、申し訳ないんだけど俺はアクセサリーなんてうといし、婚約者っていう存在に興味がなかったから用意してなくて。だから、俺の魔法を、親愛の印に」

 王子が少しれくさそうに笑って花束を私にくれる。その花束には薔薇と、可愛らしい花たちが咲きほこっていた。

「ありがとうございます。嬉しいです」

「いつか、ちゃんと贈り物するから」

 そう言った王子の髪に花弁がちょこんとのっているのに気付いた。

 取ってあげようかと思ったけど、やめて手鏡を取り出す。

「鏡なんか取り出してどうしたの?」

「ふふふ、見てください」

 王子は鏡を覗き込んで花弁がついていることに気付くと、むっと口をとがらせた。

「言ってくれればいいのに」

 頭を振ってごうかいに花を落とすと、今度は彼が悪戯いたずらっ子のような笑みを浮かべた。

 ほら、と手鏡を私の方に向ける。

 鏡には花びらを髪にいっぱいつけ、不思議そうな顔をした私が映っていた。

「言ってください!」

「仕返しだよ」

 慌てて乱れた髪を整える。花弁を取るのを手伝ってくれた王子の指がそっと私の髪に触れた。そのまま、りんかくをなぞるように頰に手がえられて、くすぐったさに首を竦める。

「ねぇ、ベルに触れてもいい?」

 光を反射し、水面のようにうるむ瞳と視線が交わり、ドキリと心臓がねた。

「も、もう触れてるじゃないですか」

 赤くなった顔を隠すように目をそらし、かろうじて言葉を返した私に王子が顔を近づける。ぎょっとするほど至近距離だった。

「違うよ、触れるっていうのはね、こういうこと」

 王子の顔がどんどん近づいてきて、逃げることもていこうすることもできないまま固く目をつぶった。まつが重なるほど近い。ちゅっと可愛らしい音がして、頰にキスをされたのだと分かるとどうしようもなく恥ずかしくなった。

「どうしたの、ベル。顔が真っ赤だよ」

「どうしたもこうしたも、殿下が急にキ、スなんてするから……!」

 確信犯である王子は赤面する私をからかうように笑う。恥ずかしさの後はしてやられたことへのくやしさがじわじわと沸き起こってきた。

「こんなので恥ずかしがってたら、これから大変だよ?」

「こ、これから……?」

「俺たちは婚約してるんだから、これくらい挨拶みたいなもんだよ」

「挨拶!? 頰にキスをすることがですか!?」

 驚いて思わず叫んでしまったが、王子は平然とうなずく。

「本当はベルの家に来た時と帰る時にするべきことなんだ。知らなかった?」

「知らなかったです……」

 今まで聞いたこともないし、てきされたこともなかった。でも、ほっぺにちゅーくらいなら、そういう挨拶をするぶんけんもあるわけだしおかしいことではない……のか?

 じっと考え込んだ私を呼ぶように王子がドレスのすそを引っ張った。仕草の一つ一つが信じられないくらい可愛いんだけど。

「ほら、だからベルも俺にキスして」

「今ですか!?」

「これからのための練習だと思って、ね?」

 自分の頰を指差しながら、キスを強請ねだる王子に私が敵うはずがない。こんな可愛らしいおねだりを断れる方がどうかしている。

 意を決して、王子の要望に応えるべくぎゅっと目を瞑って頰にキスをする。かするくらいのささやかなものだし、しゅうしんからみっともないほど震えていたはずなのに、王子はからかったりしなかった。

 目を開けた先には、甘く優しいまなしで私を見つめる王子がほんのり頰を染めていた。



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