桃嫌いの桃太郎と少し不思議な物語達

宇部 松清

磐海凪の神隠し‐浦島太郎-

助けた亀の背に乗って

白狼丸と大きな亀

 からりと晴れた春の日である。

 その日、白狼丸はくろうまるは東地蔵から七里ほど離れた磐海凪ばんかいなぎという港町にいた。


 休日である。

 いつもならその隣にいる太郎も、その太郎の隣をうろちょろする飛助もいない。二人共、今日はどうしても休みが取れなかったのである。


 翌日は石蕗つわぶき屋の外壁と屋根の補修があるために、一日店を閉めることになっていて白狼丸は贅沢にも連休となっていた。


 ならば、と思い切って港町である磐海凪まで足を伸ばすことにした白狼丸である。遅くなるようならそのまま一泊し、早朝に発てば明日の昼頃には太郎と――飛助もいるが――青衣の店に顔を出せるだろう。

 

 愛しいの顔が見られないのは残念だが、ここ数日、毎夜のように会っているのだ。いくら若い二人といえども一日くらいはそれぞれ休む日があったって良い。


 そんなわけで東地蔵あずまじぞうとはまた違った賑わいを見せる港町を冷やかせば、目につくのは、珍しい貝細工の髪飾りである。


「ほう、きれいだな」


 立ち止まってそう言うと、店主はにこりと愛想笑いを貼り付けて揉み手をしながら近づいてくる。


「へぇ、お目が高い」

「これはアンタが作ったのか?」

「いえ、作ったのはウチの職人でさぁ。どうです旦那、奥様に一つ」

「そうだなぁ」


 旦那だの奥様だのと言われれば、すっかりその気になる白狼丸である。そういえばこの手の贈り物をしたことがない。どうせどこにも出掛けられないのだからと、茜はきれいな着物も、髪飾りも欲しがらないのだ。それでもやはり女だからか、甘味の類を差し入れると、目を細めて喜ぶのである。


 だけど髪飾りの一つくらい、あっても良いじゃないか。


 柔らかな月明かりの下、灯火器の淡い光の中、しっとりと濡れたように輝くあの黒髪は、それだけでもどんな宝石よりも美しい。さらに髪飾りなどつけようものなら、それこそ天女に並ぶほどの美しさになって、天から迎えが来てしまうのではないかと、そんなことまで考える。


 何を馬鹿なことを。


 誰かがあいつを迎えに来るとすれば、それは天の遣いなどではなく、鬼のはずである。何せあの愛しい妻は、鬼の血を引いているのだから。


「旦那? どうかしましたか?」


 そうだな、と言ったきり黙り込んでしまった白狼丸にそう声をかけると、彼は「おわ」と些か焦ったような声を上げた。そしてそれを隠すように適当な髪飾りを一つ指さして、


「こ、これをもらおうか」


 と言ったのだった。

 


 少々値の張るものではあったが、平素からそう大して金を使わない――というか金を使うほど休みを貰えない――白狼丸である。まだまだ懐には余裕がある。昼は少し奮発しようか、せっかく港町に来たのだから新鮮な魚でも食おうか、などと考えつつ浜辺を歩いていると。


「何だ」


 人集りである。


 小さな髷を結ったわっぱ共が集まって、何やら騒いでいる。何だ、珍しいものでも見つけたか、と近付いてみると、彼らは皆、棒切れを手にしており、輪の中心にいるものに向かって、それを振り下ろしているように見えた。


「おいおいそりゃあねぇだろ」


 打たれている対象が何なのかはわからないが、少なくとも囲んでいる者達よりは数も力も劣っているはずだ。喧嘩が悪いとは言わない。男なら、やらねばならぬ時もある。


 けれども、それは一対一の話であって、武器を持つならば、相手にも相応のものを与えなくては公平ではない。白狼丸はそう思う。


「よさねぇか、お前ら」


 そう言って一人の手を掴むと、突然現れた大人に、童達は怯んだようだった。これが町の方の人間ならば無視したかもしれないが、相手は、絵巻でしか見たことのないような獣の毛皮を纏った若者で、その上、この辺りの漁師大人達に引けを取らぬほどの体躯である。


「あの、ええと」


 その、五、六人ほどの童はチラチラと自分達が打ち据えていた者に目をやりつつ、逃げる口実を考えているようだった。いっぱしの正義感で仲裁に入った白狼丸ではあったが、過去の自分を振り返ってみれば、彼らを強く責めることも出来ない。何せこれくらいのことは自分だってやって来ている。ただかつての自分には、それに付き合う友がいなかっただけのことだ。


「もうすんな。わかったらもう行け」


 それだけを言って、ほら、と手を払うと、彼らは返事もそこそこに、ざしゅざしゅと砂に足を取られながら駆けていった。


「おいお前、大丈夫か」


 しゃがみ込んで、声をかける。

 返事は期待していなかった。なぜなら――、


 亀だったからである。

 かなり立派な甲羅を持った、大きな海亀である。


 この甲羅なら、童の力で打たれたくらい、屁でもないだろう。そうは思いつつも、案じずにはいられない。ここまで育つのには相当な年月を有しただろう、故郷の山で見た大きな切り株よりも――それはかつて太郎が白狼丸を待つのに腰掛けていたものだ――ずっと大きい。


 首と手足を中に入れて身を守っていたその亀は、恐る恐るといった風にそれらを外に出し、存外長い首を、にゅう、と白狼丸に向けた。


 そして、


「ありがとうございます。あなたは命の恩人です」


 としゃべった。


 やれ鶴が女に化けただの、狐が幼女になっただの、地蔵が動いただのと、その手の怪異には耐性のある白狼丸だったが、それでも驚くものは驚く。うわ、と尻餅をついたが、さっと体勢を立て直して拳を構えた。


 大丈夫、おれは武器なんて持っちゃいないし、一人だ。こいつとやり合ったところで卑怯者にはならない。


 そんなことまで考えて。


「申し訳ありません。驚かせてしまいましたか。あの、その、ぶたないで」


 ふるふると震えながらそう言われて、ゆっくりと拳を下ろすが、まだ警戒は解かない。


「困りましたね、私、本当に悪いやつじゃないんですよぅ」


 つぶらな瞳を潤ませて、砂に首を擦りつける。人間でいうところの土下座のような動きで、は、と我に返る。仮にこいつがあやかしだとしても、さっきまで子どもとはいえ大勢に囲まれて打ち据えられていたのだ、そこへさらに大きな人間に凄まれるなど、可哀相ではないか。


 それに――、


「いや、悪かった。おれは白狼丸という。お前の名は何と言うんだ」


 名乗ったついでにそう尋ねれば、亀は、「名乗るほどのものでも」と言いながらも、「緑六りょくろくと申します」と名乗った。それを聞いて、何か言いにくい名前だなぁ、と思わず口に出してしまってから「いや、すまねぇな」と取り繕うように愛想笑いを浮かべる。


「まぁ別にお前が人の言葉を話すあやかしでも良いんだけどよ。ここいらで悪ささえしねぇんなら、おれは別に」


 鬼やらあやかしやらが存在することは知っている。共存などと大層なことを言うつもりはない。各々が各々の縄張りでうまくやればそれで良いのだ。現に鬼達だって、あの島で慎ましく生きていたではないか。


「悪さなんてとんでもない! 私はただ、たまにこうして陸に上がって甲羅を干すだけでして」

「そうなのか」

「そうです。いつもはこんなことないんですけど、今日はたまたま彼らに見つかってしまい……」

「あぁ、運が悪かったな。あれくらいのわっぱってのはよ、どうしようもねぇんだ」


 おれもそうだったから、よくわかる。


 かつての自分を思い出して小さく頷く。


「それで、あの、もし良ければですが」


 亀は、もじりもじりと、手足を動かして、媚びを売るような視線を向けて来る。その姿がいじらしく思えて、「何だ」と気持ち柔らかく返した。


「お礼をしたいのです」

「良いって、別に」


 大したことはしてねぇ、と手を振るが、亀は彼の履物に縋って「どうかどうか」と首をこすりつけて来るのである。


「それでは私の気が済みません。それに、恩人に対して礼を欠くなど、私の里では許されないのです」


 そんなことを言われれば、首を縦に振らざるを得ない。


 かくして、彼の背に乗った白狼丸は、「おい、さすがにそれは」などと騒いでるうちに、あっという間に海の中へと引きずり込まれていったのである。

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