第5話 シンの狂気

『メタ・ビーング』と呼ばれる者達がいる。

人間と違う体細胞をもち、物理法則を無視できる存在。

時代によっては『彼ら』は『悪魔』とも『妖怪』とも言われてきた。人の姿を持ちながら、人にはない身体能力と特殊能力を身につけている。その存在が公式に確認されたのは、再興暦19年。すなわち『狂騒の開拓時代』と呼ばれた悪夢の時代の事であった。

至近距離での攻防。軍人だとしても、傭兵だとしても、常人ならば、避けなくてはならない事態であった。一対一の攻防は少しのアドバンテージが、武装が、技量の差が勝敗に直結する。ましてや、『メタ・ビーング』の戦闘なら、なおさらだった。力で物を言わせるタイプでなくとも。

常人ならば。狙われた時点で降伏や逃走、命乞いを始めるのが懸命な判断だろう。

だが、アラカワ・シンは違う。『カラスの男』は違う。

過去が、蓄積が、技術が、経験が、切り抜けた死線の数が、アドバンテージを覆す。

20年しか生きていないにも関わらず、その男は既に古強者の域に達していた。

「……傷つけるつもりはない。邪魔をするな」

あくまでシンは冷静だった。

対等。

本来はありえない。

対等。

そこに行き着く事自体、正気の領域ではない。

数々の実戦経験、人間の限界まで鍛えられた肉体、戦術の知識、戦闘のセンス。それらを総合しても、『大口径の火器』や『大型の刃物』無しに『メタ・ビーング』と渡り合う事自体が異常であった。

少なくとも、シンに『普通の過去』などない。

常人が何度発狂しても足りない過去をくぐりぬけてきた。

それがシン・アラカワだった。

「やりあう時間が惜しい。邪魔をするな」

「……それを止めに来たんだけどね」

「……SIAの医務室に行きたいか?」

「自分の心配をなさいな」

アオイの攻勢を見事なまでに捌ききる。強烈かつ猛烈。身体能力にものを言わせた両腕の打撃でシンに少なくないプレッシャーを与える。

しかし、シンは強者であった。

超絶技巧そして、迅速。

達人レベルの近接格闘術で、かわす、受け流す、捌く。

腕と足。

攻めと守り。

回避と攻撃。

すべての動きが芸術的なまでに俊速で的確。突く動きは風より速く、足捌きは変幻自在。少ない動きで効率よく回避を続けた。

フェイントにも動じない。

見知った相手とはいえ、それが『メタ・ビーング』でも。十手先を読まれていた。

ゆえにシンの体力の消費は少なくて済んだ。アオイは逆に無駄な消費を強いられた。『影相手』に全力で相撲を取るような徒労。殴っても、殴っても、手応えがない。敵は無傷。アオイは徐々に打撃を入れられている。

強靭な細胞、人外の肉体。そのおかげで致命傷はない。

みぞおち。

すね。

みぞおち。

脇腹。

急所の攻撃も決定打となりえない。

しかし、戦う力は確実に削がれつつあった。

どちらが不利かは明白であった。アオイにもう手加減は出来なくなった。






「やっぱり、こうなるのね」

「そのまま逃げてくれると理想的だが」

「馬鹿にしてるの?」

「あのときのユキと同じだ。俺はだれも殺すつもりはない。少なくとも今は」

「…………仕方ないわね。あまりやりたくないけど……」

アオイは膝立ちの様な姿勢で開脚する。

「……このスカートとスーツ気に入ってたんだけど……ううぅぐ!」

アオイの身体が痙攣し、足の骨格が変化する。布が裂ける音がする。それと共にタイトスカートの中から虫の腹部が飛び出した。腰の部分からも虫の脚部が飛び出す。

「……さて、第二ラウンドよ。絶対に止めてやるから」

「俺は立ち止まらない。分からせるだけだ」

アオイの本気。人の常識から外れた姿。それを見てもなお、シンは立ち止まらない。美学のためか、それとも狂気のためか。

シンの闘志は折れてはいない。

「……そこまでだ」

不意に、紳士的な声が屋上に響いた。

レオハルト。レオハルト・シュタウフェンベルグ。その場にいないはずの若き将軍が、超常的な速度で二人の間に割り込んだ。

「……中将か?」

「……中将!?」

二人は驚いた様子を隠せずにいた。

「ああ、……僕だよ」

レオハルトはやれやれといった様子であった。

「……アオイ。少しでも不利になったら、早めに引けと言ったはずだ。これが戦場だったら、君は死んでいる」

「……申し訳ありません。中将」

「気にするな。しかし今日のことは忘れるな。俺は誰も死なせるつもりはない。……それと、人間状態に戻る様にな。予備の服はここに置いておく」

そういって、レオハルトはアタッシュケースをアオイのそばに置いた。

「すみません。中将」

アオイは肉体を徐々に人間に戻し始めた。シルエットが正気の世界の正常な形に戻りつつある。

その間にレオハルトがシンに話しかける。

「……君にはすまないことをした。だがあくまで優先すべきは任務だ。あのデータのあり方が大勢の命のあり方を変えてしまう。……どうか分かってほしい」

「……大量破壊兵器だったか?ユキはなぜ?」

「ユキは過去の因縁に決着をつけたがっていた。今回の任務の内容自体は簡単だった。しかし危険でもあった。どの勢力が狙っているか分からなかった。だから優秀なハッカーが必要だった。多少卑屈でも、傲り高ぶることなく信頼でき慎重に任務を遂行でき、大使館のセキュリティ・システムを突破できる人物を」

「それがユキだったのか」

「そうだ。そしてその兵器は、ユキの過去と関わりがあった。だからユキはこの任務に対して強い闘志があった。だがデータは持ち去られ、ユキは処刑される。最悪の結果だ。僕たちは……嵌められた」

「リセット・ソサエティだったな?彼らはなんだ」

「ユキから聞いたのか?」

「ああ」

「……テロ組織。彼らは絶望という現実を通して人間をリセットすることを目標としている。『リセット、それは現実直視と再生』。それが合言葉だ。その幹部の一人が、プロフェッサーライコフだ」

「……ライコフはなぜあの場に?」

「ライコフはツァーリン中央大学の物理学教授であるが、裏の顔がある。裏の顔。テロリストと技術士官だ」

「軍の人間だったのか」

「そうだ。だがライコフがリセット・ソサエティであるという決め手がなかった。迂闊に動けば外交問題となる。外部の人間に動いてもらうことがリスクを下げることにもつながっていた」

「ユキを救い。その兵器も処理するということか」

「それはできない」

「なぜだ?」

「ユキの処刑と共にその兵器は起動される」

「その兵器はなんだ?」

「ヴィクトリア一帯を焼き尽くすのに十分な特殊な星間ミサイル。それを放つ大型の発射装置だ。それを外部の人間に破壊してもらう必要がある」

「それはツァーリンの別地方にあるのだろう?」

「そうだ。現状で破壊しに動けるのは君だけだ」

「……ちがうね。手なら他にもある」

「ばかな。君のような命知らず兼外部の人間を、他に知らない」

「一人当てがあるといったら?」

「だれだ?」

「古い知り合いだ。そいつに任せてユキを助けにいく。誰かを犠牲にする事を仕方ないで済ませたくない」

「大きな賭けになるぞ」

「見殺しよりはマシだ」

「……だからだ」

「へ?」

「君を呼んでよかったよ」

レオハルトは『小さな端末』をシンに渡した。

「……もしかして、これが狙いか?」

「……ああ」

「……意外とワルだな。やっぱ」

シンは微笑みながら、ビルから飛び降りた。背面の翼が開き。上から鴉の様な翼が展開される。悠々と滑空しながら昼の街へと消えた。

「ブランクなど感じられなかった。あとは……信じるだけか……」

「……つくづく私は『貧乏くじ役』ねぇ?中将?」

着替えを済ませ、ぴっちりとした伸縮性スーツのアオイが出てくる。右手にアタッシュケースがあった。

「すまなかったな。ブランクがあるなら別の人物に頼むことも考えた。だがこれが一番良い手段だと思ってたんだ」

「…………はぁ、生きた心地しなかったわよ」

「旦那のサブさんに慰めてもらうといい」

「ふふ、そうさせてもらうわ」

人間と変わらない姿でアオイも飛び降りた。手から何倍も太い蜘蛛糸をターザンの要領になる様にして展開する。

「さて、誰が出てくるのやら」

レオハルトはそう言った後、自分用の携帯端末を起動した。

端末にはシンの位置が記録されていた。

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