蒼穹の女神 ~The man of raven~

吉田 独歩

第一章 アラクネ編

第1話 アラクネと鴉の騎士

闇と木の空間を二人の体が切り裂いた。

音と光のない空間に草木の音だけがガサガサと響いた。男と女はただ道を突き進む。道があろうとなかろうと。二人はただ進む以外の選択肢しかなかった。後ろには死よりも惨い結末が待つのだから。

「止まってくれ。シン」

青い残像が二人の前に立ちふさがった。

残像と閃光の軌跡が一つの形を作り出す。

若き将軍。救国の英雄。

レオハルト・シュタウフェンベルグ。

『蒼い疾風』の異名を与えられし共和国の正義の象徴が、二人の男女に言葉を投げかけた。

「……すみません。中将」

レオハルトが立ちふさがった横をシンは通り過ぎた。

その度にレオハルトは立ちふさがった。

風より速い走力をもって。

「シン。君まで追われる事はないんだ。だから……」

「……中将」

シンと呼ばれた背丈の低い傭兵は苦い表情を浮かべる。しかし、すぐさま表情を変えたかと思うと毅然とした表情と言葉を返したのであった。

「……中将。私は彼女を見捨てる事はできません。彼女はこう言っていたのです。『死ぬ前に誰かに認められたかった』。僕は思ったんです。この世で最も哀しい遺言だって」

「死ぬかもしれないんだぞ……」

「親友と。亡くなった最初の親友と同じ言葉でした。……僕は納得いきませんよ。だから、軍を一時抜ける事をお許しください。中将」

「…………」

「契約金は例の口座からお返しいたします」

「…………ああ」

それっきり将軍と傭兵との間に言葉はなかった。そして英雄は妨害する事なく、二人を見送ったのである。

手を繋ぎながら、傭兵に連れられるがまま女は前へと進んでいった。

生身の手を模してはいたが、女の手は機械で出来ていた。

その腕を引っ張る様にして、ユキとシンは闇夜の中へと消えていった。






建物の最上階の一室。

狙撃のリスクを下げるため、カーテンは閉められていた。

「……ぐ」

黒髪の若い美女が銃を片手にコンピューターを弄くっていた。

焦りもあるせいか、それとも彼女の技能の高さを物語るためか、そのキーボードの入力スピードは速かった。しかしただ速い訳ではなかった。全ての動作に無駄がなく。可能な限り少ないアクションで事を成すために入力がなされた。

何度か繰り返し、コマンドが受け付けられる。

「…………よし」

黒い戦闘服の女が辺を見回す。

わずかな動作で、部屋中がスキャンされる。

罠。敵影。索敵中。

完了。

危険性:低レベル。

その表示に彼女はほっと安堵する。

その表情は童顔な顔立ちもあって、普通の少女のようであった。

しかし部屋には血の匂いが立ちこめた。

死者はいないが、負傷者がいた。三人。足を撃たれていた。撃たれた人はプロテクターを着用していた。もう一人はスーツ姿だった。彼は足を撃たれては居ないが、顔を殴られていた。

彼らは彼女にやられたのだ。






ツァーリン連邦の大使館を囲む様にして、警察車両と軍用車が止まっていた。

サイレンの青と赤の回転が周囲を不気味に彩っている。

「突入が失敗だと?」

「犯人は一人ではなかったのか!?」

「突入部隊は何をやっていたのだ!?」

警察側の陣頭指揮をとっていた男が報告に来た警官に怒鳴り散らしていた。

「……犯人は特殊な訓練を受けており、警官と対等に渡り合っておりました。あれは……人間の動きじゃありません……」

「そんなこと行っている場合か。あれをなんとかしなければ外交問題になるのだぞ!!」

「……」

沈黙が警察の臨時司令所を支配する。

若い警官はどうすることも出来ず、言葉を発する事もなかった。

刹那、沈黙が破られる。

「失礼いたします」

若い紳士的な声が司令所に響き渡った。

「む、SIAのレオハルトか。……そのチビはなんだ?」

その『紳士的な男』はもうひとり男を引き連れていた。

薄橙。異国の肌の色。アズマ国の人間の容姿。若い男であった。身長は低く160センチ前半の身長しかなかった。しかし体つきは頑強でどこか油断ならない雰囲気を醸し出していた。

「苦戦している様ですので応援を呼びました。彼はシン・アラカワ。私の古い友人です」

「大柄のSWATチームでも確保できなかった国際的ブラックハットハッカー『アラクネ』をこんなチビが?冗談なら他所でやってくれ」

「彼はかつて我が国の外人部隊に居ました。『37』です」

その数字の羅列は全ての人間を黙らせた。

「マジで言ってるのか?若造?」

「そうです。『あの生き残り』です」

「……あの『都市伝説』が、め、目の前に居るのか?……このチビが?あの!?」

「……」

黙して語らず。アズマ人の男は黙々と装備を整えた。

パルスライフル。拳銃。防弾プロテクター。タクティカルベスト。ヘルメット。特殊警棒。ナイフ。

そして、フェイスマスク。それにはカラスのエムブレムが施されていた。

装備を整えたシンはレオハルトに問いかけた。

「あそこにアラクネが居るのだな」

「そうだ。君が彼女を『生かしたい』なら君の手で救うしかない。残念だがバックアップは期待しないでくれ」

「……そうか」

「私も出来ることはしようと思っている。君を失うことは大きな損害だ。素晴らしい人間を失いたくない」

「……中将。どうぞご心配なく。私は帰ります。『ユキ』と一緒に」

「……幸運を」

レオハルトの敬礼に、シンは丁寧に応じた。

そして、『カラスの男』は、第二波の警察隊に合わせて建物に消えていった。

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