14:読書少女と読書少年+助っ人日本人投手

 目が覚める。

 歯を磨いて、顔を洗って、炊飯器のスイッチを押して、前日に干した洗濯物を取り込む。

 毎朝のルーティーン。

 世間のお母様方の苦労が身に染みる。専業主婦の年収は旦那より高給だとか、それもそうだろう。肉体労働と知的労働をミックスしたようなことを一年間休み無く繰り返す。そりゃ年収にしたら凄いことになる。

 衣服の整理を終わらせて温かい緑茶、それなりに暖かくなってきたが朝はまだまだ温かい緑茶が飲める。早起きの得の一つだ。

 テレビを付けて父さんと妹が起きない程度まで下げる。その後は栞を挟んだ歴史小説を開いて天気予報の時だけ目線を移動させる。


「……本は凄い。無限に近いからな」


 今の俺は日本語にこだわる必要がない。主要な言語で書かれた書籍は普通に読める。日本語くらいしかまともに読めなかった時期はライトノベルなんかを読んでたが、今となっては歴史小説にハマっていたりする。

 古今東西の歴史小説は風習や国民性を詳しく書き記していることが多い。日本人にない感性、それは知的好奇心を刺激してやまない。

 アドルフ・ヒトラーが書いた我が闘争もある意味では歴史小説だ。彼の思想と理念、それは人間の心を鷲掴みにするだけの説得力がある。歴史に名を残す極悪人、でも、彼の作品を見た時……俺は不思議と正義なのではないか? そう思ってしまう。

 ドイツ語を覚えた時は即座にドイツ語版を輸入したものだ。


「ネット小説も面白いが……小説家になろうやカクヨムが台頭するのはもう少し先だからな、気長に気長に」


 メジャーどころは全部読んだが……。

 静かな朝、ニュースの音と紙が捲られる音が聞こえるだけ。



 妹と別れて教室に到着する。するとそこにはさくらが一人静かに本を読んでいた。珍しい、いつもなら結衣に合わせて登校してくるのだが……。

 ああ、そういえば今日は結衣が野球の練習で怪我をする日だ。こういう細々としたイベントは重要じゃないからポッと忘れてしまう。もう少し記憶力を鍛えないといけないだろうか?


「新島さんおはよう。立木さんは?」

「あ、相沢くん、おはよう。結衣ちゃんは……練習で捻挫しちゃってね、日曜日に練習試合があるから張り切りすぎたみたい」

「あらら、それはそれは……」


 知らないふりをして自分の席に教科書類を収納する。

 その後は自分の本を取り出して栞のページに飛ぶ。


「相沢くんってどんな本を読むの?」


 声の方向に視線を向けるとそこにはメガネっ娘美少女、おっとり美少女がおられるぞ! やっべ、俺のこのみ愛が……。

 平常心、冷静になれ……俺よクールになれぇ……。


「歴史小説が多いかな? 今はこいつ、伊勢物語を読んでる」

「歴史小説かぁ、わたしは恋愛小説ばかり読んでるから……」

「本に上下関係はないよ。本になってるだけで名誉さ、自分が伝えたい物語を後世に伝えることができてるんだから」

「ふふっ、相沢くんって詩的な言い回し好きだよね」

「前世が吟遊詩人だったのかも」


 小粋なジョークを気に入ったのかクスクスと笑ってくれる。

 そういえば、このみの次に攻略したのはさくらだったな、攻略情報は絶対に見ないぞ! そんな気持ちで攻略してた……。

 ――駄目だ駄目! あの頃の記憶を思い出したら罪悪感に押しつぶされる……。


「わたしも歴史小説読もうかな? おすすめとか」

「それだったら俺の秘蔵を貸すよ、お気に召すかわからないけど」

「じゃあ、わたしの秘蔵も貸すね!」

「砂糖みたいに甘いのお願い」

「おまけにはちみつもつけるね」


 回復薬グレートが作れそうだ。

 自分だけ座っていることに忍びなくなり立ち上がる。もうそろそろクラスメイト達がゾロゾロと登校してくる。自分が座っていてさくらを立たせる。いやはや、男として恥ずかしい姿は見られたくない。

 そのままさくらと結衣がいつも雑談している席がない窓際で本の話しを開始する。


「お母さんが昔から本が好きでね、自分でも本を出版したんだけど……あんまり……」

「出版するだけでも凄いよ、それは誇りさ」

「相沢くんって心から本が好きなんだね……」

「ああ、本は書き手の全身全霊の自己表現だと思ってる。自分の好きを他の人にも共感して欲しいという人間なら当たり前に持ってる顕示欲ってやつ? それを本屋に並べてもらうのは努力の結晶。馬鹿にすることは出来ないよ」


 さくらが青空を見上げる。自分の母が書いた作品、多くの人から馬鹿にされたのだろうか? 肯定してくれる人はいたのだろうか、確かに物語として成立していない本は無数に存在している。

 世界で一番有名な推理小説『シャーロック・ホームズ』もコナン・ドイルが本業の歴史小説を書くための小遣い稼ぎで書いた小説として有名だ。それがあれよあれよと大量の読者を獲得して彼は恐怖したという。

 ある意味で名作を作ろうとしたら駄作になり、軽い気持ちで書いた駄作が名作として語られるのかもな……。


「ねえ、相沢くん……名前で呼んでいいかな?」

「いいよ、さくらさん」

「っ!? ……ズルだよ、明広くん」


 何がズルなのだろうか? さくらんぼみたいな顔をみてそう思った。



「……ドジしちゃったな」


 扉越しに聞こえる結衣の弱音、地獄耳は早死すると言われているが……実際合ってるな! 三十以上生きたことないし。

 駄菓子屋で大量の菓子類を買って持ってきたのだが、この調子だと食べてもらえるのは捻挫が治った頃だろう。

 さくらがトントンとノックして結衣の返事を待つ。


「だれ?」

「さくらだよ、入っていい?」


 お見舞いに来たことを察して入ってと声が帰ってくる。

 さくらだけだと思っていたら俺とこのみまでやってきたことに鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしている。アリスも来たがっていたのだが、アリスはお父さんが車で送り迎えする都合で欠席、過保護なお父さんだと思うね。父さんが結構な放任主義者でよかったと思える。


「駄菓子いっぱい買ってきた。あ、ご家族の分は渡してあるから安心していいよ」

「ちょ、相沢とこのみちゃんまで……見られたくなかった……」

「まあまあ、怪我くらい誰だってするさ」

「あの、えっと……早く治るといいですね……」


 駄菓子が沢山入った袋を勉強机に置いて部屋を見渡してみる。お人形もちゃんと飾られてて女の子の部屋って感じ。


「ジロジロ見るな! 恥ずかしい……」

「ごめんなさい」


 素直に謝る。

 女の子の空間に男がいたら駄目だな、結衣のお母さんに一声かけて相沢兄妹は撤収が安定かね。


「ねえ、相沢……アンタ野球の経験ある?」

「あるにはあるが……どうして」

「日曜日に練習試合があるの、それもピッチャー……さくらは喘息持ちだし、このみちゃんは年下だし、最近のアンタなら出来るかもって」

「……いいよ、投げるくらいなら」


 女の子の頼みを断るなんてできない。投げるだけ投げてみるか。


「キャッチャーは同じ学校だから明日から受けてもらいなさい!」

「了解。負けても文句言わないでね」

「凄く言う」

「ひっでー……」


 負けられないってやつか……。

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