第十三章 島崎家(2)


「先も話したろう、島崎家は家禄も削られ長いこと貧乏暮らしだ。先代の彦之進殿も隠居したは良いが、ひどい気鬱を患っているらしい」

 時に大声で喚き、酷いと暴れる。

 そんな有様なので、息子の与十郎が家督を継ぐ頃には彦之進の妻女も心労から倒れ、そのまま世を儚んだ。

「おまえ、そんな家に嫁の来手があると思うか」

「………」

 つまりはそういうことだ。

 と、虎之助はまたも吐息する。

「いいか恭太郎。いずれにしろ、おまえが秋津を娶ることは無理だ。親父殿も藩もそんな婚姻を許すわけがない。例の火付けで非人長屋にも頼る宛てがなくなったんだろう? それなら、島崎家に引き渡してやったらどうだ」

「………」

「武家は武家でも、元宮家と月尾の島崎家では家格も雲泥の差だ」

 それにな、と虎之助は続ける。

「おまえはそれで良いかもしれんが、身分不相応な家に秋津が馴染めると思うか? 辛い思いをさせることになる。望まれて島崎家に行くほうが、まだましだろう?」

 聞きながら、恭太郎は俯いた。

 自分がこの身分にある限り、思いが叶うことはない。

 心惹かれて止まない相手を、どうあっても周囲は引き離そうとしてくるらしい。

 十兵衛然り、島崎家もまた然り。

「母親の生家で、相手は従兄殿だ。先代が少々厄介かもしれんが、秋津にとってはまたとない機会だぞ」

 滔々と言葉を紡ぐ虎之助に、恭太郎は袴を握り締める。

 もうやめてくれ、と声を絞り出した。

「月尾へは行かせない」

 そんな家へ引き渡すくらいなら、自分が守り通そうと思った。

 遠い見知らぬ地で、見ず知らずの従兄に娶られ、果ては狂人紛いの伯父がいる家に入る。

 そんなところへ黙って見送るつもりはない。

 十兵衛が懸念していたのも、こうしたことなのだろうか。

 故に、十兵衛もまた、秋津を自分の許に留めようとした。

「秋津は、私を恨んでいるだろうな」

「………」

「十日後に、非人の十兵衛を火刑に処さねばならない」

 執行すれば、秋津に少なからず恨まれるだろう。

 髪を梳いてやった時に見せた、ほんの少し照れたような顔も、もう見せてはくれないかもしれない。

 波留や孝庵の目を盗んで長屋の者を掻き集めたのか、秋津は奉行所に対して十兵衛の助命嘆願を行っていた。

 その嘆願書を恭太郎自身も目にしていたし、それを受けて奉行の依包にも減刑出来ないものかと掛け合った。

 だが、藩の方針として火付けに関しては殊に厳しく、減刑は認められないというのが奉行所としての結論だったのだ。

「……そうか。それは──、いや、悪かった。あまり思い詰めるな」

 虎之助の口調はそこで漸く、同情めいた響きを含んで和らいだ。

「今もあの男は好かない。妬ましくもあった。情けないことに、奴が犯人だと知って、これで私だけを見てくれるだろうと喜びすらしたんだ」

 だがそれも束の間だった。

 役目柄、罰を下すことになる。

 秋津にとって身内にも等しい男を、火で焼かねばならない。

 恨まれないはずがなかった。

(これも、慣れるか耐えるかする他ないのか──)

 検視から逃げた先で、秋津に叱咤された時のことを思い出す。

 先日奉行所に押し掛けてきたとき以来、秋津とはもう幾日も顔を合わせていなかった。

「勝手ですまんが、松木の伯父には返事を書かねばならん。近く秋津を訪ねようと思うが、今秋津は何処にいるんだ?」

 

   ***

 

 空は高く、澄み切った青天が広がる。

 西に山々を臨み、東に河川がゆったりと横たわる。その川面を飛び交う蜻蛉の羽が、陽光を受けてちらちらと光り輝く。

 季節はもうすっかり秋へと移り変わっていた。

「突然訪ねて申し訳ない。それがしは元宮恭太郎殿の旧知で、安藤虎之助と申す。今日は秋津どのに話があって参った」

 笠を取り、虎之助は丁寧に一礼する。

 診療所のお仕着せに身を包んだ秋津は、急な来客にぽかんと呆気に取られている様子だった。

「ここで下働きをしているのか?」

「あ、はい。恭太郎様の許しがあるまでは出てならないと言われてますんで……」

 出れば咎められ、それでも無為に過ごすことも憚られる。

 そこで、掃除や洗濯といった雑用をさせてもらう事にしたのだ。

 そう答えながら縁側に茶を差し出すと、秋津は膝を引いて傍らに控える。

 陽射しの中にほのかに冷たさのある風が吹き抜け、実に心地良い天気だ。

「恭太郎様は、どうされていますか」

「? 恭太郎は、ここへは来ていないのか」

「はい。訪いもなく、こちらから伺いを立てても、ここを出て良いというお返事を頂けないんで、あたしも困っています」

 恭太郎め、と虎之助は密かに吐息した。

 ちらと秋津の姿に目をやる。

 思っていたよりも、まともな娘のようだ。

 刑場の手伝いという事実から想像するほど擦れてがさつでもなければ、身を売る夜鷹のような嫌な婀娜っぽさも感じられない。

 髪は垂らして紐で括り、身体も細く薄かったが、ごく普通の娘に見えた。

 話す言葉の端々に荒さは覗けるが、姿勢もよく凛とした印象だ。

 診療所という場所柄、身奇麗にしているせいもあろう。

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