第4話 文永の役 肥の大将 少弐景資

 豊後国の大将である大友「太郎」頼泰よりやすは鐘の音で目が覚めた。不機嫌である。


 もっともここ最近はずっと不機嫌だった。そもそも彼は都勤めでありそれが〈帝国〉への対応として豊後国へ下向することになった。そのときから不機嫌であった。


「それで何があったかもう一度述べよ」

「はっ〈帝国〉の船と思わしき船団が博多湾に多数侵入してきました」

「なぜ今の今まで気が付かなかった」

「はっ深夜遅くに闇に紛れて侵入してきたので発見が遅れました。また早馬からの伝令によると肥前国松浦――」


「肥前は遠方過ぎる。博多だけにしろ」


「はっ、今は少弐景資かげすけ殿が息の浜に御家人たちを集合させています」

「そうか、ならば豊後と豊前それから東国から来た御家人たちを筥崎宮に集結させろ。騎兵だけでも準備を整えていつでも動けるようにしておけ」

「はっ!」


 鳴り響いていた鐘の音が止んだ。筥崎宮から外に出るとすでに肥の武士団が出発している。



「出立する前に名を申されよ」役人が誰が息の浜に向かい、だれが残るのか確認していた。

「肥後の国、竹崎郷の五郎、季長。大将少弐の要請に従い出陣する!」

「下野国、宇都宮氏、同じく出陣する!」



 筥崎宮で待機していた肥後の武士たちが博多の町へ向かう。空を見ると月は陰り薄暗い、未だ夜明け前である。





 竹崎五郎たちが向かう博多の町。その北側はヒョウタンの上部のような形で突き出ている出島のような部分――これを息の浜という。


 普通ならばそこに宋船の下船用の小舟が停泊する。大型船は船底が浅瀬にぶつからないように博多湾の中央付近に停泊し、宋銭や陶磁器などの財貨や嗜好品を小舟に積み込み息の浜にくる。そこで代わりに硫黄、木材、そして鉱石とを交換して出航する。


 息の浜とはこれらの物資を取引するのに都合の良い場所であり、広い敷地で交易品の仕分けや取引をおこなっていた。



 文永11年10月二十日も南宋の船が博多湾に停泊していた。戦争から避難できなかったのだ。



 ――その船から大量の煙が出ていた。



 その煙を吐く宋船を囲むように〈帝国〉船団が停留している。各船からは小舟が――数百隻もの小舟が行き交っている。


 少弐「三郎」景資かげすけは息の浜の小高い丘の上からその様子を見ていた。この少弐三郎は家督である兄・経資の代わりに肥前、肥後の御家人を指揮するためにきた。まだ年若くこの時二十九である。


「おかしいですね……」

「はい? どうかしましたかな?」


 傍らにいる野田「三郎次郎」資重すけしげがそう訊き返してきた。彼はそんな戦の経験の少ない少弐三郎の傍らで補佐をしていた。


「いえ、どうにも腑に落ちなくて、敵が上陸するのなら桟橋が整備されているあるこの息の浜だろうと予想しましたが、彼らはまったく別の場所にしかも遠目に見ても迅速に積み下ろしているように見えます」


 博多の町が栄えているのはこの息の浜が十分に整備されているからだ。そのおかげで潮の満ち引きに関係なく貿易をすることができた。

 そうでないと引き潮の時に上陸して船が沖に流される。満ち潮の時に上陸して船が陸揚げするといった問題が起きてしまう。


「ふむ……たしかにそうですな。もしやすると我らが知らぬ未知の方法を使っているのも知れませんな」

「我らよりはるかに進んだ国は宋だけだと考えていましたが、この考えを改めたほうがいいかもしれませんね」


 煙が立ち込める博多湾を見ながら少弐三郎はそう呟く。


「野田殿、今のこちらの手勢はどのくらいですか?」

「ふむ、およそ騎兵が五百に徒歩二千の二千五百余ですかな。仮に大友殿と島津殿が率いる全軍が集まれば騎兵が千と歩兵が九千で一万といったところでしょう」


 やはりこちらが圧倒的に数が少ない、と少弐三郎は思った。


「援軍が来るまで敵を食い止めなければいけませんね。あの船の数から〈帝国〉の数は分かりますか」

「さすがに船の数だけでわかりかねますが――しかし対馬小太郎と兵衛次郎の話を聞くに……多く見て四万。そのうち一万は水夫と輜重でしょうから三万ほどが当面の敵でしょう」


 それを聞いて少弐景資かげすけは深くため息をつく。


「そうなるとこちらの手勢二千五百だけで十倍以上の敵と戦わなければならないのですね」

「ほっほっほ、しかし数が多いということは兵糧に難ありということ。ここは博多に布陣して寄って攻めてくる敵を息の浜と那珂川で迎え討つのが上策かと存じます」

「なるほど――そうしましょう」

「はぁ、それにしてもなぜ資能様と経資様は……」

「野田殿」そう言って首を振る景資を見てそれ以上を口に出さなかった。


 少弐景資かげすけには父である資能すけよしと、その資能から家督をついだ経資つねすけという兄がいる。この二人は大宰府に留まっていた。


 ――悲しい話じゃ、少弐家の中では景資かげすけ殿の討死あるいは敗北はすでに決まっておる。弟ができるだけ時間を稼ぎ、敵が疲弊したところで肥の大将を交代して経資率いる大宰府軍と大友、島津の軍勢が合流して一気に畳みかける算段なのじゃろう。しかし、しかしのぅ、戦というのはそう簡単にことが運ぶわけじゃない。



 野田は〈帝国〉の奇妙な行動からすでにこの戦が思い通りにはいかないと察していた。



「そろそろ大方の武士は集まったでしょう」と野田が言う。

「ええ、それでは軍議を開くとしましょう」







 少弐たちが軍議を開いたその時、竹崎五郎たちが息の浜にたどり着いた。息の浜にはすでに数知れずの大軍が集い、それぞれの旗の下に集まっている。


「おおーい、五郎よ、こっちじゃ、こっち!」


その集団の中に江田又太郎もいた。彼らは住吉神社の方で寝泊まりしていた関係から先に着いていた。


「又太郎殿、ついに戦ですね」

「なんじゃい、戦なのじゃからそう他人行儀せずともよいぞ」

「ん……ならばこれより合戦のとき、腕がなるというものだ」

「うむうむ――そうそう、ワシに合戦のときの妙案がある」


 江田又太郎がニヤリとしながらいう。


「ほう、それはどのような案か」

「うむ、ワシとお主のこの兜を取り替えるのじゃ。さすれば合戦の時の目印になるじゃろう」

「なるほどそれはいい考えだ。是非ともお受けしよう」


 そう言って五郎と又太郎は互いの兜を交換した。


 敵味方がひしめく戦場では戦いが終わった後に功績を申請するのが習わしだ。その際に勲功が正しい事を証明するために当事者以外の第三者が必要だった。この互いの兜を交換して戦場の目印にする事を「見つぐ」という。互いの兜を目印に戦闘では協力し合い、報告では証人になってもらう。このような「見つぎ、見つがれる」関係は互いが正直であり、上下関係のない等しく同格だからこそ成り立つ。



 五郎は又太郎の紅糸の兜をかぶる。その時に事態が動いた。



「急報、賊が赤坂山に襲来!」


 その報が聴こえるや博多にいた騎兵約百騎あまりが突如動き出した。


「あの旗印は間違いない川上の菊池一門じゃ」と又太郎が言う。

「あれが菊池の宗家か」


「見ろ、赤坂山に敵が陣を構えたぞ!」

「菊池が〈帝国〉を倒しに出陣したんだ!」


 博多の西にある赤坂山を見るとたしかに見慣れぬ旗が掲げられていた。


「ついに合戦の時ぞ。皆の者戦の準備をせよ!」又太郎が郎党に下知を飛ばす。

「よし、われらもすぐに駆けてあの一門に追いつくぞ」

「応」と五郎の郎党たちも威勢よく答える。


「待たれよ、相待たれよ!」


 そこへ野田「三郎次郎」資重が馬を駆りやってきた。


「江田又太郎秀家殿とお見受けする。此度の戦は肥の国が一緒にて合戦すべきと心得る。あの赤坂は足場が悪く、馬で戦いづらいところ、ならば戦場は我らが有利な場所に定めて、攻め寄せてきたところを一同にかけて、追物射を射るべき。故にここで待つべし」


 そう言い切るや否や飛び去って行き、別の御家人たちにも待つように言って回った。


「なんじゃい。肥の大将は待ち受けるつもりかい」

「それならあの出陣した者たちは何だったのだ?」

「あ奴らは川上の菊池一門じゃからな。たぶん参戦する際に交わした『言質』を違えて勝手に行きよったのじゃろう」


 この博多に集まる武士たちはそのほとんどが九州の御家人である。しかし異国合戦で好き勝手に戦いその戦果を事後報告されても真偽を確かめることができない。そこで参戦するにあたり一つの約束ごとが決められた。



 ――それは『必ず肥の国の大将の命に従う』ことである。



「ただ待つだけとは歯がゆいな、そうは思わんか籐源太」と三井三郎がいう。

「いえいえ、言質を違えて恩賞得られないどころか、少弐に目をつけられたら竹崎郷に居場所がなくなります」

「それもそうだが、やはり歯がゆいな」五郎の郎党たちも意見が分かれていた。


 このとき五郎は思った、ならば肥の大将から言質さえ得られれば自由に動けるのではないだろうか。特に先に駆けた一門が『言質』を違えたのならそれは肥後の先懸にならない。ここで大将から許しを得られれば、武士としての先懸の誉を得られるのではなかろうか。


「どうした五郎?」


「皆の者、大将少弐殿にお会いして、肥後の国の先懸を申してから我らで打って出ようと思う」



 竹崎五郎は一世一代の賭けに出る。

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