第2話 クマ殺しの五郎

 

 1274年11月18日(文永11年10月19日)。北九州筑前国、博多。


 博多湾は志賀島とそこから伸びる海の中道によって外の荒波から守られた、とても穏やかな湾となっている。その湾の周囲を囲むように山々が軒を連ねて、長い年月をかけてこの山々から土砂が湾へと流れることで、深い入り江は遠浅になり、干潟になり、ついに人が住みやすい平地となる。


 博多は貿易によって発展した。穏やかな湾に大陸からの大型船が停泊し、この貿易船と交易をする事で博多の町は――いや、この湾全体が利益を享受していた。





 肌寒くなり秋の紅葉が色付き自然界が冬への備えを始める頃、本来なら閑散とした静かな山道を御家人の一行が進んでいた。


 『〈帝国〉が侵攻してきた』約十日前にその知らせは九州全土に瞬く間に伝わり、各地から武装した御家人とその郎党たちが列をなして博多を目指した。


 江田「又太郎」秀家ひでいえもそんな御家人たちの一人だ。彼は一門五十名を従えて博多を目指していた。


 彼らは装備もまちまちで全員が同じ装備という訳ではなかった。又太郎は大鎧という鉄の札に紐を通した耐矢性高い防具を身に纏っている。あまりに重いので馬に乗って移動する。大鎧は貴重な鉄を大量に使うのでとても高価であり、馬に乗らないといけない都合からこの一行では又太郎のみである。他の兵たちは腹巻という簡素で軽量な鎧を着て徒歩で行軍している。この徒歩の兵たちは半数以上が弓を携え、残りは薙刀や刀などの武器を携帯している。その中で一番目をみはるのが垣楯と呼ばれる人と同じぐらいの大きさの楯を担いでいる事だろう。


「まったくまだ着かんのかのぅ」と江田又太郎が愚痴る。

「先ほどからそればかり言っていますよ」又太郎が連れてきた若者がたしなめる。

「じゃがのぅ、焼米と違うて、ワシももう年じゃから、この戦いを最後に隠居するつもりじゃ」

「ははは、隠居できると思っておられるのですか?」

「世知辛いのぅ、ほんと世知辛いのぅ」


 二人は、いやこの一行は生きて故郷に帰れると思っていない。大陸を席巻する強大な〈帝国〉、その数万もの軍勢が博多にくる。そのような噂が数年前から九州全土で囁かれていた。


 戦準備をしてからこの博多に来るまでに十日もかからないが、十万前後の兵に支給する食糧を集めるのに十日では無理だった。この少ない日数では多くて千騎程度しか養えない。万の軍勢にたったの千騎で迎えうつ。初日の全滅はすでに既定路線と化していた。ゆえに江田氏も老体である江田又太郎と庶流である焼米五郎そして引き連れた郎党たちも次男三男あるいは老兵が向かうことになった。

 この戦に参戦する者のほとんどが恩賞目当ての無足人か、あるいは一門のはみだし者だった。


「博多はまだかのぅ」

「博多の前に先ずは大宰府ですよ」

「おおそうじゃった、そうじゃった。大宰府はまだかのぅ」


 江田一行が山道を歩いていると、山影から黒い影がゆっくりと近づいてきていた。そして一向に襲い掛かる。


「うわぁぁっ――っ!?」


 森の陰から現れた巨大な獣は一番近くにいた男に覆いかぶさった。その突然の出来事に周囲は驚き逃げ出す。そして叫ぶ。


「く、クマだ! クマがでたぞぉ!」

「なんじゃと!?」

 二人が振り向くと巨大なクマが郎党の一人に襲い掛かった。辛うじて垣楯で防いでいる状態だ。

「た、助け――っ」


 江田又太郎は得物である弓で倒そうとするが、乗っていた馬が目の前のクマに驚いて暴れる。

「ええぃ、鎮まらぬか」

 




 ――――





 悲鳴が聞こえた。確かに聞こえた。ならば駆けつけるべきだろう。


 一人の武者がその混沌とした現場へとむかった。群青色の鎧直垂に緑糸の大鎧を着こむ武者が、片手には人の背丈ほどある大弓を携える。重厚な大鎧を着こんだ武者を乗せてもものともせずに黒馬が山道を難なく走り回る。

 重装弓騎兵、この時代の武士たちの戦姿である。


「はっ、はっ!」


 武士の一団が見えた。そしてその中央にいる巨大なクマが楯持ちを襲っている。


 心臓の音が跳ねあがる。


 大きく息を吸って声をあげた。


「押して参る!」


 その声に武士たちが振り向く。誰かが言う。


「騎兵だ、重騎兵が突っ切る、道を空けねば踏みつぶされるぞ!」


 クマを遠巻きに囲んでいた一行が左右に分かれた。


 五郎は獣へ向かってかけ進む。その心は躍動していた。巨大な獲物を前にして奮い立たない武士はいない。とくに御家人と呼ばれる彼らは「弓箭の道」と称して鍛錬に明け暮れる生まれながらの武人だ。


 人馬一体となって一気に距離を縮める。


 得物である弓を引く。


 馬はクマのすぐ横をすれ違うように駆ける。


 彼ら弓騎兵の戦い方は分かりやすい。常に左側に獲物が来るように立ち回り、そして至近距離から射抜く。


 すぐ真横まで近づいた時、蹄の音に反応して熊が顔を上げた。


 獲物と目が合う。


「はっ!」


 去り際に放たれた矢がクマの頭蓋骨を貫いた。


「――ガッ……」


 その巨体が倒れ込む。


「おおぉぉ!!」周囲の武士たちが歓声を上げる。


 馬を駆り弓でもって的を射る。それを目撃したすべての武士を魅了した。これぞ鎌倉武士だ。


 江田又太郎は流鏑馬に通じる一連の騎射に感心した。


「見事じゃ。そこの者。ワシは江田『又太郎』秀家と申す。そちらはどこの者か?」


 駆けて行った武者が戻ってきて答える。


「ご同門でしたか。拙者は竹崎郷の『五郎』季長と申す」



 彼は竹崎「五郎」季長、この時代の普通の御家人であり、のちに数奇な運命をたどる武士でもある。



「おお、おお、竹崎郷のせがれか! となると川下の連中も馳せ参じたのだな」


 そう言われて五郎はやや顔を渋った。


「それが川下の菊池では拙者を含めて五騎しか来ていません」

「なんじゃと!? ワシらだって五十名は連れてきておる。お主ら川下の連中ならもっと大勢を連れてこれるじゃろうて」

「それなのですが――」

「おおーい、五郎大丈夫か!」そこへ竹崎五郎の郎党たち四騎が遅れながらやってきた。

「義兄上、大宰府から要請のあったクマを討ち取りました」

「見事だ。さすが五郎だな」

「お主はもしや長門国三井の者か」

「いかにも三井『三郎』資長すけながでございます。確か江田氏の方でしたな」


 そう答えたのは竹崎五郎の姉婿であり、この戦に義弟と共に参戦した三井「三郎」資長だった。彼も竹崎五郎と同じく緑糸の大鎧を着ていた。


 それぞれが名乗りあい。そのまま目的地である博多を目指した。クマを担いで――。


 又太郎はその途中で五郎たちの話を聞いた。


「拙者らは少数なので早々に大宰府に着いたのですが、近くでクマが出没すると噂になり、ここ数日は周囲を警戒していたのです」と竹崎五郎がいう。

「なるほどの、冬支度の最中に山道を歩いたらそりゃ襲われるわな」


 江田又太郎は倒したクマを見ながらそう言う。


「――それで如何様な理由で川下の連中は参陣を渋るのじゃ」

「今度の敵である〈帝国〉は遠く海を越えてやってくるといいます。それならば菊池川のつまり内海に現れないとも限りません。そのため御家人、郎党そのほとんどが海岸の警備にあたっています」


 竹崎五郎の住まう竹崎郷とは菊池川の川下である天水町竹崎郷になる。その目と鼻の先には有明海が見渡せて、多少であるが大陸との貿易も行っている。


「なんという、確かにその可能性はあるじゃろうが、それはただのいい訳ではないか?」とはいえ、そのほとんどが干潟であり、とても大軍が上陸するような場所ではなかった。


 五郎はまたしても眉間にしわを寄せながら答える。


「その通りです。できるだけ兵力を温存するための方便でしかありませぬ。しかし一切兵を出さないのも体面が悪いので庶子である拙者が派遣されました」

「拙者はこの五郎の姉婿に当たりまするが、長門国の三井一門の意向もあり義弟と共に出陣することになりました」

「うんうん、どこも世知辛いのぅ」


 山通を抜けると博多より南にある大宰府に着いた。


「なんとこりゃたまげたわい」

「これすべてが兵糧でしょうか」


 江田たち一同が驚く。それもそのはずで大宰府の郊外には九州中から戦に必要な物資がかき集められていた。それはまさに山のように高く積まれた米俵、針山の如き束となった矢、砦と見間違うほどに垣楯が並んでいた。

 家畜たちの独特なにおいが鼻を通る。これら物資を運ぶために数百の馬と数千の牛が急ごしらえの厩舎に押し込められている。そして家畜を養うためにこれまた山の様な干し草が大宰府の外にいくつもできていた。

 五郎はそれを見て初日に来た自分たちの姿を重ねる。


「いま大宰府は兵糧拠点として武器や食糧から家畜用の干し草まで運び込まれています。これらが大宰府から今度は川船で運ばれて住吉神社や筥崎宮へと送られるのです」

「ほう、やはり最後には寺に集まるのじゃな」


 重要な街道や都市には必ずと言っていいほど神社仏閣があり、有事にはその広い境内を軍事として活用することが慣例となっていた。大宰府や博多の町もその例にもれず物資を運び込んで広い境内に貯蔵していた。

 博多の町の北東には筥崎宮、そして南には住吉神社がある。この二か所を中心に軍事行動をすることになっていた。


「殿さすがにクマを担いで大宰府入りは如何かと思います」焼米五郎が討ち取ったクマを指して言う。

「……とりあえず飯にでもするかのぅ」

「おおぅ、肉だ肉だ」と郎党たちが賛同する。

「待て待て、討ち取ったのは竹崎じゃ、どうするかのぅ?」


 そう聞かれて五郎はクマの方を見る。

「……討ち取った獲物を食さないのは武士に非ず。皆で食べましょう!」

 そう言い切ると郎党たちが待ってましたと言わんばかりにクマをさばいていく。

「よく言った。それでこそ武士じゃ。がははは」


 そう言って、彼らは大宰府に流れる川辺で食事を始めるのだった。



 文永11年10月19日、彼らはまだ知らない。翌20日に「文永の役」と呼ばれる合戦が博多で始まることを、まだ知らない。

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