八章四話

 翌々日、二人は雲井城を出て六条家の所領へ向かった。最近までその病が無かったという土地である。さすがに汰羽羅随一の武力を誇るだけあって、所領の海域を警備する軍船の大きさは桐生とは比べ物にならない。六条家の居城である白溝城の堀は深く、四方を見渡せる天守閣の威容は遠目にも伝わるほどであった。

 二人を出迎えたのは六条藤治だった。彼の背後には元傅役の生駒成久という男が控えていた。六条は二人を二の丸にある屋敷に案内した。それからすぐに流行病について詳しい情報をまとめた冊子を真奏に渡す。それに目を通した真奏は首を傾げていた。

「この病、今のところは白島という島からは広がっていないようですね」

「父上の厳命で限られた者以外は出入りを禁じられているからだろう」

「そういうことですか。……髪や肌が白くなる病とのことですが、この目で見てみないことにはどうにも判断致しかねます」

 広い板張りの部屋の上座に座った六条は、厳しい表情で言う。

「つまり島に向かわせろと?」

 真奏は迷わずに頷く。父上に掛け合ってくると言い、六条は生駒を連れて立ち去った。それから少しして戻って来た彼は、真奏と河野を船に乗せて件の島まで連れて行くと言った。

 白島は六条家の所領の最南端に当たる離れ小島である。遠目にも分かるほど見事な草木の生い茂った島だった。生駒曰く、農業の盛んな島だという。船着き場から最も近い村に案内されることが決まり、真奏は河野と案内役とともに船を降りた。

 様子を見に行った村では身体を壊した者は、皆、肌の一部が白くなり、髪は若者も子どもも老人のように白い。何度も繰り返し嘔吐し、水を飲んだり食事を摂る余裕すらないように見受けられる。真奏はその様子を遠巻きに見ながら眉一つ動かさなかった。船から同行している案内役は重々しい声で言う。

「島中がこの有り様でございます。特に川沿いの村は酷く、毎日のように死人が出ておりまする。一番初めにこの病が出たのも川沿いの村でございました」

 口と鼻を布で覆った真奏は自分のおとがいに少し触れて首を傾げた。そのまま周囲をぐるりと見回し、村の雑木林へと足を踏み入れる。河野がその背中を追うと、若き主は木の幹に触れて呆然としていた。河野もその木を見てみれば、根元に近い部分が銀色になっている。青々としているべき葉も葉脈に沿って白斑が生まれていた。明らかに自然とは言えない状態に河野は言葉を失う。木の幹に触れていた真奏は河野に声をかけた。

「利昌、川に行こう。何となく原因の想像がついたがきちんとした材料がほしい。水を持ち帰る」

「川沿いに被害が集中していると案内役は申していたではありませんか」

「だからこそ。これは予想だが、恐らくただの流行病ではない」

「では一体……」

「それを突き止める。病なら薬を作り、病でなければ原因を取り除く。さすれば民と島を守ることが出来るはず」

 真奏はそう言って飲水を入れていた竹筒の中身を飲み干す。空になったそれを片手に川に向かって歩くので、河野は追いかける他なかった。

 その後、真奏は数日だけ白溝城に留まってから違う土地へ向かった。そこでも同じような状況だったが、白島よりもさらに悲惨だった。死体の処理が追いつかず、村のあちらこちらに筵をかけた死体が転がっている。夜は野犬が、昼は野鳥が死体につられてやって来るが、村人は誰一人対処出来ていなかった。

 真奏はそこでも川の水と湖の水を入手し、ついでに島の近海でも水を竹筒に流し込んだ。

 しばらく雲井城の屋敷で何かを調べていた真奏は、また白島に向かった。そして今度は土を集め始めた。おかげでしばらくの間、二人は土集めの旅をすることになる。土を集めては何かを調べる真奏は時折寝食を忘れるので、それを思い出させるのが河野の仕事だった。

 それから一ヶ月が経過して、真奏は河野を伴い、再び六条の所領を訪ねた。訳あって逗留していた親久に、六条の家臣団を集めるように頼む。その間に河野にとある薬を買い求めるように言って、彼女はまた机に向かった。

 翌日、六条の当主とその家臣団、親久の随従が大広間に集まった。その場で真奏は全ての謎を解き明かした。

「病の原因はこの薬です」

 真奏が見せたのは牙月から買っている虫を殺す薬だった。親久は唖然としてその小瓶を見つめる。六条家の家臣団も当主もあんぐりと口を開けた。

「この薬は牙月では非常に有効な薬でしたが、牙月と汰羽羅では土の質や育てている作物が異なります。それをそのまま汰羽羅の土地で使ったのが原因だったのでしょう。作物や水、魚にとっての毒になり、それを口にした人間が病に罹ったように見えたのです。そして六条家の所領では白島以外にこの状況が見られないのは、白島以外ではこの薬を用いていないからと考えるのが自然です」

「つまり、病ではないと?」

「左様でございますが、薬の影響がいつまで続くか判断できませぬ。既にあの島を含め、多くの島や村で大きな被害が出ております。無視できない状況です。加えて牙月との交易を理由とする値崩れ、作物の不作も相まって汰羽羅全体が不安定になっているように感じています」

「真奏よ、この薬を作ったのは牙月ではなく、その背後にいるフラッゼとか言う国だ」

「北方に位置する大国でございますね。それがいかがなされましたか?」

「いや、どうしたものかと思ってな?」

 そう言って不敵に笑った親久は、この世のものではないように見えた。

 数日後、まだ六条の城に逗留していた二人のもとを六条が訪ねた。

「父上があの島を焼くと仰せになった。役に立たぬなら燃やしてしまえと。井戸も川も駄目で、年貢も取れぬならどうにもならぬゆえと……」

 若き次期当主は苦悶の表情を浮かべていた。河野も真奏も愕然として目を見開く。賢明な現当主がそんな暴挙に出るとは思ってもいなかった。

「父上を止めたい。助太刀してくれるか?」

 彼の言葉に真奏はうなずいたが、結局間に合わなかった。船足の速い軍船で向かわれては追いつくこともできなかった。追いついたときには島の緑は燃えていた。

 焼き討ちには真奏が作ったあの弩も使われた。火薬を詰めた包みを投げつけてそれに向かって弩で火矢を射掛けると、あっという間にその場に火の海が出来る。その様子を船から見ていた六条は、掠れた声を発した。

「あの島には、墓がある」

 真奏は首を傾げる。

「六条家が先祖代々守ってきた墓だ。これだけ燃え広がれば、たとえ石造りの墓でも無事では済むまい。時には何かを捨てねばならぬとしても、この仕打ちは許せぬ……!」

「許せぬと申されますと?」

「焼き討ちの御下知は雲井からだと聞いた」

 雲井とは相良家を指す言葉である。それを聞いて真奏の目が暗い光を湛えた。

「御屋形様が斯様な仕打ちをなされるとは思わなかった。死者の尊厳を傷つけるなど武士にあるまじき外道の業ぞ……!」

 強く帆柱を叩いた六条に生駒が語りかける。

「若様、お言葉にはお気をつけなさいませ」

「成久、そなたが一度は仕えた兄上もあの島に眠っているのだぞ! 悔しいとは思わぬのか!」

「思いまする。しかしながら某が案じておりますのは若様の御身。御家を大事に思われるなら、どうかお言葉にはお気をつけなさいませ」

 六条は顔を歪め、唇を噛み締め、その場に膝をついた。

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