四章二話

 翌朝、イーケンとアルン、朱真は怒鳴り声で目を覚ました。目を向けた方向には汰羽羅の武士が二人いる。何か言っているようだが、訛りのある汰羽羅語だ。ただでさえ難解な言語は余計に分かりにくい。アルンは鉄格子に近寄り、その二人の男の目の前に立った。

「ここはフラッゼ神王国の国土だ。私達に用があるならフラッゼ語で話せ! その訛りの強い磯臭い言葉はここじゃ通じない!」

 訛りが無く、文法も単語も完璧な汰羽羅語を聞いて男達は顔を真っ赤にする。片方が鉄格子の隙間から手を突っ込んでアルンの髪を掴み、もう片方がいくつか言葉を投げつけた。それを聞き終える前にアルンは髪を掴んだ男の手首をへし折る。絶叫した相方の代わりにもう一人がアルンの顔を殴ろうとしたが、それをかわしてアルンは鉄格子の間から強烈な突きをみぞおちに叩き込んだ。揺らいだ相手の襟首を引っ掴んで頭を鉄格子に叩きつけさせる。相手が鼻と口から出血してもアルンは全く構わずに同じことを続けた。

 騒ぎを聞きつけて他の者が集まり始めた。状況を見てアルンが主犯だと理解したようで、鉄格子の戸が開く。複数の男がアルンの後頭部を強く殴って床に倒す。その状態で手足を拘束。向かいの独房に銀髪の天竜乗りを放り込んだ。

「おい、女!」

 独房に入り込んだ一人が癖のあるフラッゼ語で声をかける。アルンの頭を足で踏みつけ、白い顔を冷たい石の床に押し付けた。

「死ぬより辛い思いをしたくないなら大人しくしろ!」

「高圧的に吠えて威嚇することしかできないのか。猟犬の方がまだ賢い」

 すると別の黒い袴の男がアルンの前にかがみ込む。次の瞬間、自由なままだったアルンの右手が黒い袴の男の足首を掴んで引きずり倒した。それを見て頭を踏んでいた男がさらに体重をかける。

「頭が割れてもいいのか?!」

「割れるもんなら割ってみろ!」

 アルンは叫んだ瞬間に自分の頭を踏んでいた足を浮かせて飛び起きた。飛び起きた勢いを使って体勢を崩した相手を壁に突き飛ばす。黒い袴の方の背中を踏んで独房から脱走しようとする素振りを見せると、慌てて数人がアルンを取り押さえた。アルンは取り押さえらたままイーケンと目を合わせて小さくうなずいた。実はこれは脱出作戦の第一段階。ここから彼らは脱出に向けて動き出す。

 最終的にアルンは再び独房に叩き込まれた。今度は武装した監視役付きという豪華な待遇である。朱真は昨日に引き続いて拷問にかけられ、イーケンは別室にて河野に尋問されることになった。


「座れ」

 指示されたのと同時にイーケンの目隠しが取られる。眩しさに目を細めながら目の前の貧相な椅子に腰かけた。両手は後ろでまとめられ、両足は縄で椅子の足に固定される。しばらくすると部屋に河野が入って来た。今日はフラッゼの服ではなく着物を着ている。入室の際に数人の男達が河野様、と呼ぶのを聞いたイーケンが

「貴様が河野利昌か。文面で名前は見ていたが、まさか本人とは思わなんだ」

 と言えば、態度が気に食わなかったらしい後ろにいた男に殴られた。

「貴様はフラッゼ神王国海軍本部の第三艦隊海兵隊大尉で、イーケン・トランシアルというそうだな」

 イーケンの目の前に座り、河野はそう言った。身分を証明できるようなものは一切身に付けぬようアルンに厳しく言われたので、そういう類のものは持っていないはずだ。軍服も着ておらず、支給品も全て白苑のいる屋敷に置いてきた。なぜ把握できたのか分からずに混乱していると、河野が問いかける。

「情報網のおかげだ。ついでにその目立つ容姿も呪っておくがいい」

「なるほど、そういうことか。ここから出たら一番に上層部の内通を告発しよう」

 肩を竦めて言い返しても河野は何も答えない。否定も肯定もしないが、その態度をイーケンは肯定だと解釈する。

「その情報網とやらの通り、俺は女王陛下より天竜旗を賜った神王国海軍士官だ。それで要求は? わざわざこうして顔を突き合わせるということは、何かしら俺に要求があるのだろう?」

「我らに貴様の持つ情報を全て吐いてから殺されろ」

「俺の持つ海軍の情報など大したことはない。その情報網に頼った方が早いと思うが?」

 すると河野は首を横に振った。机に両肘をついて組んだ両手の上に顎を乗せる。

「知りたいのは貴様の背後に誰がいるか、だ。ただの海軍士官の力だけでここまで漕ぎ着けられるはずがない。そしてあの銀髪の娘の素性も吐け」

「俺の背後に誰がいるかを知ってどうする?」

「殺す」

 河野の言葉を流し、イーケンは河野の背後の壁を見つめた。その壁が光に照らされている。どうやらこの部屋には窓があって、イーケンはその窓に対して背を向けているらしい。壁を照らす光の色調を見ておおよその時間帯を予測しようとしたが、窓の付近には何かしら遮蔽物があるようで窓から射し込む日の光はわずかだった。しかし明らかに室温は高い。イーケンも河野も首筋にじんわりと汗をかいていた。

(地下から連れ出されて階段を使い、一度外に出た。それから昇降は一切無かった。つまり、この部屋は恐らく一階にある)

 靴の底についていた砂が黒い床に落ちている。色味がただの砂ではなく明らかに砂浜の砂だが、これは砂浜から離れた軍港や市街地には飛んで来ない。

(外を歩かされたときに靴についたとすればここは砂浜に近い。河野に出くわしたのとはまた少し違う場所だ。あの辺りからさらに南に行くはず。ならば近くに商船用の港があり、脱出して港に向かえば海軍の保護を受けられる可能性があるな)

 そこまで考えていたときに、また強く殴られる。口の中を切ってしまい、鉄臭い味が口内に広まった。

「話を聞いているのか? 貴様の背後には誰がいるのかと聞いている。早く答えろ」

 後ろからの声にイーケンは悠然と応じる。

「窓を開けてくれ。暑くてたまらん」

「河野様、いかが致しますか?」

 河野は目線でそうしろと合図して、その数秒後に窓が開いた。その直後にゲエゲエという鳥の鳴き声が聞こえる。さらにカンカン、カンカンという鐘の音も耳に入った。それらの情報を総合して揺るぎない確信を得る。

(あの声は昼にしか鳴かない海鳥だ。だから今は昼間。そしてあの鐘は商船用の港に船が入港する合図。間違いない。港が近い)

「で、貴様を動かしたのは誰だ。朱真がいるということは主の史門は確実にいるな? その主の白苑は?」

「白苑殿下はいらっしゃらない。殿下は牙月帝国の皇帝陛下の弟君だ。簡単に自国を離れられるはずが無かろう」

「白苑の一行がフラッゼに入ったと報告がある。隠しても無駄だ。居場所を言え」

「知らないものは知らない」

 イーケンは同じ質問に対して知らぬ存ぜぬを貫いた。何度殴られてもその態度は揺るがず、やがて河野は諦めて違うことを聞き始める。

「貴様、地下通路にいたな?」

「ああ、いた。それは認める」

「そこで見たことを誰に伝えた? 今この国では誰が追求のために動いている?」

「誰にも伝えていない。俺が地下通路に向かうよりも前に動いていた者達がいる。言ったところで貴様らにどうこうできる相手ではないだろう。貴様ら全員返り討ちに遭うか、さもなくば拷問にかけられて終わりだ」

「何者だ?」

「天竜乗り」

 その返答を受けた河野は怪訝そうな表情でイーケンに問い返した。

「何だ、それは」

「建国神話の登場人物だ。伝説の叡智の生き物である天竜と、人々との橋渡し役となったと言われる幻の一族」

 すると、河野は突然机を叩いた。イーケンはそれを見ながら首の骨を鳴らす。

「伝説の中の幻の一族が実在するだと? ふざけているのか?」

 イーケンの襟首を締め上げ、河野は叫ぶ。明らかに落ち着きを無くしている。

「痛みを知らないと真面目に答えられないと言うなら、死が喜びとなるような苦痛を与えてやる! 貴様の家族を貴様の目の前で痛めつけてやるのもいいな!」

「俺に家族はいない。両親は子どもの頃に俺と弟を庇って死に、その弟ももういない。育ての親も流行り病で死んだ。嫁はもらってないから子もいない」

 淡々と答えるが、河野の様子はまだおかしいままだ。

「では貴様の友を!」

「国中に散らばっているから探すのには労力がかかる。止めておけ」

 やけに落ち着いたイーケンに業を煮やしたのか、河野はついに刀を抜いた。白銀の刃を鼻先に突き出されてもイーケンは動揺しない。

「もう一度聞く。誰が調べていた?」

 河野の放つ覇気に押し負けず、再度同じ答えを告げた。

「天竜乗りだ」

 その答えを受けて河野は刀を鞘に収める。そして部下達に汰羽羅語で何か指示を出した。聞き取れないうえに意味も理解できない。言葉が分からないことの不自由さを噛み締めながら待っていると彼らは全員部屋から立ち去った。

 どれほど時間が立ったのかは分からないが、昼に鳴く海鳥の声が聞こえなくなった。室内も暗くなり始め、夕方から夜にかけて鳴く海鳥の声が耳に入る。椅子にくくりつけられている足首と、後ろでひとまとめにされている手が痛くなってきた。そう感じたときに部屋の扉が開き、男達が四人ほど入ってくる。するとイーケンに目隠しをさせて足首の縄を解いてから腕を掴んで立たされた。

 目隠しが外されると、そこは元の地下牢であった。アルンは冷たいはずの床でのうのうと眠っており、同じく横たわっている朱真は腕と足に包帯を巻かれている。今日も相当ひどくやられたのか、全身がぼろぼろだ。

(俺の第三艦隊にいる将校が連中の協力者だ。それが分かった)

 フラッゼ神王国海軍本部には第一から第十までの十の艦隊が存在する。各艦隊につき一人の大将がおり、その大将を艦隊長としている。その下に中将、少将、佐官、尉官と将校がいるのだ。他艦隊の人間が第三艦隊にいるイーケンの名前と顔を一致させることは不可能に近い。だが、第三艦隊にいる者ならばそれが可能だろう。

 さらにこの場所を知っているのは一部の将校に限られる。ここが総本営を退避させるための場所として整備されていた十年ほど前に、少将以上の階級にいた者でなければ情報を持っているはずがない。そしてその条件から導き出される男は、イーケンの知る限りではたった一人。

(ルオレ閣下、あなたが協力者なのですね)

 目を伏せて天井を仰ぐと、見えるはずのない真夏の青空が脳裏に蘇った。

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