三章四話

 一行は店を出て街の外れの方へと向かう。人気が少ない閑散とした通りが近づくと、アルンが馬の足を止めた。そこで下馬すると、二人にも同じようにしろと仕草で伝える。適当な柱に手綱を結びつけたアルンは腰に手を当てながら周囲を見渡した。

「このあたりは以前、区画整備の関係で住人を退去させたものの計画が頓挫。空き家がほとんどですし、仮に誰かが住んでいたとしても恐らく普通の人間ではありません。何かを隠れてやるには絶好の場所です」

「それなりに範囲が広そうだが、どうやって見つけるんだ?」

 朱真の言葉にアルンは王都の地図を取り出した。その地図を見てイーケンは首を傾げる。彼が目にしたことのある地図とは違って恐ろしく詳細なものだった。細い裏道や地下水路、果ては下水の水路まで描かれている。

「範囲は大したことはありません。南側は海ですしね」

 言い切ってから指で範囲を示す。朱真は顎を手でなぞり、目を細めた。

「もしも河野の一党と出会したらどうする? 俺ァ顔が割れてるぜ?」

「逃げてください」

 アルンはキッパリと言い放ち、今度は小さな笛を二つ取り出す。木で出来た笛は小指ほどの大きさで、それをイーケンと朱真に渡した。

「上手くまけたら、これを吹いて知らせてください」

「何だ、これは?」

「鳥の鳴き声を模した音の鳴る笛です」

 紐が付いていて首から下げられるようになっているらしい。アルンは自分の笛を服の内側から取り出して摘んで見せた。

「で? これはどう使うんだ?」

 イーケンの素朴な問いに朱真も頷く。連絡手段があっても使い方を決めなければ意味がない。

「それらしき人物を発見したら一回。建物ならば二回。襲われて逃げ切ったら三回吹くことにしましょう」

「鳥の鳴き声を真似してんだろ? そんなの使って本物と聞き間違えねえのか?」

 朱真に聞かれてアルンはニヤリとした。頭上を旋回する鳥が甲高い声で鳴く。

「この街の鳥は高い声で鳴く種類がほとんどですが、この笛はもっと低い音をさせます。聞き分けはつきますか?」

「つく。それじゃあ、俺は東側から行くぞ」

 そう言って朱真は颯爽と東側へと向かう。イーケンは西側、アルンは北側からの捜索を開始した。

 歩き出したイーケンは、嫌な思いを飲み下して顔をしかめる。

(海軍上層部が関与している可能性を考えると、隠れ家を用意していることも十分に考えられる。このあたりなら海軍本部が近い。隠れ家には過去に作戦本部を移すために用意された建物を使うかもしれないな)

 海軍本部は戦時には総本営と呼ばれる。現場での最高責任者が誰であれ、総大将は海軍元帥であり海軍元帥のいる海軍本部が総本営になるのだ。そして海軍本部が危険に晒されたとき、海軍本部は移動する。そのための建物は数年に一度変更され、一度移動先とされたところは二度と移動先とされない。加えてその位置情報を知るのは海軍の一握りの将官達のみだ。

 胸に広がる苦いものを無視して歩いて行く。もしも過去に作戦本部を移すために用意された建物が使われているならば、海軍上層部の関わりは決定的だ。それもただの上層部ではなく、イーケンにとっては先達にあたる将官。信じたくないという思いがあっても、突きつけられる現実からは逃げられない。重い歩みを止めて風で風化し始めた家々の壁を見ていると、背後から声をかけられた。

「もし、そこのお方」

 イーケンはゆっくりと振り向く。そこには黒髪黒目の男が立っていた。腕を組み、いやに落ち着いた様子だ。歳の頃は四十を少し越えたくらいだろうか。目元には数本の細い皺が刻まれている。若くはないが引き締まった身体をフラッゼの衣服に包んでいる。

「このあたりでは、お見かけしないお顔だと思いましてな」

 わずかに南の方の訛りがある。フラッゼの国土の南はほとんどが海だが、いくつか島が点在する。それを思い出してそのあたりの出身者かとイーケンは睨んだ。

「何せ住んでいる人間が少ないものですから、見かけぬ顔は目につくのですよ」

 さらりと言った男は周囲をぐるりと見回す。

「して、ここで何をしておいでですかな?」

「実は飼い猫がいなくなってしまいまして、このあたりまで来ていないかと探しているところです」

 イーケンはさらりと嘘をついた。

「おや、それは一大事。お手伝い致しましょう」

 男はそう言って一歩踏み出す。その動作は独特で、見たことのない体重移動をしていた。どこかで似たような動きを見た気がするが、ハッキリと思い出せない。だが動きから見て武人のはずだ。それを裏付けるように彼の手は武器を握る者のそれである。

「どんな猫ですか?」

「黒い毛で大きめの猫です」

 男の背中を見ながら歩く。まだ思い出せない。

「私の主も似たような猫を飼っておられます。これがまた私には懐かなくて、主にお会いするたびにその猫には引っ掻かれるのですよ」

 くつくつと喉の奥で男は笑い、さらに歩みを進めた。同じ手と足が出ている。明らかに妙な仕草だ。

「どちらのご出身ですか?」

 イーケンが問いかけると男は振り向いて穏やかな笑みを見せる。

「なぜそんなことを?」

「いえ、このあたりでは聞かぬ癖が目立つと思いまして」

「お恥ずかしい。そんなに目立っておりますか」

 上品に笑った男は質問に答えない。はぐらかして歩き続ける。イーケンは一定の距離を保ち、いつでも抜刀出来るように長い上着の下に隠した刀の場所を確かめた。学者風の出で立ちを選んだのは服の下に武器を隠せるからだ。

「猫は良いものですか?」

「そうですね。気まぐれですが、そこが良い」

 土色の壁の建物の間を進む男の足取りに迷いは無い。歩いている道は一見迷路のように思えるが、よく見るとある程度の規則性がある。

(入り組んだ狭い道。大人数が一挙に押し寄せられない。さらに似たような建物が複数あって特定が困難。本部を移すには絶好の立地だ)

 イーケンは細い路地に入ったところでふと目線を上げた。

「どうされました?」

 男は振り返り、イーケンはハッとする。脳裏に、細い路地に追い込んだ蜂谷公康の姿が鮮やかに蘇った。

(この男、汰羽羅の者か!)

 思わず息を詰めたが、それは態度に出さない。

 この国に汰羽羅の人間が来ることは少ない。商人の取引でも牙月が中継に入るため、直接的なやり取りは少ないと聞く。元々只者ではなかろうと思っていたが、武人となれば警戒の必要が出てくる。

「いえ、何でもありません。お気になさらず」

 イーケンはそう答えて再び歩き始めた。

「実は今、私は困っているのですよ」

 男はゆったりと言って、上着の袖が風で膨らんだ。

「来るはずだった手紙が来ないのです。今日には届いているはずだったのですがねえ。別口で送られたものが届いたので問題は無いのですが、その使いをしていた者の行方が知れないのですよ」

(蜂谷公康のことか?)

 一瞬緊張して男を見つめる。だがイーケンの素性までは割れていないはずだ。

「恐らく何らかの問題が起きたのでしょう。何か、ご存知ありませんか?」

 イーケンは首を横に振った。すると男は怪しく首を傾げる。

「おかしい。あなたはご存知のはずだ。嘘は良くないと言われたことはありませんかな?」

 眼前に近づいて来た男の目は瞳孔が開ききっていて、イーケンの背中に嫌なものが走った。後退ったのも虚しく、右の手首を掴まれる。

「何のことかさっぱりですな」

 表情を崩さずに答えても男は全く動じない。

「知らぬ存ぜぬで通すか。ならばこちらに聞いた方が早いかな?」

 男はそう言って、短刀をイーケンの手首に押し付けた。むき出しの刃の感触にイーケンの頭が冷えていく。

「私はいち学者。身体に何か問うたところで答えなぞ出ては来ませんぞ」

「蜂谷公康を殺したな?」

 男の声は恐ろしいほど冷たい。地獄の底から聞こえるような声で、ざわざわとイーケンの鼓膜を揺さぶった。潮風が人気の無い空間を駆け抜ける。

「蜂谷と同行していた者が貴様のような男を見たと言うておる。黒髪に珍しい薄青と焦げ茶の目。背格好は私と同じくらいで、帯刀している若い男だと」

「だからどうしろと?」

「同胞を殺したな?」

 これまた地獄の悪鬼のような声音で、殺気を孕んでいた。そしてイーケンは直感する。この男は、場合によってはイーケンを殺すつもりだと。容姿まで割れているのなら諦めるしかあるまいと、イーケンは潔く返答した。

「そちらは他人の国に害ある薬を持ち込もうとしたではないか。それにあれは自害だ。俺は何もしておらん。勝手に腹を切って勝手に死んだだけのことよ」

 周囲に複数人の気配がある。気が付かぬ間に誘い込まれて包囲されていたらしい。

「そのきっかけを作ったのは貴様だ。ならば貴様が殺したも同義! 他の二人にも既にこちらが捜索している。銀髪の娘と、朱真とかいう牙月人で合っているだろう?」

 イーケンは毅然と顔を上げてその言葉に応じた。

「何やら、こちらのことをよく知っているようだな。貴様は何者だ」

「教える必要があるか? 情報を取るだけ取ったら、貴様は海の底行きぞ。ああ、銀髪の娘はなぐさみものとするのも悪くないだろうな」

「仮にそうしたとて、あの女は男の首を掻き切って逃げるだろうな。血の泡を吹いて死にたいのならやってみるといい」

 すると男の顔が醜悪に歪む。そして聞いたことのない言葉で何かを吐き捨てるように言い、イーケンのみぞおちが強打される。意識は果てしない暗闇に落ちて行った。


 イーケンの意識を引き戻したのは、人のうめき声だった。硬く冷たい床に横たえられていることに気がつき、そっと身体を起こす。断続的に低いうめき声が響いていた。

「おはようございます」

 冷ややかな声に目を動かすと、すぐ近くにアルンがいた。唇の端が切れ、顔にあざが出来ている。服に血が付着しているが、特に傷らしい傷は見当たらない。

「大丈夫か?」

「この程度大したことはありません。問題は朱真殿です。このうめき声、朱真殿の声ですよ」

 冷たい壁に反響するうめき声に混ざり、汰羽羅語と思しき言葉も複数聞こえている。

「拷問か?」

「分かりませんが、その可能性が高いと思います。汰羽羅にとっては侵略者の一味ですから。私が迂闊でした」

「そんなことを言っている場合じゃないだろう。どうするんだ?」

「どうにもなりません。でもすぐには殺されはしないと思います。一応情報源なので」

 二人が放り込まれているのは、地下牢だった。松明が燃やされているのが見えるが、窓らしいものは一つも見えない。武器の類は全て奪われている。まさに身一つであった。

「でもこれでいくつかのことがはっきりしました。すでに国内にこうして手が伸ばされていて、海軍の内通者が大きな役割を担っていることです。この建物は以前海軍が本部を守るために用意してものではありませんか?」

「どうしてそんなことまで分かるんだ」

 詳細な場所は機密事項だ、と言えば、アルンは声を潜めて答える。

「我らには機密文書全般の閲覧権限が与えられています。元々この地域の特色は知っていました」

「大したものだな。俺なんぞ無様に気絶させられたぞ」

 イーケンはため息まじりにそう言った。するとアルンは何でもなさそうに返す。

「普通の軍人があんな奇襲戦を仕掛けられたら、反応は出来てもまともにやり合えるわけがありません。いくら大尉が強くても軍人は組織での戦闘を前提に育成されていますから、多対個の戦闘には向いていないはずです。私は殴られた程度ですが五人殺してしまいました。返り血を浴びてしまって気持ち悪いです」

 服の血は返り血だったと分かり、イーケンは妙に安心する。この娘がただでやられるわけがないと思っていたが、それなりに痛い目を見せてやったようだ。

「それよりもどうにかして脱出しないと。拘束具の類が無いことが幸いですが、この鉄格子はなかなか厄介ですよ」

 両手でぐっと引っ張って、びくともしない鉄格子をアルンは蹴飛ばした。鈍い音が響き、アルンはため息をつく。その間も朱真の声が聞こえている。

「脱出したところで見張りがいる。こんなに狭くて薄暗いところで戦うのは」

 厳しいぞ、と付け足そうとして、イーケンはハッとした。アルンは腕組みして難しい顔になる。

「暗所、狭所での複数を相手にした戦闘はむしろ私の得意分野です。ただ問題は、大尉と朱真殿がいることとまずは得物を奪わねばならないということ」

「要はこちらは荷物ということだな?」

「朱真殿は戦える身体で返してもらえるかも分かりません。大尉も得物がありませんし、三人で一気に突破、というのは非現実的でしょう。そうなると私の単独突破ということになりますが、残された二人の安全が脅かされます」

「だが一人でも脱出してしまえば救援を呼べる」

 アルンが続きを話そうとした瞬間、鉄格子の隙間から伸びた腕がアルンの横っ面を殴った。大きな拳が顔にめり込み、受け身を取る間もなくアルンの身体が壁に叩きつけられる。イーケンはとっさに後方に下がろうとしたが、その前に木の棒で突き飛ばされた。即座に鉄格子の扉が開く。その扉から放り込まれたのは、朱真だった。

「余計な口を叩くな」

 冷たい声を放ったのは、イーケンを気絶させた男である。

「黙って大人しくしていろ」

 鉄格子が閉められ、男達が立ち去る。それを待って、アルンが朱真のところにかがみ込んだ。

「大丈夫ですか?」

 朱真はのそりと起き上がり、口から血を吐き捨てて座る。

「連中、俺に親兄弟を殺されてたらしい。仕返しだとよ。手足が縛られてなかったら首へし折って殺してやったんだが、そうはいかなかった」

 目の横や唇が切れていた。口の中も切ったようで、また血を吐き出す。鼻も血だらけになって、顔を集中的に狙われたことが一目で分かった。

「だが敵の根城には忍び込めた。こいつは大手柄だ。褒美をいただかにゃならん」

「そんなことを言ってる場合ですか、朱真殿!」

「落ち着けよ、軍人さん。とりあえず、当面お前さん達が痛い目に遭わされることはない。それは約束する」

「どういうことですか?」

「時間をかけて俺をなぶり殺しにするつもりだ。だから俺が殺される前に脱出方法を考えてくれや。俺ァ小難しいことは考えられん。頼むぞ」

 その言葉に二人はあぜんとして黙り込む。それを見た朱真は大口を開けて笑った。

「何だ、そのツラは!」

「今日は殴る蹴るで済んだかもしれませんが、明日には刃物を持ち出されてもおかしくありません。それこそ無事では済まないと思いませんか?」

 イーケンの必死な声音を朱真は笑い飛ばして、肩を揺らす。

「実は前にもこんなことがあって、そんときは三月の間、牢獄で拷問に耐えた。見ろよ」

 そう言って、朱真は衣服の前をはだけた。そこには無数の火傷痕や傷痕が残っている。二人は思わず目を見開いた。それから朱真は靴を脱いで、左足を見せる。その足には指が三本しか残っていない。

「左足の指を全部切り落とされる寸前で救出された。切り取られた自分の肉を焼かれて食わされたこともある。そういうわけで心配すんなや」

 イーケンは何か反論しようとして口を閉じる。困っているのか、視線が右往左往していた。それを見たアルンもまた困惑している。しかし沈黙を肯定とみなしたのか、朱真は床に身を横たえた。

「俺ァ寝る」

 そう言うと、すぐに寝息をさせる。イーケンとアルンは顔を見合わせて、何事かを話し始めた。

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