妻の日


 ~ 十二月三日(金) 妻の日 ~

 ※四衢八街しくはちがい

  大通りが四方八方に通る町




 高校二年にもなると。

 こんな特別授業が顔を出して来る。


 それは、『職業体験』。

 小さな頃に体験したお店屋さんごっこと、方向性は一緒。


 ……今更ながらに思うんだが。

 通常授業として一貫的に教えるべきものなんじゃねえのか?


 俺はそんなことを考えながら。

 携帯に表示されたプリントに目を走らせた。


 今日は、女子だけの特別授業。

 学校から二駅隣りの被服メーカーへ現地集合。


 そこで会社体験をすることになっているんだが。

 冒頭の一文について首をひねるばかり。


 なぜ服のメーカーなのか。

 それは、服の製作に興味を持つことによって。

 よき妻になれるから。


「……よく分からん」


 めちゃくちゃ早く家を出た秋乃に朝飯を作ってあげたおかげで。

 朝から暇を持て余し。


 仕方が無いから、俺も一本早い電車で学校に行こうとカバンを持ったところで。

 秋乃からのメッセージ。


 体験学習大好きな秋乃のことだ。

 さぞかしテンション高めの言葉が羅列されているんだろうと目を走らせると。


「ん?」


 そこに書かれていた言葉の意味が。

 一瞬理解できず。


 俺はもう一度。

 その短いセンテンスをゆっくり目に読んでみた。



< カバンが逆



「…………げ」


 自分が手にしたカバン。

 良く見てみれば。


 いつもよりも艶やかで新品に近い。


 中身を確認するわけにもいかないから。

 言葉をまるきり信じよう。



 じゃあ、急いで出る。電車、一本 >

 余裕もって出といて良かったな。


< 駅前で待ち合わせ。


 いいぞ。ふくろうにもチャーシュー >

 にも見えるオブジェの前でいいか?


< 駅向こうの、次鋒か中堅かでもめた

  人の前がいい。


 なんで駅向こう? それに、何度  >

 言われても、俺はあの銅像の彼を

 中堅だと信じてる。


< 次鋒。絶対次鋒タイプ。


 ああもう面倒だ。次鋒でいいよ  >


< じゃあ、次鋒の人がいる交差点で。


 改めて聞くが、なぜ駅向こう? >


< 近所じゃ、ここにしかないから。


 なにが  >


< スクランブル交差点。



 ……確かにそうだが。

 あったからって、なんだというのか。


 メッセージのやり取りをしながら歩いているうち。

 到着した、指定の像の前。


「やっぱ中堅に見えるんだよな……」


 実直そうで。

 何かに尖った特徴もなさそうな男性の像。


 秋乃が面倒だから、話は合わせるが。

 腹の中で、主張を曲げる気はねえ。


 ……さて、そんなことより。

 秋乃はどこだ?


 あたりを見渡してみても。

 それらしき姿が無い。



 ついたぞ   >


< ふっふっふ。どこにいるか分かるまい


 遊んでねえで、とっとと出て来い >


< そうはいかないわよ。普通に交換

  したら、黒服にバレちゃうから。



 おお、なるほど。

 今は、黒服の姿は見当たらないが。

 鞄を逆に持っているのが見つかったら。

 確かに一発アウトだな。


 俺は秋乃の冷静な判断に拍手を送りつつ。

 ならばとメッセージを送ってみた。



 じゃあ、どうやって交換する気だ? >


< い、一度やってみたかった。


 ロッカーで交換とか? >


< そんなものじゃない。交差点の

  はす向かいを見よ!


 言われて視線を向けてみると。

 十人ばかりの人だかりの先頭に。


 怪しい人影。


 トレンチコートの襟を立てて。

 サングラスに深々と被った帽子。


 そしてその手には。

 見覚えのある学生カバン。



「……バカなの?」



 何のつもりか分からずに。

 青信号と共に歩を進めると。


 俺はようやく。

 秋乃がやりたい事を理解した。



 つまりあいつは。

 交差点のど真ん中で、カバンを地面に置いて交換するあれをやりたかったという訳だ。



 ……よき妻になる訓練をするために家を出たのに。

 よきスパイになるための訓練が始まったようだが。


 そんなにうまい事交換できるのか?


 などと考えている間にも。

 彼我の距離は数メートル。


 俺は歩幅をスパイルックの秋乃に合わせて。


 そして同時に。

 自分の足元に鞄を置く。


 そのままお互いに腕を伸ばして。

 相手の鞄を掴んで持ち上げてみれば。


 当然腕が絡んで。

 そのまま腕を組んで、スキップアンドターン。


「うはははははははははははは!!! 迷惑ユーチューバー!」

「あ、相手の側に置かないとこうなるのね……」

「感想はいいから腕を放せ! いつまで回ってなきゃならんのだ!」

「じゃあ、急いでやり直し……」


 信号は点滅し始めてる。

 急いで事を終わらせねえと。


 俺たちは、改めて相手の側にカバンを置いて。

 手前のものを掴んですたすたと歩きだす。


 スタート地点から九十度曲がった方角へたどり着いた俺達は。

 そのまま、片や駅の中へ。

 片や、もう一度駅の方へ戻るために信号が変わるまでのんびりと待つ。


「……そうか。中身を確認しておかねえと」


 鞄を開くと。

 ひとまず安心。


 いつも通りの。

 俺の持ち物が並んでいた。



 いや?

 財布の位置がいつもと違う。



 不審に思って中身を見たら。

 お札が全部なくなっていて。


「あれ? 三万円くらい入ってたと思うんだけど……。ん?」


 代わりに入っていた紙に書かれていたもの。

 それは。



 コート   15,000-

 帽子    10,000-

 サングラス  5,000-



「うはははははははははははは!!!」



 こんな朝早く。

 服屋なんて開いてねえだろうに。


 やっぱりあいつは。

 良き妻としての能力じゃなく。


 スパイとしての訓練をしていたようだ。


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